海に戻って、ふたりでまずは父様と母様のところに報告に行った。
特に変わったこともないし、何の資料も持って帰ってこられなかったから、簡単なものだけれど・・・。
そして、退室する時に父様に呼び止められた。
「ああ、歌音」
「え、あ、はい」
「あとでいいから、海音に私のところまで来るように言っておくれ」
「・・・わかりました」
そうして、父様たちの部屋を出て、宮殿の入り口まで湊を送っていく。
お互いに今日はゆっくりと休もうということで、朝だけれどお別れ。
でも2週間もずっと一緒にいられたんだもの。
それだけで十分だったわ。
「歌音、明日・・・空いてる?」
「え、ええ。練習までの時間なら。でも湊は確か仕事の引き継ぎに行くって…」
「明日はないんだ。会えないかな?」
「大丈夫」
「じゃあ、迎えに来るから」
「ありがとう。今日はゆっくり休んでね」
「ああ。歌音もな」
「うん。えっと・・・おやすみなさい、はおかしいわよね」
「あははは。朝だからな。また明日な、歌音」
「また明日」
ちゅっと軽く額にキスを落とすと、湊はさっと泳いで行った。
こういう時、人間の歩くスピードの遅さを感じる。
ほら、もう湊は遠ざかっていくのに…人間はきっとまだ10メートルも進んでないわ。
「さて、海音姉様をお探ししなきゃ」
父様から言われてるものね。
まずはお部屋から、かな。
チリリン。
海音姉様の部屋のベルを鳴らす。
けれどもお返事はなかった。
うーん・・・お外にいらっしゃるのかな・・・。
「あ!歌音!おっかえりーっ」
「あら、早かったのね」
「波音姉様、紫音姉様。ただいま帰りました」
「人間界は楽しかった?」
「はいっ」
「何?海音姉様を探してるの?」
「ええ、父様から伝言を・・・」
「海音姉様なら、出かけるのを見たわよ。まだその辺にいるんじゃないかしら」
「本当ですか?紫音姉様っ」
「もちろん。急用ならさっさと追いかけた方がいいわよ」
「じゃあ、行ってきます!」
紫音姉様と波音姉様の間をすり抜けて、出入り口へと向かった。
おかしいな…さっきわたしと湊がいたのに・・・その前に出られたのかな・・・?
出入り口付近にはいないようなので、ついっと宮殿の外を回ってみることにした。
もしかしたらいらっしゃるかもしれないから。
どんどん進んでいって、4分の1ほど回ったところに人影を見つけた。
「あっ」
海音姉様だ!
あの髪としっぽの色、間違いないわ。
でも・・・でも・・・隣にいる男性・・・あれは・・・まさか・・・・・・。
・・・・・・行ってみなくちゃわからないわねっ。
「海音姉様!」
呼びかけながら、ついっと泳ぎ寄る。
そしてちらりと隣にいた男性を見た。
やっぱり・・・ウィルだわ・・・。
間違えるはずない、特徴的な姿だもの。
どうして、こんなところにいて・・・海音姉様と一緒にいるの・・・?
「あら、歌音!お帰りなさい」
「ただいま帰りました、海音姉様」
「あ、こちらお友達の・・・」
「ウィルです。初めまして」
「・・・はじめまして・・・妹の歌音です」
にっこりと笑って差し出されたウィルの手をきゅっと握る。
初めましてなんかじゃないけれど・・・ウィルが『初めまして』と言うのだから、ここはそう装っておこう。
きっと何か事情があるんだわ・・・。
「歌音、私に何か用?」
「え、ええ。父様が姉様にお部屋に来るようにと・・・」
「え、父様が?」
「はい」
「そう・・・」
「行ってきなよ、海音。お父さんが呼んでるんだろう?」
「ウィル・・・えっと・・・」
「わたし、お相手してますから。父様の用事も長くはなさそうですし、お待ちしてます」
「話し相手がいるなら、僕もここで待ってるよ」
「じゃあ・・・歌音、よろしくね」
「はい」
「すぐに戻るわ!」
そう言って海音姉様は軽やかに出入り口に向かって泳いで言った。
姿が見えなくなるまで見送って、くるりとウィルの方を向く。
「えっと・・・歌音、だよね?」
「ええ・・・ウィル」
「驚いた・・・ここ、君のいる海だっけ…忘れてたよ…」
「わたしの方が驚いたわ・・・あんなに遠い南の海からわざわざ・・・でも、いらしてるとは聞いていないんですけれど」
「非公式の旅行だから」
「・・・どれくらいいるの?」
「もう一週間以上いるよ。まあ、あと一週間ちょっとしかいられないんだけど・・・」
「そう・・・」
「君とは一度も会わなかったし、見かけなかったから忘れてた」
「わたし、二週間ほど留守にしていたのよ」
ウィルと面識があるのは、わたしと父様と母様だけ。
父様や母様には非公式であるのなら会うはずもない。
わたしが出かけていることもあって、歌会も開かれていないし・・・。
まさか、ウィルが来ているなんて思わなかった・・・。
それに、どうして、海音姉様と・・・?
