「かのーーーーん!」

宮殿内の一番広い廊下を進んでいると、よく聞き慣れた声がわたしの名前を呼んだ。
その声の方向へ、ぱっと振り返る。

「真珠っ!」
「おっはよーう!」

勢いよく泳いでくる真珠が、ばっとわたしに抱きついた。
その勢いに負けてその場でくるくると回ることになってしまったけれど、 こうして海で会えたことが嬉しくてわたしもぎゅっと真珠を抱きしめた。
そして、真珠が泳いできた方からあくあと雫がくすくす笑いながら現れた。

「みんないらっしゃい!予定よりも早く着いたのね」
「おはよう、歌音。ご招待ありがと」
「早かったかな?ほら、真珠、歌音から離れて」
「はいはい」
「歌音様、それでは私はこれで」
「ええ、案内ありがとう」

一番最後に現れた今回の案内役がわたしにペコリと一礼して去っていった。
今日は結婚式前日。
真珠たちがこちらに来てくれる日だったんだけど、さすがにわたしがお迎えに行くわけにはいかなくて、 城の者にここまでの案内役を頼んだおいた。
時刻は朝の9時。
この季節の海は海水浴客がいるわけじゃないから、そんなに早朝じゃなくて大丈夫、ということでこの時間になっていた。
わたしが人間界の三人に一日前に来れる?とお願いしていたのは、少し準備があるから。

「朝早くからお疲れ様。少し休憩がてらお茶にしましょう」
「そうだね」
「うん」

そのまま三人の賓客を客間に案内して、お茶と軽食を持ってきてくれるように頼んだ。



「あのね、1日早く来て貰ったのには理由があるの」

使いの者がささっとティーセットをテーブルに置いて、一礼して去っていく後ろ姿を見送って
常設されているふわふわのクッションに腰掛けて、一息ついたところで話を切り出した。

「理由?」
「なにかしら」
「手続きとかがいるの?」
「そんなの前回なかったよ」
「いえ、そんな難しいことじゃないのよ。明日の式典での衣装を決めて欲しいの」
「・・・・・・誰の?」
「みんなの、よ。一応王族の結婚式でしょう?それに、みんなは貴賓席扱いになるわ。 アクセサリーのひとつもないとちょっと・・・怪しまれちゃうっていうか・・・」
「なるほど。やっぱりこっちの結婚式もドレスアップはしなきゃいけないのね」
「わたしたちの衣装部屋のものをお貸しするわ。明日だとバタバタしちゃうから、 先に決めて貰おうと思って、その準備のためにお呼びしたのよ」
「うん、わかった。ありがと」
「人魚の世界のオシャレか〜。どんなかな」
「お楽しみに。それから、今回はわたしがみんなの案内を全部してあげられないの・・・ごめんなさい。 必ず移動の時とかには案内役をつけるように手配しておくけれど・・・」
「何言ってるのよ!主役は当然じゃない!あたしたちは気にしないで」
「初めてじゃないんだし、なんとかなるなる」
「ところで歌音、もう1人の主役である湊は?」

真珠のその言葉に思わずぴくりと反応してしまい、カップを持った手を止めてしまった。
雫とあくあがわたしの反応に顔を見合わせる。

「私たち・・・聞いちゃいけない話だった?」
「いえ・・・その・・・前に会えないって話はしたわよね?」
「うん。なんか忙しいんでしょ?」
「それが長引いてるのよ」
「え、じゃあ前日なのにあれからほとんど会えてないの!?」
「ほとんどじゃなくて、1日も、よ」
「はあ・・・大変ね・・・」

そう、わたしたちはあの日から一度も会えていない。
期限は約8週間と伝えられていたのに。
とっくにその期限は過ぎているのに。
確かに“正確には会えなくなる”だから、期限なんて関係ないんだとは思っていたわ。
でも、まさか、もう明日が式なのに・・・。

「それで結婚式って大丈夫なの?明日でしょ?」
「今日の午後に段取り確認というかリハーサルみたいなのがあるから、たぶんそこで会えるわ」
「はあ・・・色々あるのね、王族の結婚式って」
「湊の方も、きっとすっごい歌音に会いたがってるだろうなー」
「違いないね」

くすくすとみんなが“大丈夫よ”というかのように笑った。
それから、城の中を簡単に案内したり、式場までを案内したり、みんなの部屋まで案内をした。
お昼ご飯をご一緒してから、前に来て貰ったときと同じように、王族の紋章を差し出した。
陸でいうクレジットカードみたいなもの。
今回は外に出る時間はあまりないはずだけれど・・・一応、ね。

