翌朝。小鳥のさえずりがピチピチと聞こえる晴れた朝。カーテンごしに入ってくる光りですみれが目を覚ました。

「ん〜・・・ふわぁ、朝、か」

そうつぶやくと、シャッとカーテンを開ける。そして、下を見て驚いた。

「さ、さくら!?」
「あ、おはようございます、すみれさんっ」

きゅっとエプロンのリボンを結んださくらが、すみれを見上げて笑っていった。

「な、え、ええ?ちょ、今何時?」
「もうすぐ5時半です」
「な、なんで、さくらが起きてるの!?」

すみれの朝は早い。5時半頃には起床するのがあたりまえだった。
そしてさくらは、そんなすみれに起こされる。それがこの部屋のいつもの朝の光景だった。
しかし、今日は違う。5時半だと言うのに、さくらはすでに身支度を終えている。
使用人の中には、もっと早くから活動する人もいるが、さくらたちの朝の仕事は6時半から。
さくらが5時半前に起きて身支度を終えている光景など、すみれはほとんど見たことがなかった。

「きょ、今日なんかあったっけ?」
「いいえ、特に任されている仕事にはないです」
「じゃ、なに、なんで、そんな早起きしてるの?」
「起きちゃっただけです。気にしないでください」
「は、はぁ・・・」

にっこりと言うさくらに、すみれは呆然とするしかなかった。
朝からこんなにさわやかに笑うさくらを、すみれは見たことがない。
いつも、大抵、寝ぼけ眼で起きて、わたわたと制服を着て、身支度を調えるのだ。

「わたし、先に行ってますね!」
「え、あ、うん・・・」

そう告げるとさくらは使用人用の食堂に向かった。小さな食堂ではあったが、順番に食事を取る彼らにはちょうど良い。
コックたちが作ったまかないの料理が、だいたい時間になると常備されている。それを自分たちで食べるのだった。

―― まだ朝早いもんね・・・。6時になったら、 6時になったら、紅茶淹れて、それから行こう・・・!

「いいお天気・・・!」

廊下の窓から外を見てさくらがつぶやいた。
こんな日にお部屋に閉じこもりっぱなしなんてもったいないなぁと、小狼のことを想いながら。


「あら、さくらさん、早いのね」
「あ、おはようございます!菊子さん、梨花さん」
「なーにー?今日は何かあるの?」
「いえ、大したことはないんですけど、起きちゃって」
「まぁ、珍しい。あのすみれより早くなんて。今日はお洗濯日和だから、お布団を干そうと思っていたんだけど・・・」
「あ、梨花さん、それって“さくらが早起きしたから雨が降る”ってことですか!?」
「くすくす。そう言いたいんじゃない?さくら」
「百合さん!おはようございます」
「おはよう、さくら。それに、菊子、梨花」
「おはよう、百合、蓮香」
「おはようございます」

食堂ではすでに数人のメイド・執事たちが食事を取っていた。
通称“お花畑”と呼ばれるメイドもそこにいた。
サバサバした菊子、やんわりとした雰囲気の梨花、長身で短髪が特徴的な百合、くりくりの巻き毛が人気の蓮香。 ほがらかで若い少女たちだ。
さくらと、後から来た百合、蓮香がそれぞれ朝食を取り、席に着いた。

「本当にいいお天気ですよね」
「でも雨になるかも知れないんじゃなかったの?」
「あら、冗談ですわ。今日は降水確率0%ですもの」
「ま、この季節に夕立ってゆーのはなさそうだもんな」
「そ、そんなに珍しいですか・・・?わたしが早起きするのって・・・」
「そうね、ここ半年を見ていると、珍しいと思うけど」
「だって、すみれがまだいないし」
「小狼様付きのふたりは、確か6時半が時間ですしね」

菊子の言った“小狼様”にさくらが反応する。

「小狼様のお部屋の布団も干したいくらいのお天気よね〜」
「そうそう。ま、昨日が満月だから無理だけどね」
「明後日、干しておきます」
「晴れたら、でしょ。さくらさん」
「雨の日には干せませんよっ」
「くすくす。さあ、梨花、いこっか!」
「そうね、菊子さん。じゃあ、みなさま、また」

