「のん・・・歌音」
「ん・・・」
もそもそとベッドの上で薄い布団を引き上げる。
朝・・・ですか・・・?
「ほら、歌音、起きてよ」
「ええ、湊・・・・・・って湊!?」
わたしに声をかけるその主は湊だった。
え、ちょ、どうして!?なんで湊がここに!?
思わずガバッと飛び起きる。
「おはよう。珍しいな、歌音が寝坊なんて」
「え、あ、ええ!?」
ここはわたしの部屋で、ベッドの上で、時間は朝で・・・。
そ、そうだったわ・・・今日は湊と約束をしてて・・・。
でも、時間は指定されてなかったと思うんだけれど・・・。
「ど、どうしてここに?」
「迎えに来たらまだ寝てるって紫音さんが言ってて」
「て?」
「どうせなら起こしてよって言うから・・・」
「そ、それで紫音姉様が湊を連れてきたって事?!」
「そう」
王族とお城で働く者のごく一部以外は自由に出入りが許されていないエリア。
特に個人の部屋は警備も固い。
いくら湊がわたしの婚約者だとしても、まだ公式ではないから湊が自由にここにこれるはずがないんだもの。
紫音姉様のせいだったのね・・・。
「久しぶりに見たな、歌音の寝顔」
「人間界でさんざん見たでしょ・・・?」
「まぁ、それはそれ、これはこれ」
「もーう・・・」
バサッと布団をめくりあげる。
本来、わたしたちの文化には布団なんてものはない。
でも、あると気持ちいいから、わたしが作ってもらったの。
それが意外と好評で、使ってくれている家庭も多いのよ。
ブランケットのようなものだけれどね。
「予想外だったわ。湊が来るなんて」
「それはそれは」
「朝食だってまだなのよ」
「今まで寝てたから、だろ」
「〜〜〜〜」
「いいよ、待つから」
「・・・ありがと」
ああ、もう、調子が狂うわ。
だって、髪もくしゃくしゃ、朝食もまだで、何にもできてなくて・・・。
・・・でも、結婚したら、こんなこと普通になっちゃうのよね・・・きっと・・・。
髪をブラッシングしながら、ちらっと湊を見る。
ふわりと綺麗にかけ直した布団の上にちょこんと座って、こっちを見ていた。
何だろう・・・突然来られてちょっと怒っていたはずなのに…湊が笑ってるのを見たらどうでもよくなっちゃった…。
弱いんだなぁ・・・湊の笑顔に・・・。
「わたし、朝食をとりにいくけど・・・一緒にどう?」
「俺は食べてきたけど」
「お茶くらい出すわ」
「・・・じゃあ、お言葉に甘えて」
湊を誘って食卓へと向かう。
広い広いテーブルには愛音と萌音がいた。
「あ、姉様、おはようございます」
「おはようございます、歌音姉様」
「おはよう、萌音、愛音」
「湊さん、いらしてたんですか?」
「ああ、おはよう、萌音ちゃん、愛音ちゃん」
「おはようございます」
ふたりが声をそろえて挨拶をした。
湊と並んで萌音たちの向かいの席につく。
厨房担当の方に朝食とお茶をお願いする。
にっこりと笑って、素早く用意して出してくれた。
ここの厨房の人たちは本当にお料理が好きで、わたしたちのことを好いてくれている。
料理を教えて欲しいと言えば喜んで教えてくれるし、よくお菓子を作って置いておいてくれる。
昔はこんなお仕事嫌じゃないのかと思ったりもしたけれど、彼らは楽しんでるんだって。
作ってくれる料理はいつもおいしい。
お茶もお菓子も絶品なの。
「珍しいですね、姉様があたしたちより遅いなんて」
「姉様、早起きですものね」
「さすがに疲れてたかな。海は安心するわ。そのせいかも」
「湊さんもお疲れだったのでは?」
「俺は全然平気。丈夫に出来てるからな」
「そうですか。では、姉様、あたしたち学校に行ってきますね!」
「お先に失礼します」
「行ってらっしゃい。楽しんできてね」
「はーい!」
元気よく二人が返事をして、席を離れた。