「衣装合わせの後は時間があると思うから、好きに見てきて」
「・・・また、いいの?」
「もちろん。ある意味、真珠たちはすっっっごいお客様なんだから。それに、 向こうで結婚式をしてもらったり、衣装を頂いたりしたから・・・お返しよ」
「わかった。ありがとう」
「いいえ。でね、実はみんなの衣装合わせなんだけど、萌音と愛音が付き添いたいって言ってて」
「そういえば、今日はお姉様方と会ってなかったね」
「萌音ちゃんと愛音ちゃんならOKよ。私たち海のオシャレとかわからないし、教えて貰えれば嬉しいな」
「そうね。自分たちだけじゃ不安」
「よかった。実はわたし、そろそろ打ち合わせの時間なの。もうちょっとしたら2人ともココに来ると思うから・・・」
「わかった。待ってればいいのね」
「ええ」
「歌音、湊によろしくね」
「・・・わかったわ」

軽くみんなに手を振って食堂から打ち合わせ場所である広間に向かった。
父様や母様を含め、代表進行役の方、アナウンスをしてくれる方、料理長から警備隊長まで様々な代表が集まった。
湊の姿はここにはない。
そして、それぞれから簡単に説明がされていく。
パレードの時の乗り物のことや、警備のこと。
少しだけ開催される歌会のこと。
結婚式後の完全招待制のパーティーのこと。
ざっと説明が終わったと思ったら、“詳しくはこちらに”と分厚い説明事項の書かれた束を渡された。


「歌音」
「父様、母様」
「この後は式典の模擬よね」
「ええ、そう聞いています」
「少し時間を遅らせることになったんだ。それまで、中央棟の応接室にいなさい。時間の頃に呼びにいかせるから」
「あ、はい。わかりました」
「また後でね」

それだけ言うと、にっこりと笑いあって父様と母様は広間から出て行った。
応接室で待機せよ・・・か。
王城内なのだから、自室でもいいのにって思ったけど、移動に時間がかかるからね、きっと。
言われたとおりに、中央棟の応接室に向かった。
中央棟はその名の通り、城の中心一帯を指す言葉。
応接室は城内にいくつもあるから、こうして指定する時は場所を言わないとわからないの。
中央棟の応接室なんてほとんど行く事がない。
きちんと扉前に書かれた“応接室”という文字を確認してから、扉を開けた。

「歌音!」
てっきり空室だと思っていた応接室から声が飛んできて一瞬びくっとしてしまった。
でも、この、声の持ち主は・・・!

「み、湊・・・っ?」

約二ヶ月、会う事も、声を聞くことも出来なかった、わたしの恋人で、婚約者。
さっと室内を見渡して姿を探すよりも早く、素早く泳いできた湊にぎゅうっと抱きしめられた。
わたしの背中でバタンと扉が閉まった音がした。
ここで会えると思っていなかったから、心臓がいつもよりどきどきしてる。
海の中なのに、海面を突きやぶった時みたいに息苦しくなる。
湊の腕がぎゅっとわたしの背中を抱え込むのがわかった。

「歌音、歌音・・・」
「湊・・・久しぶりね」
「ああ・・・本物の歌音だ」

わたしも湊の背中に腕をまわして、ぎゅっと抱きしめた。
そんな泣きそうな声をしないで。
ふと、プロポーズしてくれたときの湊を思い出した。
あの時も、何ヶ月も会えなかった後だったわね・・・。
こうしてわたしのことを抱きしめて、“本物だ”って言っていた。
身体から感じるあたたかさも、耳元で聞こえる声も、なんだかとても長い時間離れていた気がする。

「ねえ、顔見せて」

そっと、2人の間に距離をつくる。
二ヶ月ぶりに見る、愛しい人の顔は少し泣きそうな、そんな表情をしていた。
そっと頬に触れると、重ねるように湊が手を包み込んでくれる。
まるで、わたしの手を確かめるようにゆっくりと瞬きをした。

「歌音・・・」
「なんだかすごく・・・長い間会っていなかったような気がするわ」
「ほんとに、そうだな」

ふわりと笑う湊を見たら、ぎゅうっと胸がしめつけられて、ぽろっと涙がこぼれた。
なんで、どうして、涙なんて・・・!

