「あーーーー終わった・・・」

全ての予定が終わり、着ていたドレスとヘアメイクをほどき、お化粧を落として、部屋のベッドにぼふんっとダイブした。

「お疲れ様」
「湊・・・」
「何?」
「・・・ごめんなさいね。まだ部屋が用意出来てなくて・・・」
「それはわかってたし、別に気にしてないよ」
「・・・じゃあ、今日はわたしの部屋に泊まっていって」
「・・・・・・そうだな。最初の夜だしな」
「ええ」

ぽんぽんっと湊がわたしの頭をやさしく撫でてくれた。
今日一日ずっと一緒にいたのに、何故かしら・・・まるで久しぶりに会ったみたいに嬉しくなった。
きっと、今日はずっと外ゆきのわたしだったからね・・・。
湊がごろんと、わたしの隣に寝転がって、ふわりと布団をかけてくれた。

「・・・おかしな感じね。一緒に寝るのは初めてじゃないのに」
「いや、こっちでは初めてじゃないか?」
「・・・・・・そう、ね・・・」

人間界では一緒に眠ったことがあったけれど、そういえば海ではなかった。
姫の部屋に一泊、なんて、許されるわけがないし、その逆もなかったもの。
旅行なんて行った事ないし・・・。

「そっか・・・初めて、なのね」
「嫌?」
「まさか、そんなことあるわけないじゃない」

ぎゅうっと、湊に抱きついた。
嫌だったら、泊まっていって、なんて言わないわ。
結婚なんてしないわ。

「疲れただろう」
「ええ・・・そうね・・・。でも、嬉しいことばかりだったわ」
「そうだな・・・。王族って大変だなってことばかりだったけど」
「まあ、今更ね」
「見たり聞いたりするのと、経験するのとではやっぱり違うよ」
「・・・ごめんなさい。相手がわたしじゃなければ、きっともっと・・・」
「ストップ。歌音が王女様で、こうなるのはわかってて結婚しようって言ったんだ。 王女じゃない歌音は歌音じゃないよ。俺はひとつも後悔なんてしてない」
「・・・ええ」
「式典で言っただろ、望むのは歌音の側にいられること。ただ、それだけだ」

そう言って、湊はわたしのことを力強く抱きしめた。
・・・そうね・・・。
でもね、時々ふっと思ってしまうのよ。
もしも、相手がわたしではなく、普通の女の子だったらって・・・。
あったかい家庭が築けたと思う。
特に表に立たされることもなく、好きな仕事を辞めずに、子供たちに囲まれて・・・。
そんな未来もあなたにはあったんじゃないかって。

「沙羅たちも言ってただろ。俺は昔から歌音しか見えてなかったんだ。他の未来なんてない。 あるとすれば、歌音にふられてそのままっていうところだ」
「・・・・・・ありがとう。ほんとに、王女としてでないわたしを選んでくれてありがとう」
「好きだよ、歌音。愛してる」
「・・・わたしも、愛しています」
「うん。俺たちにはそれだけでいいだろ?」
「その通りだわ」

ええ、その通りよ。
この結婚には、なんの裏もない。
ただ、好きな相手と結ばれただけ。
他のみんなと、なにひとつ変わらないわ。
湊がそっと、やさしく、何度もわたしの髪を撫でてくれる。
あたたかくて、やさしくて、愛しい。
いつからかしら。
こんなに、愛しいって思うようになったの。
ぎゅうっと、湊の背中にまわした腕に力を込めた。

「歌音?」
「・・・なんでもないの」
「そうか」

人間界でも結婚式ができて、こうして海でも結婚式ができた。
あなたと二度、誓いを立てた。
生涯、愛すること。
ずっと、寄り添っていくこと。
悲しみも苦しみも、分かち合うことを。

「そういえばさ、気になってたんだけど」
「なに?」
「王・・・真輝様たちは“人魚の涙”どこにつけてるんだ?」
「え?」
「ブレスレットしてないだろう?でも、基本的に王族は結婚したらずっと身につけてるって・・・」
「ああ、そのことね。耳よ」
「耳・・・ピアス?」
「そう。母様は髪が長いからよく見えないわよね・・・右の耳飾り、色が違うのよ。気付かなかった?」
「さすがにそこまでは見てなかったな・・・」
「わたしたちは指輪だから、簡単ね」