「その様子だと、海音姉様には言ってらっしゃらないのよね?ウィリアム王子?」
「あはは、そうなんだよ歌音姫。一般人の旅行客を装ってるからね・・・・・・ということは、海音もお姫様・・・?」
「海音姉様はわたしの一番上の姉。この海の第一王女よ。ヒレでわからなかった?」
「ヒレ?」
「これよ。王家の血筋の者にしかないの」
腰のあたりにある、王家の血筋の者だけにあるヒレを強調して見せる。
この海で、このヒレを持つ者だけが、歴とした王家の血筋の者だという証。
「そうだったんだ・・・特に気にしてなかった。僕の海では、ある人もない人もいるからね。王家の証ってわけじゃないし」
「不思議ね。ウィリアム王子が海音姉様と知らずに出会うなんて」
「本当に。って、わざわざ王子とか言わないでいいって言ったじゃないか」
「はーい、ウィル」
ウィルは南の海の王家の一人息子。
ウィリアム王子。
以前、父様と母様がご招待されて南の海に行くときに、
わたしも一緒にどうぞと招待されて連れて行ってもらった時に知り合った、わたしのお友達。
歌を歌って、ウィルの笛を聴いて、話をして、楽しいひとときだった。
南の海からここまではとても遠い。
それをわざわざ来ているなんて・・・。
「でも、わざわざ旅行になんて・・・」
「一ヶ月の休暇をもらってね。なんかもう疲れちゃって」
「え?」
「お見合い三昧なんだよ。僕ももういい歳なんだから、お嫁さんくらいもらわないとってゆー・・・ね」
「そ、そうなんだ・・・」
「恋くらい自由にさせて欲しいよなぁ。その点に関しては、歌音のお父様を見習って欲しい」
「くすくす。そうね」
ウィルは海音姉様のひとつ上の年。
わたしと5つ違いのお兄さん。
でも、とっても気さくで、話しやすくて、見た目も若くてふわふわしてる人。
“敬語は聞き飽きてるから友達として話して欲しい”なんて自分から言ってくるような人なの。
だから、海音姉様より年上なのに、王子様なのに、わたしは最低限の礼儀のみで会話する。
その代わり、ウィルもわたしをお姫様扱いしない。
お互いにこの条件で納得してるわ。
「あ、ねえ、ウィル」
「何?」
「あと一週間ちょっとはいるって言ってたわよね?」
「ああ、うん。いるよ」
「あのね、一週間後にわたしの婚約発表があるの」
「・・・・・・え?歌音、結婚するの?」
「え、ええ。あ、そうか、発表してないんだから知らないわよね・・・」
「そっかぁ!おめでとう!」
「ありがとう。良かったら来て。遠くからでもいいから。歌会と一緒にやるのよ」
「歌会って、前に歌音が言ってた姉妹全員でやるコンサートってやつ?」
「そう。海音姉様も出るから」
「うわ、楽しみだなっ・・・って遠くからじゃよく聞こえないし見えないじゃないか」
「身分を明かしていいって言うのなら、一緒に参加でもして欲しいくらいなんですけれど・・・」
「あいにく、笛持ってきてないんだ」
「残念だわ。素敵な演奏なのに」
「ありがとう。また今度一緒にやろうな」
「じゃあ、席だけでも確保しておきましょうか?」
「お願いするよ。帰る前には王様にもご挨拶しなきゃと思ってたし、見つかっても問題ない」
「・・・海音姉様には言うの?わたしから伝えておきましょうか?」
「えーあー・・・うん。まだナイショにしといてくれるか?自分で言うから」
「わかったわ。あ、でも、海音姉様の方を知ってるっていうのは・・・」
「それもまぁ、話のなりゆきでなんとかするよ」
「最初に“初めまして”なんて言わなければよかったのに」
「あはは。考えなしでした」
くすくすと笑い合う。
相変わらず、とても気さくで楽しい人ね。
湊とはまた違うタイプで、本当にお兄さんが出来たみたいな感じ。
ずっと姉妹で育ってきたから、なんだか嬉しいの。
「それにしても、歌音が結婚かぁ。まるで妹に先を越された気分だ」
「お見合い三昧のウィルには悪いわね」
「恋愛結婚ってやつか」
「ええ」
「こーんな可愛い子を手に入れられるヤツが羨ましいよ」
「ふふっ、お世辞を言っても何もないわよ」
「それは残念。歌音のお相手に会えるのも楽しみにしてるよ」
「ええ。・・・海音姉様遅いわね」
「王様のご用じゃ、そんなに早く終わらないでしょ」
「そうね・・・。ねえ、海音姉様とはどうやって出会ったの?」
「ん?」
身分を知らずに出会ったふたり。
友達になったふたり。
一体どうやって出会ったのか、それは気になるじゃない?