「あ、れ・・・ごめんなさい。わたし、そんな、泣くつもりなんて、ないのに・・・っ」

そっと、湊がわたしの頬を撫でて涙をぬぐっていく。
大きな手がなつかしくて、暖かくて、嬉しくて、もっと泣いてしまいそう。
わたし、自分が思っていたよりもずっとずっと・・・貴方に会いたかったのかもしれない。
ずっと、寂しかったのかもしれない。
それを“大丈夫だ”って言い聞かせて・・・押さえ込んで・・・。
触れられる距離にいることで、それがこぼれ落ちてしまったように思えた。

「歌音・・・ごめんな、長引いて・・・まさか前日になるまで会えなくなるとは思わなかった」
「ほんとよ・・・!一体何をしていたのかはわからないけど・・・想定外だったわ」
「ごめん。ほんとはさ、このまま模擬のはずだったんだけど、 無理言って歌音に会う時間作ってもらったんだ。会わないまま行ったら、絶対ちゃんと出来ないと思ったから」
「・・・そうね、よかった。ゆっくり会えて・・・嬉しいわ」
「やっと、会えた」
「・・・ええ」

きっと、湊はわかってないわ。
わたしがどれくらい寂しかったかなんて。
毎日ずっと会えた日々から、一時も会えない日々。
・・・でもね、わたしもあなたの気持ち全部なんてわからないから。
だから、こうして会えた。ただ、それだけで、許そうと思えてしまうの。
もう一度ぎゅうっと湊がわたしのことを抱きしめ、そっと額にキスをした。
こつん、と額と額がぶつかって、綺麗な色をした瞳がわたしのことをのぞき込んだ。
湊がわたしの長い髪をそっとやさしく撫でていく。
瞳から甘い予感を感じて、ゆっくりとまつげを伏せた。
そっとやさしい、軽く短いくちづけ。

「歌音」

湊が、そう一声呼んでから、長いキスを交わした。
何度も、何度も・・・。
会えなかった時間を埋めるかのようにくちづけて、抱きしめあった。

それから、ふたりで空白の二ヶ月の話をした。
人間界で使ったウエディング衣装を仕立て直したこと。
3日前からウィルが来ていること。
今日、真珠たちが来てくれたこと。
お招きした招待客のこととかまで。
湊の方も話してくれたけれど“歌音が約20年かけて学んできたことを一気に詰め込まれた感じ”なんだそう。
宮殿内を把握すること。(宮殿の見取り図は一般公開されていないうえに、王族とごく一部の使用人しか立ち入りが許されていない区間がある)
世界の海との交流のこと。
王族としての立ち振る舞い、言葉遣い。
王宮と王族の歴史。
開催される行事。
顔を出すべき式典の数々。
一般では学ばない学問の数々。
人間界のこと。
それはもう、数え切れないくらい、だそう。
毎日のように専門の先生がきては授業があり、いくらなんでも二ヶ月でやるにはキツイくらいだったんだとか。

「まあ、琴音様たちと話す機会も多かったし、海音さんと紫音さんも手伝ってくれて助かったよ」
「姉様たちにもよく会っていたの?」
「会っていたというよりは、相手をしに来てくれた、だな」
「ずるいわ、そんなこと一言も聞いてない」
「あはは。歌音が会えないのに自分たちだけ会ってきた、なんて言えなかったんだろう」
「姉様たちとは何を?」
「ダンスレッスン」
「・・・・・・そっか・・・そうね・・・学校じゃ習わないものね・・・」
「そう」

宮殿内で働く重役やその家族、昔からの名家など、王族と関わりがあるお家なんかでは習うものだけれど、 一般的にはさほど必要がないのが、きちんとしたダンス。
人間界で言うところの、社交ダンスね。
もちろん、一般的にダンスがない訳じゃないけれど、それとこれとは別。
パーティーなんかではダンスが踊れるのは必須条件。
わたしも運動音痴だけれど幼少の頃からやってきているから、ダンスは当たり前のように踊れるわ。
湊は完全な一般家庭で生まれ育ったから、習っていなくて当然よね・・・。

「先生相手にしたままじゃダメだろってことで、海音さんと紫音さんが時々相手してくれたんだ。おかげでなんとか出来るようになった」
「まあ、じゃあわたしとも踊ってくれる?」
「何言ってるんだ、パーティーで絶対に踊るだろ」
「そのまえに、ここで」
「・・・お手柔らかにどうぞ」