17歳になった萌音と愛音。
もう、わたしが人間界留学に行った年齢を追い越した。
二人とも綺麗になったけど、やっぱり末っ子だから甘えん坊。
でも、本当に大きくなったふたり。
人間界に旅立った日が、昔だったんだと思い知る。
だって、あんなに小さかったのに・・・。
「久しぶりに萌音ちゃんと愛音ちゃんに会ったけど、綺麗になったな」
「・・・でしょう?妹ながら、驚くわ」
「でも、中身は変わってないな」
「ええ。なんだか随分と年をとってしまった気がする」
「あはは!ま、その気持ちわからなくもないけどね」
「悠斗君も大きくなったものね」
「アイツは昔からそんなに変わらなかったけどな」
「湊と似てないしね」
「そうそう。あいつは連斗みたいなタイプだよな」
「連斗君・・・うん、そうかもね」
サラッと何でもこなす所なんか、連斗君に確かに似てる・・・かな。
こうして人間界で知り合った人の話を湊と海で出来るなんて少し不思議な気分。
ささっと軽く朝食を取り終えて、お茶を入れてもらって部屋に戻った。
軽いお菓子と、少し甘いお茶でゆっくりしようと。
「ねえ、何か・・・話したいことがあるんじゃないの?」
そう切り出した。
だって、わざわざお休みの日なのに“会おう”だなんて・・・。
それまで2週間近く一緒にいたんだから・・・。
何か用があるのよね?
「ん?ああ・・・まぁ、ね」
「何よ〜、曖昧ね」
「・・・大したことじゃないんだけど・・・」
「何?ここまできて別れましょう、なんて話じゃないでしょ?」
「まさか。そんなことあり得ない」
「じゃあ、話してよ」
「・・・俺、さ」
「ん?」
「人間界初めて行ってさ・・・歌音と過ごしてきた人に会ってさ…歌音が戻ってきたのって奇跡みたいだと思ったんだ」
「・・・?」
「すげーいい人たちじゃん、みんな。人間界もいいとこだしさ・・・」
「そう、だけど…でも、奇跡だなんて言い過ぎよ」
「そうかな・・・人間界留学に行った人魚の半分以上が帰ってこない理由が、俺はわかった気がするけど」
「それは・・・」
「いい人たちがいて、環境が良くて、好きになったヤツが好きだと言ってくれたら・・・そりゃ帰ってこないよな。
だから、歌音が帰ってきたことって、幸せなことだと思ったんだ」
「・・・透也君のこと?」
「ああ。アイツすげーいいやつだし・・・俺だったら・・・帰ってこないかもなって、さ」
「湊・・・」
わたしだって思ったわ。
帰ってこない人魚の気持ちわかった。
でも、わたしは、ここが大好きだから、戻ってきたかったから、決めたのよ。
だから、奇跡でもなんでもない。
わたしの意志。
「透也君の事は好きだった。それは否定しないわ。今でも大好き。だけどね・・・」
そっと、湊の頬に触れる。
「わたしは海が大好きだから帰ってきたの。奇跡なんかじゃない。わたしにとっては、当たり前の事よ」
「歌音・・・」
「それに、帰ってきてよかったと思ってる。だって、湊が好きだってわかったから。あのときの選択は間違ってなかったって思ってる」
「・・・そうか」
「湊・・・わたしはあなたを愛してる。だから、何も、心配ないわ」
「・・・ああ」
ぐいっと引き寄せられて、抱きしめられる。
ここがわたしの幸せの場所。
青い海の世界、大好きな家族、大切なあなた。
人間界には決してない、わたしの幸せ。
「ごめん。なんか、変なこと言ったな」
「ううん」
「俺も・・・愛してる」
「・・・知ってるわ」
くすくすと笑い合う。
ああ、やっぱりここが、わたしたちの居場所なんだ。
陸の上を歩いて、高い空を見上げて、洋服を身にまとった姿は偽物。
本当の自分じゃないみたいで、何かが違うと思っていた。
海の世界にいてこそ、こうして安心していられるのね。
2011.10.27.
|