李家。 アジア諸国だけではなく、世界でも名が知れる名家のひとつである。 ビジネスだけではなく、裏の世界、魔術や妖術といた分野でも有名な家柄である。 そして、ここは李家の本邸。 当主である夜蘭をはじめとする李家一族が広い敷地内に住んでいる。 その中でも直系の家族だけがいるのが本邸である。 当主の娘4人と末息子・小狼も当然そこにいた。 多くの執事・メイド・庭師やコックが働いている。 そして、ここにはひそかに“お花畑”と呼ばれるメイドたちがいた。 その名の通り、彼女たちはみな花の名前を持っている若い女性だった。 すみれ、菊子、蘭、百合、梨花、蓮香・・・。 その中でもひときわ目立つ存在が、桜という名の少女だった。 まだこの屋敷に来て半年程度と新米のメイドであるにも関わらず、 わりと何でもこなす。 そして、何より、その持ち前の明るさと笑顔が目を引く存在だった。 「さくら!支度は出来た?」 「はい、すみれさんっ」 「小狼様の事だから時間にはうるさくないけど・・・さ、行こうっ」 朝。 調理場も給仕室も大忙しの時間帯。 さくらとすみれは、担当として任されている一人息子・小狼の部屋へと向かった。 コンコンっと軽く扉をノックしてから、静かに扉を開ける。 「おはようございます、小狼様」 「ああ、おはよう」 明るく挨拶したさくらとすみれに対し、小狼はいつも冷ややかに挨拶を返す。 それでも、前よりはよくなった。 さくらが来る以前は、挨拶をしても「ああ」の一言がいいところ。 ポーカーフェイスで冷静で、キリッとした視線が痛いほどだった。 李小狼は17歳の高校生である。さくらと学年は変わりない。 年齢と中身が釣り合わないと思えるほど、小狼は大人な面を持っていた。 「小狼様、朝食の準備が出来ております」 「わかった。今行こう」 「はい」 さくらたちが来る前にすっかり身支度を終えていた小狼が、机から離れる。 さくらたちは小狼が朝食をとっている間に部屋の片付けをするのが仕事だった。 カーテンを開け、空気を入れ換え、ベッドメーキングをする。 ・・・のだが、大体のことは几帳面な小狼がすでにしてしまっていることが多い。 この少年はメイドという存在を利用しようとは思っていないらしい。 メイドの仕事を取り上げては「小狼様、そこは私たちがいたしますので」 と言葉をもらうことが多かった。 しかし、今となってはそんなことを言うメイドはいない。 何を言っても無駄だという事を、彼女たちも学んだのだった。 「さくら」 「は、はい」 小狼が部屋を出る一歩手前でさくらを呼んだ。 思わずその言葉にさくらの頬が高揚する。 「食後に紅茶を淹れてくれないか。ミルクティーで」 「かしこまりました」 「頼むよ」 「おまかせください」 そう言うと、小狼はダイニングへと向かって部屋を後にした。 ミルクティーを淹れて欲しいという言葉をもらったさくらはというと、 そんな一言、一つの用事だけで、溢れんばかりの笑顔を浮かべている。 「もう・・・そんな顔してるとバレるよ?」 「え?バレる??わたし、変な顔してたかなっ」 すみれが軽くため息をついてさくらに言うと、 さくらは自分の顔をぺたぺたと触りながらすみれに言った。 本人、嬉しい顔をしているという自覚は半分ないようだ。 パタンとすみれがドアを閉める。これで廊下で立ち聞きされる心配はない。 「あのねぇ、バレバレなの!あんたが小狼様を好きってことくらい」 「えっっっ・・・!」 すみれが大きくため息をついて言った言葉に、さくらが真っ赤になった。 「す、すみれさんっ!そんなことない、ですよっ」 「隠さなくてもいいって。大体、見てればわかるし。みんな結構気づいてると思うけど」 「ちち、違いますっ!そんなんじゃないですよっ!」 「ハイハイ。その必死の反論が証拠ね」 「す、すみれさん〜〜〜」 一見タンスにしか見えない掃除用具入れから掃除道具を取り出しながら すみれが余裕の表情で言った。 さくらはあたふたと戸惑い、ずいと差し出されたハタキを受け取った。 「全く、わからないわ。小狼様ってああだし・・・どこがいいのかしら」 「?」 「ああ、でも、さくらが来てから小狼様もちょっと柔らかくなったかな」 「そうなんですか?」 「そうよー。“おはよう”とか“頼む”とか聞いたことなかったんだから! そういう意味では、あんたのその天然もお役に立ってるわね」 「天然・・・なのかなぁ・・・」 パタパタとハタキを振るいながらさくらが小首をかしげた。 「で、好きなんでしょ?」 「・・・・・・ダメだよね、ご主人様に恋をするなんて」 「別にダメじゃないと思うけど、実らぬ恋だよね。メイドと主人じゃ」 「わ、わかってますっ!期待なんてしてないもんっ」 「一生このままでいいってこと?」 「・・・良くないけど・・・悪くないと思う」 ウィイィン・・・とすみれが掃除機のスイッチを入れた。 さくらはハタキをしまい、きゅっと濡らした雑巾を絞り上げる。 「でも、さ、このままいくとだよ? 小狼様にも素敵なお嬢様との縁組みとかがきちゃってさ、それで結婚されて、子供が出来て・・・なんてゆーふうになるんだよ? それでもさくらはメイドとしていられるの?」 「う・・・」 ―― それはちょっと・・・嫌だなぁ・・・。 きゅっとテーブルの上を拭きながら、さくらが唇をかんだ。 「いじめたいわけじゃないんだよ?ただ、さ」 「ただ?」 「そんな風に、好きな人のこと、見ていたくないなってあたしが思ったの。好きな人の側にいられるのは幸せなことだけどさ、 その人の家庭と一緒となると話は別じゃない」 「ん・・・でも・・・どうすることもできないし・・・」 「そうなったら、辞めるしかないよね。ま、もしも、の話よ」 きちんと掃除機を棚にしまって、パンパンっと手を払ってすみれが言った。 彼女に悪気があるわけでもなんでもないことは、さくらもわかっていた。 すみれはハキハキした口調のお姉さん的存在。 さくらの同室でもあるので、半年以上いつも一緒に行動していたのだから。 「さ、終わった?」 「はい」 ぎゅうっと洗い終わった雑巾を絞り上げて、指定の場所につるし、掃除用具入れを閉じた。 開ければ掃除用具と洗面台が姿を現し、閉めればただのタンスにしか見えない李家の掃除用具入れは、大したものだと、 いつも思わずにはいられない。 「明日から小狼様の部屋は立ち入り禁止になるから、しっかりしとかないとね」 「あ、・・・そっか、新月の二日前ですものね」 「そう。さあ、行こう!小狼様に紅茶、淹れて差し上げるんでしょ」 「はいっ」 にっこりと笑いあって、すみれとさくらは部屋を出た。 李小狼付きのメイドだけではなく、李家邸宅で働く全ての人が伝えられていること。 新月と満月を含む前後2日間、小狼の部屋には立ち入らないこと。 これがこの家の使用人たちのある種の掟のひとつでもあった。 さくらも、ここに入るときに聞かされていた。 しかし、理由は一切知らされていない。知っているのは李家の者だけである。 聞いてはいけない、それが暗黙のルールのようなものだった。 多少疑問があっても問うてはいけない。知ろうとしてはいけない。 でなければ、自らのクビが待っているからである。 |