そう言って笑いながら湊がわたしに手を差し伸べた。
そっと手を取って、一礼してからダンスの基本形をとる。
音楽がないから、感覚で踊っていく。
人間界でいうところのステップが、海の世界では難問。
尾ひれでいかに相手と一定の距離をとりつつ、一緒に泳ぐか。
しかも、直立姿勢で。
上昇するわけでもなく、下降するわけでもなく、ほぼ平行に移動をするのは結構な訓練がいるの。

「上手いわよ、湊」
「それはどうも。しかしながら、初心者なんでね。ミスしても見逃してくれ」
「ふふっ。そういえば、小さい頃から一緒にいたのに、踊った事なんてなかったわね」
「俺はパーティーに出席できるような立場じゃなかったからな」
「海音姉様のご指導はきつくなかった?姉様、普段はやさしいんだけど、勉強とかは厳しいのよ」
「それなりに、とだけ言っておこうか」
「くすくす。でも、嬉しい。こうして湊と踊るなんて考えたこともなかったわ」
「俺だって」

そうして踊っていると、係の者が準備ができました、と伝えに来てくれて、わたしたちは揃って会場に向かった。
結婚式が執り行われるのは、いつも歌会で使用している会場。
つまり、メインホール。
会場内は華やかに装飾が施されている。
人間界の結婚式場みたいなものではないけれど、それなりに特別仕様にしているのよ。
壁には大きなカーテンがひかれているし、ところどころに花やリボン、装飾品で飾り付け。
誓いの式を執り行う台が設置され、赤い絨毯で道をつくっている。
この赤い絨毯はわたしの持ち帰った結婚式の写真から採用された、人間界でいうところのヴァージンロード。
見やすくていいんじゃないかしら、と母様がうきうきして言ってたっけ。
一通りの段取りや配置、手順を確認してから、一度だけ通して挙式内容を確認した。
それから、関係者の皆さんに明日はよろしく、と挨拶をして、わたしと湊はわたしの部屋に戻った。

「指輪交換とか、誓いのキスとか、結構向こうのこと取り入れたんだな」
「そもそも王族の結婚式って、誓約の言葉を交わして、書類に署名すれば終わり。 あとはお披露目パーティーっていうのが通常の結婚式だったんですって」
「一般的なやつと変わらないな」
「だから、色々参考にさせてもらったわ。涙の交換は一度婚約発表でやってしまっているけど、 取り入れれば指輪で出来るし、誓いのキスは誓約にとりこめるし・・・ね?」
「なるほど、確かにその通りだ」

クッションに腰掛けながら、最終確認書類をパラリとめくる。
うん、問題は特になさそうね。
事前にやることはコレで全て完了だわ。

「人間界で結婚式やったときのドレス、こっち用に仕立て直したんだろ?」
「ええ」
「どんな感じになったのか、明日見るのが楽しみだ」
「少し泳ぎにくいのが残念なんだけれどね」

ふいに、湊がわたしの肩を抱き寄せる。
大きな手がやさしくわたしのことを包み込んだ。
ちらりと視線を上げると、湊が少し遠くを見つめているのが見える。

「結婚か・・・なんか実感わかないな」
「ええ・・・。そういえば、お引っ越しはいつなの?」
「わからない。なんか、部屋を片付けるから、準備ができ次第って言われた。ああ、でも荷物は全部こっちにあるんだけど」
「え?」
「二ヶ月ほとんど泊まり込み同然だったから、一室もらってたんだ。歌音の部屋からは遠いんだけど」
「えーっ、城内にいたの!?知らなかったわ・・・。それに部屋の準備とかも聞いてないわ」
「歌音は城に住んでるから、あとでいいと思ってたんだろ」
「それもそうだけれど・・・」

結婚すると、城内に一区画部屋が与えられる。
つまり、ある意味新居というわけ。
今は離れに姉妹みんな1人部屋をもらっているけど、小さいときはもっと父様と母様のお部屋に近い場所に子供部屋があったのよ。
城内といえども、結婚すればきちんと分けてくれるの。
それは昔からのしきたりで、ゆえに、広い城内には使われていない区間もあったりする。
わたしと湊も一区画もらう事になっているのだけれど、引っ越しの時期は明確に聞いてなかったから油断してたわ。

「じゃあ、今夜はわたしの部屋に泊まっていかない?」
「・・・どうして?」
「だって・・・その・・・」
「さみしい?」
「そっ・・・・・・ええ・・・。それに、ほら、人間界でも前日はふたり一緒だったでしょ」
「まあ、そうだな・・・。でも、ごめん。あっちで準備があるんだ。夜には帰る」
「そう・・・残念だわ」

