2日後の夜。
さくらは寝間着に着替えてぼんやりと外を見ていた。
雲一つない、星の綺麗な空。しかし、そこに光り輝く月の存在はない。
「新月・・・か・・・」
“新月と満月を含む前後二日間”この期間がさくらには不思議で仕方がなかった。
同時に、小狼のことが気になった。この期間、小狼の姿を見ることはほとんどないのだ。
新月の時は学校に通っているようだが、表の門は使わない。
食事なども全て、専属の執事である偉が行っている。
偉は古くから李家に仕え、夜蘭とも近い執事だった。
そのため、李家の事は把握している。
「さくらー?あたし、もう寝るよ?」
「あ、はい」
「何よー、空なんか見つめちゃって」
ごそごそと自分のベッドに潜り込みながらすみれが言った。
さくらは相変わらず窓辺に置いたイスに腰掛け、空を見上げている。
「わかった、小狼様のことでしょ。今日が新月だから」
「うん・・・。ねぇ、すみれさん。小狼様、寂しくないかな?」
「へ?」
「だって、新月と満月の期間・・・ほとんどひとりで・・・」
「偉さんがいるじゃない」
「そう、だけど・・・」
「どうして小狼様がこの期間部屋を立ち入り禁止にして、使用人みんなと会わないでいるのかはわからないけどさ、
そこまでする理由がおありなんだから、介入しちゃダメよ」
「はい」
「っということで、あんたも早く寝なさいね。おやすみ」
「おやすみなさい」
シャッと自分のベッドのカーテンを閉めた。
メイドにあてがわれている部屋は二人一部屋。
ひとりひとつ、ロフトのベッドスペースと、その下に机とタンスが支給されている。
カーテンがひけるようになっており、プライベートは同室の者にも干渉されないように工夫されていた。
さくらは手元に夜回り用の明かりを付け、部屋の電気を消した。
夜回り用の手元明かりはろうそくの形をした小さなライトで、洒落ている。
ほのかにオレンジ色の光を放つその明かりが、さくらは好きだった。
バタン
どのくらいの時間がたったのか分からなくなった頃、さくらは物音で我に返った。
――何の、音・・・?まさか、ドロボウさん・・・なんてことはないよね・・・。
おそるおそるライトを持ち、静かに扉を開けて廊下に出た。
物音一つ聞こえない。
――も、も、もしかして・・・ゆーれー・・・なんてことないよねぇ!?
幽霊という存在が苦手なさくらにとって、
その考えはすべきじゃなかったと後悔した。
さくらは幽霊などの気配には敏感に感じる体質なのだ。
――と、と、とりあえずっ、ちょっと見て、異常がないか確かめてっ、
それで戻って寝ようっ
そう心に思って、ぎゅっと拳を握り、一歩踏み出した。
ゆっくり、ゆっくり、小さな明かりが照らし出す辺りを見ながら。
「だ、れだ・・・!」
「きゃっ・・・」
突如声が聞こえ、思わず小さな悲鳴を上げる。
「その声っ・・・!」
冷静に声の主を判断したさくらは、たっと駆け出す。
ほんの十数メートルしたところに、うずくまった人影を見つけた。
駆け寄って、顔を同じ高さまで持っていく。
「小狼様っ」
「・・・さくら、か」
「はい、さくらです。どうなさったんですか?こんな夜中に・・・」
「あ、ああ、ちょっと立ちくらみがしてな・・・」
ぱっと辺りを見渡と、数メートル先に小狼の部屋の扉が見える。
さっき聞こえた物音は、小狼が部屋の扉を閉めたとき誤って
大きな音を出してしまったのだった。
「大丈夫ですか?お部屋までご一緒します」
「いや、いい。だいじょう、ぶだ」
「大丈夫じゃありませんっ」
小狼の顔色を、声色を伺って、さくらが言った。
自分で大丈夫かどうか聞いたくせに、大丈夫じゃないと否定するのはおかしいかもしれないと思ったが、
気がついたら口にしていた。
いつもより荒い息づかい、少し苦しそうな表情、冷静さを欠いた声。
「・・・わかった。じゃあ、肩を貸してくれ」
「よろこんで」
小狼の腕を肩に回し、ぐっと力を込めて立ち上がった。
普段、武道もやっている小狼。
その小狼が“立ちくらみ”だけでこんなことになるだろうか。
そんな考えを巡らせながらも、さくらはしっかりと小狼を支えた。
「・・・すまない」
「いいえ。さ、戻りましょう」
小狼と一緒に、一歩一歩、確実に床を踏みしめて、小狼の寝室へとたどり着いた。
――お風邪を召されているようでもない。お熱があるわけでもない・・・。でも小狼様・・・辛そう・・・。
「さくら」
「はい」
「水を一杯、とってきてくれないか」
「かしこまりました。あ、小狼様はベッドに入っていてくださいね」
「わかっている」