「僕が単に迷ってただけなんだって。道を聞いたのが偶然海音で」
「まあ。海音姉様驚いたでしょうね」
「それはもう、驚いてた。まぁ、考えてみればそうか・・・
王女様に気軽に“ここに行くにはどこから行けばいいか”なんて聞かないよな」
「ええ。この海の人なら海音姉様を知らない人はいないし・・・それで旅行者だってわかったでしょうけれど」
「そう。旅行でしばらくここに留まるって言ったらいろいろ案内してくれたってわけ。で、今に至る」
「意外とお手軽な成り行きだったのね。でも、困ってる人を放っておけないの、姉様らしいな」
長女である姉様はいつもわたしたちのリーダーで、いつも引っ張ってくれる。
そして、いつもわたしたち妹のことを見ていてくれて、困っていれば助けてくれる。
だから、海音姉様は困っている人を放っておけないの。
紫音姉様なんかは“姉様はもっと自分のために動くべきだ”なんて言ってるけど・・・。
わたしはそんな姉様が大好き。
「歌音って確か6人姉妹、だったよね?」
「ええ。わたしが4番目」
「そっかぁ・・・第一王女・・・すごい人を連れ回しちゃってたんだなぁ」
「それはお互い様だと思うのは、わたしだけかしら」
「・・・・・・ああ、そうか!僕もそうだよね。あははっ、ついつい忘れてたよ」
「忘れないでよ、ウィリアム王子様」
「だからそれ、言わないでって。お忍びなんだから」
「はあい」
でも少し嬉しいな。
大好きなウィルが、大好きな海音姉様とお友達だなんて。
すると、
「歌音!」
聞き覚えのある声が後方から届いて、ウィルとくすっと笑い合った。
「姉様が戻ってこられたわね。さあ、演技開始かしら」
「・・・遊んでない?歌音・・・」
「ごめんなさい、長くなっちゃって」
「いいえ、姉様。大丈夫です」
「なんだか楽しそうだったわね」
「ああ、話が合っちゃって。退屈しないですんだよ、ありがとう歌音」
「いいえ、ウィル。こちらこそ、楽しかったわ。約束の件、また後日・・・姉様を通してお渡しするわね」
「ああ、頼むよ」
「え?何、約束?」
「ナイショです、姉様っ。じきにわかりますから」
「・・・そう・・・?」
「では、わたしは戻りますね」
「ゆっくり休んでおきなさい。明日は曲決めよ」
「わかってます、海音姉様!ウィル、また後日に」
「ああ、また」
それだけ言うと、わたしはウィルといた場所から出入り口へと泳ぎだした。
まさか王子様がいらしてるなんて思わなかったな・・・。
ナイショということは、父様にも内緒にしておかないといけないわね・・・?
歌会の席を頂きに行くときに・・・お話ししておこうかな・・・。
海音姉様と、ウィル。
・・・もしかして恋に落ちたり・・・しちゃうのかな・・・。
ううん、そんなこと、わたしが心配する事じゃない。
ふたりのことだもの、わたしが口を出す事じゃないわ。
2011.09.16.
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