会えなかった分、もっと一緒にいたかったのに・・・。
明日はきっと忙しくなるから、ゆっくりと・・・。
ぎゅっと湊に抱きつく。
ぽんぽんっと、あやすように大きな手がわたしの頭を軽くなでた。
そんなささいなことが嬉しいと思ってしまうほどに、どうやらわたしは湊が足りないみたい。

「それにさ、真珠たちが来てるんだろ?俺とふたりでずっといるのはまずいと思うな」
「・・・・・・そうだったわ」

いけない、いけない。
湊に会えたことで、真珠たちのことを忘れてた。
大切なお客様を放り出して置くわけにはいかないわよね。
今は萌音と愛音と街に出ているけど、きっと夕食前には戻ってくるでしょうし・・・。

「でも、真珠たちが街から戻ってくるまではいいわよね」
「街に出てるんだ?平気なのか?」
「萌音と愛音が案内役で付き添ってるから大丈夫。夕食までには帰ると思うし」
「そうか。俺も案内役やりたかったなー。街こそ俺の方が詳しいんだから」

くすくすと笑いながら湊が言った。
そうね、街に関してはきっと湊の方が詳しいわ。
わたしたちはどうしたって王族だから、目に見えないもので色々と縛られているもの。
怪しい場所には入らないとか、危険な場所には行かないとか、時間になったら宮殿に戻るとか・・・。
その点、街で生まれて、暮らして、育ってきた湊は、わたしたちが知らない街をよく知っているはず。

「人魚姿のみんなに会うの、すっごい久しぶりだなー」
「・・・そうだった?」
「向こうじゃそんなタイミングなかったじゃん。楽しみだな」

それから、ふたりで夕食までの時間過ごして、食堂に向かう途中、つい2日ほど前から滞在しているウィルのお部屋に寄った。
今回はきちんとした招待だし、王族として来ているから、ウィルには王城内にきちんと部屋が用意されているの。
海音姉様が、ウィルが来るというので色々と手を回して下さっていた。
ウィルも誘って、夕食の席へと移動する。
相変わらずウィルは王族らしくない気さくな言葉遣いと態度で、湊と並んでいるとまるで兄弟みたい。
湊が態度をそこまで崩せないから、先輩後輩といったほうがいいのかしら。
3人で食堂に入ると、そこには街に行っていたメンバーがそろって席についていた。

「あ、きたきた!ただいまー、歌音!」
「湊!久しぶり〜」
「リハお疲れ様っ」

席についたまま手を振りながら真珠・雫・あくあが言った。
その態度は人間界にいたときと何にも変わりなくて、少しほっとする。
湊とわずかに笑い合って、みんなのところまで泳いでいく。

「みんな久しぶり。海へようこそ」
「おかえりなさい。早かったのね」
「萌音ちゃんと愛音ちゃんの案内があったから、スムーズにいけたわ」
「あら、萌音と愛音は?」
「お姉様方を呼んでくるって。そういえば、2人に会うの久しぶりだったけど、綺麗に育ったわね・・・!美人姉妹っ」
「前に会ったときはまだ小さかったものね。いやー、ほんと、歌音たちはお姫様って感じだよねー。絵本間違ってないわ」
「うんうん」
「ところで・・・もうお一方はどなた?」

雫がわたしたちの後ろに控えていたウィルを見て言った。
ウィルも気を利かせてなのか、わたしたちを見て観察しているのか、少し離れたところにいて、にこにこ笑っていた。
雫の言葉に気付いて、ついっとわたしの隣まで泳いでくる。

「これは、失礼致しました、人間界のお嬢様方。南の海の第一王子、ウィリアムと申します」

少しおどけたような口調でウィルがそう言い、ぺこりと王族式の礼をした。
王子、という単語を耳にしたみんなが、ぽかんと言葉を失いながら、ウィルのことをじっと見つめた。
姫を相手に何年も過ごしておきながら、今更王子に戸惑うことはないと思うのだけれど・・・。
その様子を見てウィルが苦笑いを浮かべた。

「お、おうじさま・・・?」
「友人なのよ。お兄様みたいな感じ。結婚式にご招待したのよ」
「お嬢様方、よろしければお名前をお聞かせ頂けますか?」
「し、失礼しましたっ。水城真珠といいます。歌音のホームステイ先の家の者です」
「水沢雫です。初めまして」
「新谷あくあです」
「・・・・・・歌音、助けて」
「もう、ウィルったら・・・」