そっと、背中に回した腕を解いて、左薬指にはめられた指輪をなぞる。
輝く“人魚の涙”に、ピンク色の宝石。
この指輪は愛の証でもあり、友情の証でもある。
たくさんの“好き”が詰まってる。

「この感覚、懐かしいわ」
「?」
「人間界留学ではずっと、ここに指輪をしていたから」
「そういうことか。俺はちょっと慣れないよ」
「“人魚の涙は愛の証”・・・どうしてそう言われるんでしょうね」
「希少なものだから・・・だろ?」
「そうだけど・・・それだけじゃないんじゃないかって、最近思うのよ」
「どうして?」
「うまく、言えないんだけど・・・」

“人魚の涙は愛の証”
そう、最初に言ったのは誰かわかっていない。
ただ、昔から、そう言われているだけなの。
希少なものだから、というのもわかるけれど・・・。
でも・・・。

「・・・誰かを愛しいと想って流した涙が、こうして結晶になったんじゃないかって」
「・・・・・・」
「そう、思ったのよ」

それは、幸せな涙だけじゃないと思う。
誰かを想って悲しくて泣いたり、悔しくて泣いたり・・・。
寂しかったり、嬉しかったり、切なかったり、幸せだったり・・・色んな思いがあるけれど、どれもみんな「愛しい」気持ちの結果。

「・・・そうかもしれないな」
「もちろん、わかってるわよ。そんな涙ばかりじゃないって。 でも、一番最初に言った人たちが、そう想っていたのかもしれないって・・・ううん、そうだといいなって思ったの」
「愛の証、か。色んな愛があるもんな」
「ええ」

恋人への愛。
家族への愛。
友人への愛。
海への愛。
地上への愛。
みんな、みんな、少しずつ意味が違っても、それも愛だわ。
“人魚の涙は愛の証”
そう、恋人同士の間で取り交わされる約束だけのような気がしていたけれど、 この“愛”にはもっとたくさんの意味があるのかもしれないって思うのよ。
人間界で透也君にごめんなさいと言ったときに、わたしが流した涙は“愛”だったわ。
結婚式前にもらったプレゼント。
あれは“愛”をもらって嬉しくて流した涙。
人魚が泣くとき、それはきっと、たくさんの愛がある。
そんな、気がするのよ・・・。

「歌音」
「ん?」

コツン、と額と額がぶつかった。
目の前に、湊の澄んだ綺麗な色の瞳が輝く。
ゆっくりとひとつ、まばたきをした。

「・・・湊?」

そっと、やさしく、湊がわたしの額にくちづけた。
ゆっくりと、甘く。
大きな手でわたしの頬を包み込んでから、

「歌音」

と、甘くささやいて。
ふわりと笑ってから、とろけるようなキスをした。

「ん・・・」

式典でするような形式的なものではない、気持ちのこもったキスを。
そういえば、人間界での式の後も、こうしてキスをしたわね。

「・・・湊、大好きよ」
「ああ」

きっと、わたし、あなたとこうしていられるために人間界に行って、そして帰ってきたのよ。
たくさんの愛を知るために海から出て
たくさんの愛を知るために海に戻ってきたの。
あの時間があったから、今のわたしがあるんだわ。

「夢みたいだ」

湊が少し、瞳をうるませて言った。

「夢じゃないわ」

ひとしずく、わたしの瞳から涙がこぼれた。
それをそっと、湊が指でぬぐってくれる。

「ずっと一緒にいてね、湊」
「それはこっちの台詞だ」

人魚の涙は愛の証。
あなたが好きですっていう、証。
左薬指にはめられた指輪は、わたしにとっては海への誓い。
わたしは海に住むものだっていう、海への忠誠。
海を愛してるという証。

海と、あなたを愛してるっていう誓いの証なのよ。


2014.09.23.