人間界に来て4日目の夜、久しぶりに真珠の家がやっている水族館に来た。
相変わらず楽しそうな魚たち。
夜の水族館は、少し幻想的な雰囲気に包まれてる。
今日はイルカのプールで、マリア、アリア、ルナ、アルテミスに断りを入れて、一緒に泳がせて貰うことになっている。

「こんばんは。お邪魔しますー」
『歌音!いらっしゃいー』
『お待ちしてましたー』

イルカたちがプールサイドによってきて出迎えてくれる。
ゆっくりとプールの中に身を沈めて、姿を人魚へと戻す。
二本の脚がサーモンピンクのしっぽに戻り、水が抵抗なくわたしのことを受け入れる。
久しぶりの感覚が戻ってくる。
身体がすごく軽く感じる。
たった4日だったのに、人魚姿がこんなに懐かしく思うなんて・・・。

『人間界はどう?歌音』
「相変わらずね、ルナ。でも、留学してた頃より昼間が暑く感じるわ」
『最近はあっついからねー。ほんと、歌音がいたころよりサイコウキオンが上がってるらしいよ。真珠が言ってた』
『でもね、涼しい空間が欲しくて、ここのお客さんも増えてるんだって』
『そういえば、ショーの時に観客席の方に水を飛ばして、って言われたりもしたぜ』
「まあ、そんなこともあるのね。見てる人たちはびしょびしょじゃない」
『それがいいんだって』
『楽しいしな!』
「へえ・・・。ねえ、下まで泳がない?身体がなまっちゃってるの」
『いいわよ』
『よしきた!』

ついっと、マリアを先頭に、みんなで泳ぎ出す。
下へ下へと泳いでいく。
海に比べたらずっと狭いけれど、4頭のイルカたちのために充分な広さがある水槽は、人魚ひとりにとっては何不自由ない広さ。
水の中を漂う感覚が嬉しくなった。
人間界はキライじゃないわ。
でも、どうしても、不自由に感じてしまうの。
水の中にこうして入ると、解放された気分になる。
まさに“水を得た魚”って感じね。
水槽の下まで行くと、ふわりと止まる。

「水槽の中から水族館内を見るのは不思議な感じね」
『あれ?誰か来るよ?真珠かな?』
『ほんとだ。珍しいな』

ルナがくるりと水槽を泳いでから、わたしの元に来て言った。
夜は普通の人間は入れないようにしてると言っていたから、真珠かしら・・・?
それとも真珠のご両親・・・警備員さんということはないと思うのだけれど・・・。

『あれ、知らない人だ』

アルテミスがそう言って、みんながバッとそちらの方を向く。
わたしも思わず振り返った。
そこにいたのは、真珠でも、湊でもなく、

「透也君・・・?」

透也君だった。
わたしたちに気づいたのか、立ち止まってこちらを見てくる。
一瞬、目を見開いてから、そっとガラスに触れた。
目線の高さを合わせるように、わたしもガラスに近寄る。
・・・真珠にわたしがここにいるときいて、来てくれたのね。
でなきゃ、ここには入れないはずだもの。
関係者入り口以外は閉じているから。
何か、一言二言しゃべっていたようだけれど、分厚いガラス越しでは聞こえなかった。
コンッとガラスを叩くと、透也君は少し早足で歩き出した。

「・・・こっちにくるのかしら?」
『歌音、知り合い?アイツも人魚?』
「いいえ、人間よ。でもわたしたちのことを知ってるの」
『ここに来るなら、上にあがっておいた方がいいんじゃないかしら?』
「そうね。行きましょうか」

ぐんっと水を蹴って、今度は上へ上へと泳いでいって、水面を突き破った。
ぽたぽたと前髪から雫が滴り、夜の生ぬるい空気が頬を撫でる。
プール中央から、プールサイドまで泳いでいって、縁に腰掛けた。
ぎゅうっと長い髪を絞って水分を取り除く。
それから、ほんの数分で、透也君がプールサイドに現れた。

「こんばんは、透也君」
「こんばんは、歌音。お楽しみの所邪魔してごめんな」
「いえ、大丈夫よ」
「・・・・・・」
「・・・何か?」
「いや・・・久しぶりに見たからさ・・・その・・・人魚姿」
「・・・そうだったわね。透也君には、こっちの姿の方が慣れないわよね」

ざばっと水の中から尾ひれを出す。
二本の足じゃなくて、サーモンピンク色のしっぽが月明かりに照らされた。
しっぽからぽたぽたと水滴がプールにしたたり落ちていく。
月明かりに照らされたしっぽが、かすかにキラキラ輝いて見える。