くすくすと思わず笑ってしまう。
王子というものに動揺したのか、みんなが普通に“人間界の”自己紹介をしていた。
前回こっちにきたときに散々周りが混乱したのを忘れたのね。
ウィルも当然混乱しているみたい。
湊も“やっちゃったなー”という表情をしている。

「みんな、前に言ったでしょ?海では名字はないのよ。ウィルが混乱してるわ」
「!!ああああ、ごめんなさい!ついっ・・・」
「名字・・・ああ、家の名前があるってやつだっけ・・・?」
「そう。いいわ、わたしが紹介するわ。右から、雫、あくあ、真珠よ」
「ありがとう歌音。改めまして、よろしく。僕のことはウィルって呼んでもらって構わないから」
「おっ、王子様にそんなことっ」
「でも、歌音たちとは普通に話してるじゃないか。僕だって同じさ。それに、 人間界住まいの人魚だなんて、どう考えても“ものすごいお客様”だし。会えて嬉しいよ」
「あ・・・・・・そう、ですね」
「では、遠慮なく」

くすくすとみんなが笑いながら言った。
ウィルも人間界の人に会えるなんて思っていなかった、と嬉しそうに笑った。
そこに

「あら、盛り上がってるわね」
「お待たせしましたー」
「みなさんお久しぶりっ」

そう言いながら姉様たちが現れた。
海音姉様はにっこりと笑い、紫音姉様は軽く手を振り、波音姉様はびしっと敬礼するかのようなポーズをとった。
その後ろから、萌音と愛音がひょっこり現れる。

「歌音姉様の方が早かったんですね」
「湊さんもウィル兄様もご一緒だったとは!」
「萌音、愛音、みんなの案内ありがとうね」
「いいえ!楽しかったですからっ」
「ねーっ」

姉様たちが席に着かず、そのままわたしたちの方へやってくる。
王女と王子にかこまれた人間界出身の3人は、言葉もなくわたしたちの方を見つめて 「この状況はいったいなんなの・・・」というような表情を浮かべていた。
そんなに驚くことではないのに・・・ねえ?
確かに王族ではあるけれど、それは今までと何も変わらないんだから。

「ウィル兄様!お久しぶりです。いらしてたのは知っていたのにお会いできなくて残念でしたわ」
「本当に!」
「あれ?姉様たちもウィルには会ってなかったんですか?」
「ええ、タイミングを逃していたのよ」
「海音姉様も挨拶に行っただけでしたよね?」
「ええ。本当ならご案内したかったんだけどね」
「姫君たち、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

少しおどけながら、ウィルがぺこりと姉様たちに一礼した。
姉様たちもクスクス笑いつつ、おどけながら一礼する。
それは王族ならではのちょっとしたおふざけみたいなものなの。
それからそれぞれの席について、総勢11名によるにぎやかな夕食の開始となった。
明日の結婚式の話から、人間界での結婚式のことまで、人数が多いせいなのかしら・・・それはもう、 まるでパーティーみたいに賑やかな席になった。
でもね、こんな席めったにないと思うのよ。
王女が全員そろっていて、南の海の王子がいて、王族じゃない人がいて、人間界の人がいる。
こんなことって、ありえないわ。
特別な、ちょっとしたパーティーも同然だわ。
“世界”が違う人がこんなに集まってるんだもの。
さすがに『明日のことも考えて、お酒はほどほどにね』と海音姉様のお言葉が入り、テーブルには最低限のものしか並ばなかった。



「さ、そろそろお部屋に戻りましょうか!明日は忙しいから、ちゃんと休息を取らないとね」

ぱん、と軽く手を叩いてから海音姉様が言った。
さすが、しっかり者の海音姉様ね。
紫音姉様や波音姉様も素直に返事をして腰を上げた。

「特に歌音と湊、あなたたち主役なんですから、ちゃんとしてね」
「はい、海音姉様」
「そうですね」
「楽しみにしてるよ」

ぽんぽんっとウィルがわたしの頭をなでる。
主役・・・。 そうね、そうよね。
なんだが本当に実感がないんだけど・・・わたしの結婚式なのよね。

「歌音、へーき?」
「え、ええ。じゃあ、わたし真珠たちをお部屋まで送ってくるわ」
「お、道案内ありがと。ほんっと広いから迷うんだよねー」
「俺も行くよ。方向同じだし」
「そうね。では、姉様方、萌音、愛音、ウィル、おやすみなさいませ」
「姉様、おやすみなさい」
「ええ、また明日ね」
「おやすみ、歌音」
「ちゃんと寝なさいよ」
「はーい。行きましょ」

