**幕間**

歌音がレコーディング現場へと連れて行かれた日。
残された湊はぶらりと散歩をしていた。
歌音がとなりにいない人間界が何だか物足りなくもあり、自由でもあった。

「みーなーとーさん」
「・・・真珠」

公園のベンチに座っていた湊の前に真珠が缶コーヒーを持って現れた。
おもむろに湊にコーヒーを渡すと、自分も隣に座る。

「ありがとう。なあ、真珠」
「?」
「その“さん”付けとか敬語とか使わなくていいよ。俺たち同年齢なんだし」
「・・・あ、そっか・・・じゃあ、湊、でいいかな」
「その方が慣れてる。最初に言えば良かったんだけど・・・さ。タイミング逃したままだった」
「海で会ったときはちょっとだったし・・・あたし、湊って年上かなぁって思ってたから」
「どうして?」
「大人びてるから、かな。歌音が幼い感じだから、余計にそう見えるのかも」
「あはは、それは言えてるな」

カシュッと缶コーヒーを開ける音がふたつ響いた。
始めはこの開け方すら、湊にはわからず四苦八苦だった。
慣れてしまえば簡単なものだ。

「・・・ねえ、歌音とのこと、聞いてもいい?」
「え?前に歌音を質問攻めにしたって聞いたんだけど」
「それは前のこと。今回のことに関しては全く。そんなヒマもなかったし」
「いい話してるー。私も参加させてよ」

にゅっと後ろから登場したのは雫だった。
きゅっと真珠の首に腕を回して、にこやかに言い放った。
その突然の登場に真珠と湊が目を丸くして驚いた。

「しししし!雫ッ!!」
「あはは、ごめん、驚かせた?」
「すっげー驚いた・・・」
「真珠のとこに行く途中だったんだけど、真珠が見えたから来ちゃった」
「なんだー・・・あーもう、びっくりしたっ」
「ごめんごめん。ね、私も参加させてよ」
「別にいいけど・・・駄目?湊」
「いいよ。まだ何も始まってないし」
「おや・・・」

すとんっと雫が湊の隣に座った。
3人掛けのベンチはこれでもう満員だ。
さわさわと木々が音を立てる。

「あれ?いつから呼び捨て?」
「たった今だよ。雫もそれでいいよ。敬語とかいらないし・・・というよりは、慣れてないし」
「ふうん・・・じゃあ、湊、ね」
「ああ」
「敬語慣れしてないってあたりは、歌音と逆ね」
「歌音は普段から丁寧語の世界だし、敬語なんて慣れすぎてるからな」
「ふふっ。さすがお姫様」
「だよねー。初めて来たときには他人だからかと思ったけど、素だもんね」
「さて、何を話せばいいのかな?」

湊が真珠を見て言った。

「どっちがプロポーズしたの?」

単刀直入に言い放った真珠に湊が少し目を見開いた。

「・・・俺。歌音からなんて、死んでもありえないって」
「どうして?告白したのは歌音からなんでしょう?」
「ねえ、そう言ってたよね」

うんうん、と雫と真珠が頷いた。
歌音が自ら言っていたのだから間違いないよね、という表情をしている。
以前、海の世界に初めて行ったときに歌音から聞いたのだ。

「確かに、告白は先を越されたけど・・・結婚となるとさ、いろいろ条件が違うだろ? それに、歌音はお姫様。王家の者だ。立場はしっかりわかってるんだよ」
「どういうこと?」
「王家の人魚は王家を出られないって言っただろ?」
「湊が王家に入るんでしょう。こっちでいう婿養子、だよね」
「そう。だからだよ。王家に入るのにはそれなりのリスクがあるから。 歌音はちゃんと違いをわかってる。あいつは俺の自由を奪いたくないって言ってたしな」
「じゃあ、湊はどうしてプロポーズしたの?」
「もう嫌だったから、かな。会えない時間が長すぎた」
「側にいたい・・・から」
「そう。好きな仕事をやめてもいいって思ったんだ。もう離れていたくないと。 だから、結婚しようって言った。全てのリスクを負っても、歌音が側にいればいいから」

