4年後。

小狼は15歳、さくらは14歳になった。
さすがに4年も経つと、すっかりと見違えるくらいに成長したふたりがいた。
小狼は背も伸び、すらりと凛々しい少年に、 さくらは誰もが目をとめるような少女になった。
ふたりとも厳しい環境に育ったためか、どこか周りの子よりも大人びている。
小狼とさくらは年も近い、学校も同じ、ということもあって、 屋敷内でも一緒にいることが多くなっていた。
午後のお茶の係を任されたり、書斎の本の整理を手伝って欲しいと頼まれたり・・・。
どちらかと言うと、小狼が何かと用を見つけては、さくらを指名しているのが本当だ。
年上のメイド達に「ご子息」扱いされるよりは、さくらに接してもらう方が楽に思えていた。
彼女も、決して軽々しく接したりはしない。一線を常に引いている。
それでも、年が近いと言うだけでも親近感がわくものだ。

「さくら」
「あ、はい、何でしょうか、志保さん」

さくらがメイド用のキッチンで、 これから運ぶ紅茶のために湯を沸かしていると、志保が話しかけてきた。

「小狼様がお呼びよ」
「あ、はい。お茶のお時間ですよね。もうすぐお湯が・・・」
「そうじゃないの。お湯は他の者にまかせて。ほら、行きますよ」
「え、あ・・・はい」

ぐいぐいと志保に腕を引っ張られて、さくらはしぶしぶ火を止めると、 ちょうど入れ替わりに入ってきたメイドにお湯を沸かしておいて、と頼んだ。

――小狼様・・・一体何のご用だろう?紅茶・・・ではないのよね?

コンコン、と志保が小狼の部屋をノックした。

「どうぞ」
「失礼します」

さくらと志保が声をそろえて言うと、ドアを開けた。

「小狼様、さくらをお連れしました」
「ああ、ありがとう」
「なにかご用でしょうか」

机に向かっていた小狼がくるりと椅子を回転させてさくらたちに向き合った。

「実は、おれも15で、高校に上がったわけだし、ひとり専属のメイドを付けようと思うんだ」
「お姉様方も、高校に上がられたときに指名されましたね」
「母上がそうしろと言うからな。そこで・・・」

小狼がじっとさくらのことを見た。
その視線に、さくらがびくっと肩を揺らす。

「さくらを指名したい」

くすりとも笑わずに小狼が言った。
相変わらず、視線はさくらを捕らえて放さない。
さくらはどうしたらいいかわからず、あたふたとあちこちに視線を飛ばしている。

「さくらがいなくなって、そちらに支障はないか?」
「はい、大丈夫でございます。小狼様」
「さくらは・・・嫌か?」
「と、とんでもございません!その…喜んでっ」
「よかった」

一瞬、小狼が微笑みを浮かべる。
その様子に、志保の方が驚いていた。
小さな頃から、笑うところをあまり見たことがないのだ。
小狼はいつもポーカーフェイスだった。
何を考えているのか、生まれたときから接してきた志保にでさえ、 わからないことが多く、小狼の感情を見ることが出来るのは家族が一緒の時くらいだった。

「おれの書斎から続いてる部屋があるだろう」
「はい。今は使われていないお部屋ですね」
「あそこをさくらに」
「えっ」
「何か不都合でも?」
「いえ、あの・・・」
「母上の許可は頂いている。そこをさくらの部屋に。必要なものを移動させてくれ」
「かしこまりました」
「でも、小狼様・・・」
「何だ」
「わたしのようなメイドが・・・小狼様と同じ・・・」
「いいと言っている。母上も良いとおっしゃった。それ以上になにか問題があるのか?」
「いえ・・・ありません」
「志保、さくらの引っ越しの手伝いを」
「かしこまりました」

李家のものには、必ずひとり、メイドか執事が世話係として専属でつく。 高校に入学したら、本人が指名することになっていた。
小狼達の姉も、ひとりずつ付いている。忙しくなるにつれて、 出来なくなる身の回りのこと、そしてサポートをするためにひとり専属に付くのだった。


「ど、どうしよう・・・わたしなんかで本当によかったんでしょうか・・・」

別邸で自分の部屋の荷物を、志保と片付けながらさくらが言った。

「小狼様が良いとおっしゃったんだから、良いんだよ」
「でも、わたし・・・何が出来るってわけでもなくて・・・」
「さくらは充分にこなせてるから大丈夫。小狼様も年の近い子がよかったんじゃないかしら?」
「え?」
「小狼様はひとりでいることが多いし・・・大変だからね」
「・・・・・・」
「さくらは、小狼様付きのメイドになるんでしょう」
「はい・・・」
「なら、さくらに出来る限りのことを考えてご覧。あの方に足りないものはたくさんあるから」
「足りないもの・・・」
「ほらほら、手動かして。教科書だけでも随分な量ね〜」
「は、はいっ」