真珠たちを促して、食堂を後にした。
広い廊下に出たとたん、みんなが盛大にふーっと一息ついた。
湊も真珠たち同様、ふうっと軽く息を吐いた。

「はー、緊張したーっ」
「ほんと、相手がお姫様と王子様だもんねー。庶民にはつらいわー」
「普通に生活してたらぜっっったいありえないもんね」
「その点は俺も同感だ」
「そっか、湊もそうよね」
「でも、あたしたちはただでさえ『人魚に囲まれる』って事に慣れてないもんね」
「それに、水の中でこんなに生活するなんて事ないから・・・一日中人間にならないこともないし。ちょっと変な感じ」

廊下を進みながら、みんながほっとした顔で言った。
わたしたちからすれば、みんなのほうがかなりの賓客で、気遣い無用、なんだけれど・・・。
そこはやっぱり人間界にも「階級」があるから、どうしようもないのでしょうね。
それに、みんなは人魚であっても普段人間として生活しているうえに、お互いに人魚姿で会うことなんてないから、慣れないわよね。
一日中人魚でいることも、地上ではありえないことだもの。

「それにしても、まさか他の海の王子様までいるとは思わなかったー」
「急にごめんなさいね。話しておけばよかったわ」
「あの状況じゃ王子様がひとり増えようが二人増えようが、たいした差はないし、気にしないで。 あ、ねえ、歌音。明日ってあたしたちどうすればいいの?」
「ん?」
「移動とか時間とか場所とか・・・」
「一応説明は聞いてるんだけど、大まかになんだよね」
「それなら大丈夫よ。係の者が朝、部屋まで行くと思うわ。詳しい事は朝食の時にでもしてくれるでしょうし」
「そっかー、それならよかった!時間とか部屋とか指定されても、たどり着ける自信なかったんだ」
「私たちだけじゃ不安よね。ここから会場に行くのだってきっと困難だわ」
「ちゃんと係が行くように確認しておくわね」

明日は始終別行動になってしまうから、わたしが案内に、とはいかないものね。
明日ちゃんと声をかけておかなくちゃ。

「それじゃ、歌音、湊、また明日ね」
「案内ありがと」
「明日楽しみにしてるね!」
「うん」
「湊もね!」
「ははっ、ありがとな」

みんなを客間のあるところまで送り届けて、軽く手を振って別れた。
みんなの着飾った姿も楽しみだな・・・ちゃんと会えるのはいつのことやらって感じだけれど。
式典、歌会、パレード、パーティー・・・余裕はないのよね。

「じゃ、俺も部屋に戻るな」
「あ、待って!」

ぱしっと、思わず湊の手を取った。
湊が捕まれた手を見てから、わたしの顔をのぞき込む。

「・・・どうした?」
「その・・・お、送るわ」
「いいよ、歌音の部屋から遠いし」
「いいの!」

ぎゅっとつかんだ手を握りしめる。
まだ、もう少しだけでも、一緒にいたい。
ここで別れて、次に会うのは明日の朝ドタバタしてるときだなんて・・・そんなの嫌。
湊がわたしのことをじっと見つめて、やさしく手を握りかえした。

「・・・・・・わかった。じゃあ、お願いする」
「ええ」

手を繋いだまま泳ぎ出す。
夜は城内の警備も少なく、しんと静まりかえっている。
特にこの客間エリアは普段使われる場所じゃないから警備が薄い。
ゆっくりと、人気のない廊下を進んだ。
それでも、同じ客間のあるエリアにもらっているという湊の部屋まではわずか5分程度で到着してしまった。

「じゃあ、歌音。また明日に」
「・・・・・・・・・」
「歌音?」
「・・・もう少しだけ、一緒にいちゃだめ?」
「どうしたんだ?」
「・・・どうして、かしら・・・」
「・・・・・・」

どうしてなのかな・・・。
明日も会えるのに。
これから毎日一緒にいられるのに。
今、どうしても、もう少し側にいたいと思ってしまう。
何か話したいことがあるわけでもないのに・・・。
ただただ、側にいたい。