「透也君、何かわたしに用があるんじゃないの?」
「え!あ!いや、その・・・」

透也君がふいっと目線をわたしからそらした。
・・・しっぽ、そんなに見たくなかったのかな・・・?
確かに、とっっても不思議なんだとは思うけれど・・・。
ざぶん、と尾ひれを水中に戻す。
そうよね・・・人魚なんて身近な存在なわけないし・・・普段は人間の姿で会っているんだもの。
見慣れないわよね。
真珠や雫は基本的には人間だけど人魚になれるから見慣れてるだろうし・・・周りに純粋な人間がすくないから油断してたわ。

「・・・しっぽ、気になるようなら脚にするけれど・・・」
「べ、べつにいい!大丈夫だから。うん」
「そう・・・?」
「ああ。・・・歌音を探してたのは、曲についてなんだ」
「あ、結婚式で歌う曲?」
「そう。歌音が歌ったことあるやつを選んで、楽譜とCD持ってきたんだ。あ、真珠の家に置いてあるから」
「わあ、ありがとう!」
「その中から2〜3曲選んでおいて。こっちも練習しておく。一回くらいなら合わせられると思うし・・・」
「ええ、わかったわ。本当にありがとう」
「いいよ。俺たちも歌音とまたやりたいって言ってたところだったから」
「ふたりの演奏も楽しみにしてるわ」

くすくすと笑い合う。
そこに、ぴょこっとマリアが顔を出した。
プールサイドに僅かながら水が押し寄せ、それを避けるように透也君が数歩後ろに下がる。
イルカをこんなに近くで見たことない、という具合にまじまじとマリアのことを見つめてる。
ルナは透也君をじっと見ると、パタパタとしっぽを揺らしながらわたしの方に向き直った。

『歌音、結婚式するんでしょ?真珠が言ってたわ。この人と?』
「違うわ。あら?湊に会ったことなかったかしら?」
『ないよ。ミナトっていうんだ。今度連れてきてね』
「ええ、わかったわ」
「・・・歌音?」
「あ、ごめんなさい、透也君」
「・・・ああ、そうか。イルカと話せるんだ」
「人魚だもの。・・・・・・そうね、普通に見たら独り言よね・・・ごめんなさい」
「まあ、ね。俺もそろそろ歌音が人魚だっていうのに慣れないとなあ・・・。しかし、いいなープール。涼しそう。今日も熱帯夜で嫌になるな」
「透也君も一緒にどう?確かスタッフルームに誰でも使っていい水着あったわよ?」
「え、あー・・・でも、足着かないよな、このプール」
「そうね。あ・・・人間は大変かも?」
「ってことで、やめておくよ。泳げない訳じゃないけど、おぼれたくないしな」

透也君が肩をすくめて言った。
学校のプールみたいにはいかないものね。
わたしたちは息が出来るけど、人間は出来ないし・・・。
浮き輪とかがあるわけじゃないものね。
それにここは真水じゃなくて海水だから、感覚も違うだろうし。
そこに、ひとつの声が届いた。

「歌音!」
「あの声・・・湊?」
「王子様登場、ってとこか」
「え?」
「あ、透也もいたんだ」
「連絡を伝えにな。じゃ、俺は帰るよ。明日のこともあるし」
「ええ、ありがとう透也君」
「透也、またな」
「ああ」

湊と入れ違いに、透也君が裏口へと消えていった。
後ろ姿を見送ってから、ぱしゃん、と水の中へ戻る。
少し乾いた肌が、すうっと水になじんでいく感覚。
やっぱり気持ちいい。

「どうしたの、湊」
「いや、歌音がいなかったからどこ行ったか聞いたらここだって。それで来てみただけ」
「ちょうどよかったわ、湊」
「ん?」
「イルカたちが湊に会いたいって言ってたの。一緒に泳ぎましょうよ」
「・・・まあ、少しの時間ならいいか」

Tシャツを脱ぐと、湊も脚をしっぽに戻して、水の中へと入ってきた。
よく見慣れた、彼の姿。
なのに、少し懐かしく感じる。

「なんか、久しぶりだな。この姿で会うの」
「たったの四日間なのにね」
「ああ、でも、安心する」

それから、イルカのみんなに湊を紹介して、少しだけ追いかけっこなんかして遊んだ。
水の中は本当に自由になれる。
あんまり長居すると、陸に上がるのが嫌になりそうだったので、早々に切り上げて家に戻った。



2014.01.01.