小狼に水を一杯、と頼まれて、さくらは一番近い給仕室に向かい、コップ一杯の水を調達した。
ほどよく冷えた水。冷やされたものはよくないが、冷えていない水というのも気持ちが悪いものなので、
ここには季節によって温度調整された、飲み物用の冷蔵庫が完備されていた。微調整は氷で行うのが李家流。
さくらは、その水に、ほんの数滴、レモン汁を加えた。柑橘系の香りと少しの酸味は気持ちを落ち着けてくれるからだ。
「小狼様、お持ちいたしました」
「ありがとう」
さくらからコップを受け取ると、小狼が一気に飲み干す。
コトンとベッドサイドのテーブルに空のコップを置いた。
「さくら、すまなかった・・・こんな所を見せて・・・」
「いいえ!気になさらないでくださいっ」
「でも、助かったよ。ありがとう」
「そんなこと・・・」
「今日、あったことは、他の者には秘密にしていてくれ」
「小狼様がお望みであれば、そういたします」
ベッドに入った小狼に、さくらが優しく布団をかける。
そんなさくらを小狼が優しい瞳で見つめた。
「小狼様」
「何だ」
「ひとつ・・・お聞きしてもよろしいでしょうか」
「・・・」
「寂しく・・・ありませんか」
「え?」
「この期間・・・小狼様おひとりで・・・寂しくはありませんか?」
「・・・そんなことはない。偉もいるし・・・自分で決めたことだ」
「そう、ですか」
「でも・・・そうだな、おまえたちに会えないのは、少し、物足りないな」
「えっ・・・」
少し微笑んだ小狼に、さくらはドキッとした。
普段、小狼の笑った顔など、滅多に見られない。
―― いけないいけないっ。不謹慎だよ、さくらっ
「・・・さくらでよかった」
「え?」
「あそこで会ったのがさくらでよかった。他の者じゃ、大騒ぎだ」
「す、すみません・・・でも、夜中に大騒ぎにするのも申し訳ないですし・・・その・・・」
「それでいいんだ。だから、さくらでよかったと言っている」
「・・・ありがとうございます。ゆっくりお休み下さい。何かあったら呼んで下されば・・・」
そこまで言ってからハッとさくらは気がついた。
今日は新月。あと2日間は小狼の部屋は立ち入り禁止だ。
「す、すみませんっ、そんなわけにはいきませんよねっ。失礼しました」
「いや・・・そうだな、何かあったら、さくらを呼ぶ事にするよ」
あたふたとするさくらに、小狼が優しく言った。普段の小狼では考えられないほど、優しい言葉だ。
「小狼様・・・」
「もう遅い。おまえも休め」
「はい。お休みなさいませ」
ぺこりと挨拶をすると、さくらは自分の持ってきた手元明かりを持って、小狼の寝室を出た。
「ふう・・・よりにもよって・・・さくらに・・・」
さくらが去ったあと、小狼はベッドの中で軽くため息をついた。
―― 変なところ・・・見せてしまったな・・・
いつもと何も変わらずに接してくれたさくら。
弱っている自分を、大事にすることなくここまでつれてきたさくら。
正直、そのことは有り難く思っていた。
「おれの力がもう少し安定していれば・・・こんなことをする必要もないのに・・・」
自分の手を見つめて、小狼がこぼした。
李小狼が新月と満月の期間を設けているのは、己の魔力のせいだった。
李一族の力は月の力を元にしている。月の満ち欠けは、それ故に重大な事だった。
月が満ちているときは力が増し、月がないときには力が減る。魔力が強ければ強いほど、その差は激しかった。
訓練や修行により魔力をコントロールできるようになるまでは、随分長い期間が必要とされる。
特に、思春期の子ども達は不安定なゆえ、コントロールがきかない。
そのため、夜蘭の指示で小狼は新月と満月の期間を設けたのだった。
「今日が新月でよかったな・・・満月だと・・・何をするかわからない・・・。特に・・・あいつには・・・」
誰にも言っていないが、小狼は密かにさくらに想いを寄せていた。
あの笑顔に何度救われたことか、数え切れない。
競争の厳しい時代。李家の跡取りとして扱われる世間体。勉学もスポーツも、魔術も・・・
全てのことをこなすのは精神的にもつらいものがある。
そんなときの、さくらの笑顔と明るさに、小狼はいつも救われてきた。
気がつけば、彼女を大切だと感じる自分がいたが、それはメイドと主人の関係から、表には出していないつもりだった。
しかし、さくらが来てから小狼の雰囲気が変わった、というのは使用人たち全員が認めざるを得ない事実であるため、
そこはかとなく気づく者もいた。
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