「・・・いいよ。じゃあ、寄ってく?」
「うん」

湊が扉を開けて部屋に通してくれた。
そこは小さな客間で、わたしもほとんど入ったことがない部屋。
少し大きめのテーブルと椅子、1人用のクッション、簡単な備え付けのベッド。
小さいと言っても、基準が城内だからで、人間界基準にしたらこれは十分な広さ。
一般家庭のリビングルーム程度には値する。
そこに運び込まれた湊の荷物がどさっと置いてあった。
机の上にはたくさんの紙と本の山。

「散らかっててごめんな」
「いえ、そんなことないわ。無理言って押しかけてるの、わたしだし」
「そう?」

ぽふん、と湊がベッドに腰掛けた。
ここは1人用の客間だから、ふたりで座れる場所が他にない。
当然、お客様用の椅子なんてものもない。

「歌音、おいで」

そう言って、湊が手を差し伸べた。
少しくすぐったく思いながらも、その手を取って湊の隣に座る。
ぐいっと湊がわたしの肩を引き寄せて抱いた。
肩に触れられた手からぬくもりが伝わってくる。

「それで、どうしたんだ?」
「本当に・・・特に何があるわけでもないのよ。ただね・・・」
「ただ?」
「・・・側にいたいだけなの」
「・・・そうか」

そう言うと、湊はそのままわたしを引っ張るような形でベッドに倒れ込んだ。
やわらかなベッドがぽふんっとわたしたちふたりの身体を受け止める。

「きゃあっ」
「ははっ」
「もーう、何するのよー」
「いや」

湊がそっとわたしの背中に腕を回して、そのまま力強く抱きしめられた。
さっきよりも、もっとずっと近い。
あたたかさが、湊の鼓動が、伝わる感触が嬉しくなる。

「あーあ、だからさっさと別れようと思ってたのになあ・・・」
「え?」
「一緒にいたら帰したくなくなるだろ」
「・・・うん・・・」

わたしも湊の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
離れたくない。
いつものように笑って会話して、そんなそぶりなんて見せないように振る舞っていたけれど、わたしたち会うの二ヶ月半ぶりなのよ?
しきたりだと言われてしまったから、会いたいなんて言えるわけもなく、 さみしいって言える相手もなく、近況がきけるわけでも、手紙があるわけでもないまま、二ヶ月半よ?
人間界みたいに電話があったらどんなにいいかって思った。
メール機能があったら、どれほどいいかと思った。
顔も見れず、声も聞けず、全く接点がないまま二ヶ月半。
わたしが、どれだけ我慢していたか・・・。
そんなことを考えていたら、思わず泣けてきてしまった。

「歌音?泣かなくても・・・」
「なによっ・・・だって・・・」
「ほんと、泣き虫だな」

湊がそっと距離をとって、わたしの顔をのぞき込む。
指でやさしく涙をぬぐってくれる。
なんだか恥ずかしくなって、さっきよりも強く湊にしがみついた。

「よくそれでバレずに人間界で暮らしていられたか不思議だよ」
「・・・寂しかったのよ。会いたかったの・・・何にも連絡ないし、わたし・・・」
「ああ・・・俺も、ずっと寂しかった」
「本当に?」
「俺が結婚しようって言ったときのこと、覚えてるか?」
「・・・もちろんよ」
「あの時、会えなかったのが三ヶ月半くらいだった。今回が二ヶ月半。俺がどれだけ我慢したかわかってるのか?」
「・・・・・・わからないわ」
「前はさ、会えない距離にいたから仕方ないけど、今回はその気になれば会いに行ける距離だったんだぞ。 城内にいたんだから。それでも・・・しきたりを破るわけにはいかないから守ったけど・・・。何度、抜け出そうかと思ったよ」
「・・・・・・」
「歌音、俺はさ、きっと歌音が思ってるよりもずっと歌音のこと好きだよ。これだけは言っておく」
「湊・・・」
「会いたかった。声が聞きたかった。触れたかった。毎日、歌音のこと考えてたよ」
「・・・わたしも・・・毎日、湊のこと考えてたわ」
「愛してる、歌音」
「・・・ええ」

小さく笑いあって、そして長い口づけを交わした。
何度も名前を呼んで、何度もキスをして、きつく抱きしめ合う。
何度名前を呼んでも、何度キスをしても、満たされそうにない。
ああ、もう、どうしたらいいの?
愛しすぎて、切なくなるわ。
どうやって会えなかった日々を生きてきたんだろう。
わたし、いつからこんなに湊を好きになったの?
もう、全部、わからないわ。


2014.07.20. Happy Birthday Canon!