『La Primavera』


――李家邸宅

「今日からお世話になります。木之本桜です。よろしくお願いしますっ」

ぺこりと木之本桜と名乗った少女が礼をした。
李家邸宅の使用人控え室。若い少女と思われる子から、 随分と年齢を重ねた人まで、様々な年齢層の人ががそろっている。
ここは女性控え室のため、男性はおらず、新入りの紹介をするから、と集められていた。 挨拶をしたのは、一番新しく入ったメイドで、 まだ10歳になったばかりの幼い少女だった。
どのような経緯で、この幼い少女がメイドとして ここに入ることになったのかは、この部屋の誰一人として知らなかった。
学校に通うこと、李家当主である奥方繋がりなことを聞かされる。
メイド達の中でも一番年下なことは明かであった。
それでも屈託のない笑顔を向ける彼女に、全員がほわっと和み、微笑みを返した。


「さぁ、ご子息様にご挨拶に行きますよ」
「あ、はいっ」

一番年上のメイドの中でも取り仕切り役をしている 、志保という女性がさくらの面倒をみることになっていた。
これから、挨拶を兼ねて屋敷を案内する予定だ。

「小狼様はさくらより一つ年上のお坊ちゃまです。失礼のないように」
「はい、志保さん」

ひとつ年上の、李家の跡取り。
さくらはどんな人なんだろうと、内心不安に思いながら、 きょろきょろと邸宅の中を見回しつつ、志保の後を歩いていった。


「小狼様、こちら、今日から入りましたメイドです」
「き、木之本桜です。宜しくお願いいたします、小狼様」
「・・・ああ」

李家のひとり息子、李小狼はさくらよりひとつ年上の11歳、小学6年生だった。
小学生とは思えない落ち着きぶりで、 メイドになど興味はない、というそぶりでちらりと本から目をあげただけで、 また本に向かった。
そして、一瞬の間をおいて、ぱっと本から顔を上げた。

「おまえ・・・」
「え、あ、はい。何でしょうか?」
「おれと大して変わらないくらいの歳じゃないのか・・・!?」
「4月1日で10歳になりました」
「・・・ひとつ下の学年・・・か・・・」
「はい。あの・・・何か・・・?」
「いや・・・学校は」
「奥様が通わせて下さるとのことです」
「義務教育だからな。・・・おれと同じ所か?」
「たぶん、同じだと思います」
「そうか・・・。さくら・・・と言ったな」
「はい」
「覚えておこう」
「・・・ありがとうございます」

小狼は自分より年下のメイドがくるだなんて予想もしていなかっただけに、驚愕していた。
自分より年下の子が、屋敷のメイドとして働くという事実があってよいものかとも思った。
しかし、当主である母のお眼鏡にかなった娘だということには間違いない。
ここのメイド・執事・コック・庭師など、 みんなきちんとしていて礼儀作法も完璧な使用人たちである。


次の日から、志保について色々と仕事をこなして回るさくらを小狼はあちこちで見かけた。
学校も同じ私学で、廊下で会う度に、さくらがぺこりと礼をする。
この私学はごく普通の私学で、良家がそろっているわけでもなく、身分など関係ない。
ここでは小狼もさくらもただの生徒、平等な存在だった。


どうやら、さくらは家事・炊事ともに良くできるらしい。
もっとも、メイドは数多いため、役割分担されているのだが、 さくらはぴょこぴょこと助っ人的存在として色々なところに呼ばれ 、目に付くことが多かった。
明るい笑顔、朗らかな声、まだしっくりしないメイド服。
どんな理由があって李家にメイドとして来たのかは小狼も知らなかった。
どこをどう見ても普通の少女だ。
体育が得意らしく、校庭で行われている体育の授業をちらりと覗いた小狼は、 屋敷内とは違う笑顔を振りまくさくらに目を奪われた。屋敷内での顔は、 よそ行きなのかと・・・。
算数が苦手なようで、何度か控え室で他のメイドに教えてもらっているのも見かけた。

ただの普通の女の子なのに・・・。

そう思わずにはいられなかった。
優しい言葉をかけようにも思いつかず、何か接点があるわけでもなく、 小狼は少々もどかしい思いをしながら、さくらを気にかけていた。
使用人達は離れの別邸に住んでいるため、 日中でなければほとんど顔を合わすこともない。
つまり、小狼とさくらが顔を合わせるのは、朝と夜だけだ。

さくらも、しっかりと割り切っていた。
学校にいるときはそれらしく、メイドとしているときにはメイドらしく、 きちんと振る舞おうと決めていた。
どちらも本当の姿で、偽っているつもりはない。
面倒を見てくれる志保もいる、6つ年上の優しいメイド仲間もいる。 決してメイドとして働く時間も苦痛ではなかった。
そして、時々、当主に呼ばれて本邸へ赴いていた。
屋敷内で時々みかける小狼を、さくらは少し嬉しく思っている。
この屋敷に、子供は小狼とさくらの二人だけ。 他はみんな子供と呼べる年齢を過ぎている。
厳しい環境の中で育ってきた小狼とその姉たち。姉たちの部屋はまた別邸があり 、そこで修行などをしている。

李家は魔術や占いなどで有名な古くからある家であり 、ビジネス界で名が出ている会社の本家でもあった。

そのため、娘息子は厳しい修行と、勉学と教養を身につけさせられるのである。
もっとも、姉4人は魔術や占いの才能がなかったらしく、修行はしていない。
今、修行をしているのは小狼と、その従兄弟である苺鈴だけだ。 魔術の修行に至っては、小狼のみである。
庭で拳法の修行をする小狼と苺鈴の姿を、さくらはいつも上の階の窓から、 こっそりと見ていた。