そう言うと、菊子と梨花が席を立った。
食器は食洗機に入れる。人の手で洗っていては間に合う人数ではないのだ。



「で?」
「え?」

ずいっと百合がさくらに寄って言った。

「今日は何があるんだい?さくらちゃん」
「え?え??」

わざわざ“ちゃん”付けで呼ぶときは、半分からかいモードな百合。そんな百合を蓮香がしたたかに見つめていた。

「ま、何があるのかは言ってくれなさそうだけど・・・」

にっと口の端を上げると、百合がさくらの耳元で囁いた。

「今日はオータムナルの良いダージリンが入ってるから、それで淹れるといいよ」

その言葉に一瞬ぽかんしたさくらだが、すぐにその意味を理解した。さくらが紅茶を淹れる相手=小狼だということを。

「なっ、ゆ、百合さんっ」
「いーからいーから!アタリでしょ?」
「〜〜〜〜〜〜」

嘘が苦手なさくらは、言葉を詰まらせるだけで否定の言葉が出なかった。

「オススメはちょっと濃く淹れたミルクティー☆」
「百合、さくらさんが困ってるわ」
「ははは、かっわいいなー、さくらちゃんは」
「はいはい。食べ終わったなら、私たちも行きますよ」
「了解。じゃね、さくらちゃん」
「ごめんなさいね、さくらさん。悪気はないのよ、この人」
「え、あ、はい・・・」

そう言うと、百合と蓮香も席を立った。さくらも止めていた手を動かして、目の前の朝食を片付けていく。

「あ、さくら。もう食べ終わったの?」
「すみれさん。ちょうど、今」

食器を片付けたさくらに、今来たばかりのすみれが言った。
すみれも自分の分の朝食を取り始める。
さくらは、ヤカンに水を入れ、火にかけた。

――オータムナルのダージリン・・・

その真新しい缶はすぐに見つかった。
李家はイギリスとも交流があるため、紅茶をよく飲むのだ。
オータムナルとは、秋摘みの紅茶のことで、高級ダージリンのひとつでもある。
もっとも、ダージリンの基本はセカンドフラッシュと呼ばれる夏摘みの紅茶である。

「何ー?紅茶淹れるの?」
「え、あ、はい」
「・・・・・・誰に?」
「えっっ・・・とぉ・・・」

さくらは言葉に出来なかった。
今は満月の期間で小狼の部屋へは立ち入り禁止。
身の回りのことは全て偉がこなすので、さくらが小狼のために紅茶を淹れる事などない。
かといって、自分のためにオータムナルのダージリンを出すメイドはひとりもいない。

「あー、はいはい。小狼様なんでしょ」
「えっ」
「小狼様、さくらの淹れる紅茶が好きだもんねー。偉さんに頼まれたんだ?」
「あ、う、うん。そう、なの」
「ふうん・・・ま、いいけど」
「え?」

あたふたとしているさくらをちらりと見て、すみれが言った。
小狼のために淹れている紅茶、という意味では間違っていない。
ただ偉に頼まれたわけでもなく、自分で持っていこうというだけの話なだけだ。

「お湯」
「え?」
「沸いてるよ」
「あ、はいっ」

すみれに言われて、慌ててヤカンの火を止めた。ポットとカップにお湯を注ぎ、温める。
時計を見ると、もう6時を回っていた。

―― 6時過ぎなら、小狼様、いつも起きていらっしゃるもんねっ

「へぇ、オータムナル、入ったんだ」
「さっき百合さんに教えていただいたんです」
「百合はこーゆーの詳しいもんね」
「オススメは濃く淹れてミルクティーだって」
「じゃあ、それで持っていきなよ。ミルク、温めた?」
「あ、そうだった。忘れてた」

さくらがミルクを取り出す。
すみれはさくっと取り終えた朝食の食器を食洗機に入れて、スイッチを押した。
ここでは食洗機の容量がいっぱいになった時の者がスイッチを入れることになっている。

「んじゃ、あたし苺鈴様に呼ばれてるから、先行くね」
「え?苺鈴様?」
「そう。あー、言ってなかったっけ。さっき変更になったんだけど、あたし、今日は苺鈴様のとこにいるから、あとよろしく!」
「今日ずっと?」
「そ。なんか、ティーパーティーをご学友でやるんだって」
「じゃあ、すみれさんお手製のマドレーヌが目的だね」
「久々に腕を振るってきちゃおうかなっ。じゃ、またね」
「行ってらっしゃい」

ヒラヒラと手を振ってすみれが食堂から出て行った。
苺鈴というのは、小狼のイトコにあたる李家のお嬢様だった。彼女はすみれと仲が良く、特にすみれの作るマドレーヌが大好きなのだ。
以前、すみれが別邸にいたのがキッカケで知り合ったのだ。

―― そういえば、一昨日すみれさんが作ったスコーンがあったよね ・・・もらっていっちゃおう

お菓子作りが好きなすみれは、暇な時には茶菓子を作るのだった。一昨日は林檎のスコーンを作っていたのを思い出した。
ミルクをほどよく温め、温まったティーポットに茶葉と沸騰したお湯を注ぐ。
少し濃いめに、4分ほど蒸らしてから、茶葉を取り除くため、もうひとつ温めておいたティーポットに紅茶を注いだ。
そうすることで、茶こしなどの道具が減るし、見た目もよくなるのだ。
ほんのすこし温めたスコーンと、生クリームを添える。
そして、カートに全てのせてから、意を決して小狼の部屋へと向かった。