バサバサと教科書やノートをまとめ、少ないながらも数着ある服をまとめる。
必要なもの全て、二人で持ってぴったりなくらいの量だった。
メイドとしてここに住んでいるので、必要なものはごく限られたものだけだし、 さくらは特に何も欲しがらなかったから、かなり荷物が少なかった。
そして、小狼の書斎の隣の部屋に移動した。
今までさくらが使っていた部屋よりも3倍以上は広い。
ベッドもタンスも机も、窮屈に並んでいた部屋とは違い、広々置かれている。

「わ、わわ、わたし、このお部屋本当に使って良いんでしょうか・・・!」

きちんと家具の揃った部屋をあらためて見て、さくらが声を上げた。

「いちいち取り乱さないの。ほら、片付けて」
「は、はい・・・」

持ってきた荷物を片付けるのに、そんなに時間はかからなかった。
広すぎる部屋には少なすぎる荷物だから。
さくらに、と与えられた部屋は、小狼の部屋から書斎を通り抜けて通じている。
さくらの部屋・書斎・小狼の部屋・小狼の寝室の4部屋はドアが内部に付いていて、 廊下に出なくても行き来できるようになっていた。


「片付けは終わったか?」
「しゃ、小狼様っ」

カチャリと書斎から続いている扉を開けて、小狼が言った。

「はい。持ち物は少ないですし・・・終わりました」
「殺風景だな・・・今度何かそろえよう」
「そ、そんな!お気遣いなく。こんなに広いお部屋を頂けただけで、さくらは満足です」
「志保、花と花瓶をあとでここに」
「はい」
「小狼様・・・!」
「それと、それなりの服がいるな・・・。調達しに行くとしよう」
「えっっ」
「・・・おまえはメイド服のまま外に行くつもりか?」
「あ・・・それは・・・その・・・」
「さくら、小狼様がおっしゃっているのだから、従っておきなさい」
「・・・はい」

部屋に飾るものをもらうこと、服をもらうこと、どちらも贅沢に思えて仕方がなかったのだ。
部屋が殺風景すぎるのは使用人ならば当然のことだが、 小狼からすれば普通ではない。
花の一輪も欲しいところだった。特に、女性の部屋なのだから。
また、専属のメイドになると、外への買い物や出かけるときなども、 行動を共にすることになる。
メイド服は邸宅内だけの制服であるわけで、 外へ行くときは服が必要だと言うことは姉たちを見ていて小狼は知っていた。
男性ならばスーツでよいものの、 まだ若い女の子には何を用意すればよいのか、と小狼は言ってから気がついた。
今度姉上に聞いてみるか・・・と心の中でつぶやく。

「それと」
「ま、まだ何か・・・」
「この書斎、好きに使って構わないから」
「え・・・?」

小狼が、ぱっとドアから室内へ一歩踏み入れて、書斎が見えるようにした。

「さくらはおれのより年下だ。勉強することも大切だろう。ここにある本が合うかどうかはわからないが、 読みたいものがあれば読めばいい。調べ物もできる」
「・・・お気遣い有り難うございます」
「じゃあ、片付けが終わったなら、紅茶をいれてくれないか?」
「はい!すぐにお持ちいたしますっ」

ぱっと笑顔で言うさくらに、小狼が思わず微笑んだ。
嬉しそうだ。

本当は、さくらを専属のメイドにすることは母に止められていた。
年の近い女の子を専属のメイドにして、役に立つのだろうかという心配と、 年下の娘を側に置いていいのかという心配もあってのことだ。
しかし、小狼が何かを頼みに来るのは異例であり、 小狼自身の意志を尊重しようと、母は許可を与えた。
あの子にも考えがあるのだろう・・・と。 さくらが小狼にぺこっと一礼すると、ぱたぱたと給仕室に向かって部屋を出て行った。


「小狼様」
「何だ、志保」
「・・・どうしてさくらを指名なさったのですか?」
「・・・色々と理由はあるが・・・」
「・・・」
「勘、かな」
「そうですか・・・」
「あいつがいれる紅茶はうまいしな」

さくらが立ち去ったドアの方を見て小狼が言った。
嘘ではなく、小狼はさくらがいれる紅茶が好きだった。
しかし、それだけで専属のメイドに指名することなどない。
小狼には小狼の考えがあるのだ。

「さくらをよろしくお願いします」
「ああ」

こうして、さくらは小狼専属のメイドとなった。
学校にも通っているため、部屋の掃除などは出来ない。
さくらの役目といえば、紅茶をいれたり、どこかへ出かけるときに付き添ったり、 書斎の片付けや時間の管理といったものくらいなことは明らかだった。