ふうん…と真珠も雫も一息つく。
全てのリスクを負っても側にいたい、そう言った湊がやけに大人に見えた。

「・・・ねえ、人魚の世界の王家ってどんなことしてるの?」
「やっぱり、政治とか?」
「まぁ、人間界と対して変わらないよ。ただ、こんなに複雑じゃないってだけ。 王様がいて、市民がいて・・・王家はその海の代表として動くだけ」
「その海・・・って?」
「確か、7つの海ってくくりは人間界でも通じるんだよな?それだよ。 他の海には他の王がいて、人魚が住んでるから。ただ、人間界みたいに自由に行き来できないけど」
「え?どうして?」
「海の方が自由に行き来できそうなのに」
「移動手段だよ。飛行機とかないし、ものすごく時間がかかるんだ。何日もかかる場合だってある」
「なるほど・・・広いもんね陸なんかよりずっと」
「それで遠距離恋愛に負けたと」
「ココとは違って、電話なんてものもメールなんてものもないからな。 人間界って本当に便利だって思うよ。歌音が言ってた事がやっとわかった」
「そっか・・・私も遠距離恋愛だったけど、メールも電話もしてたし・・・ 会いに行くのにも二時間くらいですんだし・・・湊が我慢できなくなったっていうの、分かる気がするな」

雫が過去を思い出しながら懐かしそうに言った。
同時に、現代社会の電話やメールといった機能があってよかったと。

「ねえ、プロポーズの言葉って?なんて言ったの?」
「・・・結婚しよう、だけど?」
「えー、他になんかないの?」
「他にって・・・だいたい、こんなの聞き出してどうしようってゆーんだ」
「えへへー、実はね」

にこっと雫と真珠が笑いあった。
そのふたりに湊は一瞬疑問符を浮かべる。

「結婚式の披露宴で、ふたりのなれそめーみたいなのをやろうかと思って」
「はあ!?」
「でも、ほら、映像がある訳じゃないし、写真があるわけじゃないし、下手なことしゃべれないし」
「だから、物語というか、絵本みたいなのにしようかって話してて。告白の話とかは前に聞いたし」
「・・・・・・で、プロポーズのくだりを知りたい、と」
「そ☆だめ?」
「別に・・・駄目じゃないけど・・・」
「へえ、嫌がらないのね、湊」
「海の婚約披露の式に比べれば、人間界の結婚式なんて小さいものさ。帰ったらそれは盛大にやらされるんだぜ」
「なるほど。規模の違いね。湊も鍛えられてるわね」
「おかげさまで」
「ということは、結婚式となればお祭り騒ぎね」

くすくすと三人が笑いあう。
姫である歌音と結婚するということは、それだけのことなのだ。
婚約披露があり、盛大な結婚式が予定されている。
祝うためでもあり、全ての人魚にふたりを認めさせ、認識してもらうためである。
王家とは、その海の顔なのだから。

「で、何かないの?」
「ないって。さっき言っただろ?全部捨てても歌音と一緒にいたい。それだけ」
「なるほどね・・・なんて明解な理由かしら」
「ね、王様に挨拶に行くとき、どうだった?」
「・・・・・・何というか・・・バレてたな」
「へ?」

真珠と雫がすっとんきょうな声を上げた。

「バレてた?」
「そ。琴音様なんて明らかにわかってただろうな」
「じゃあ、アッサリ・・・」
「アッサリ。王家に入ることと、仕事を辞めることくらいかな、確認されたのは」
「へぇ…歌音も言ってたけど・・・王様って、甘いよね・・・娘に」
「琴音様はさすがって感じね」
「ただの親だからな、王様といえど。俺は小さい頃から歌音と一緒にいたし、 恋人だっていうのは公然の関係だったから・・・ふたりで話があると訪ねれば・・・ まぁ、それしかないだろうってわかってたみたいだ」
「なるほど。ある意味人間界の一般家庭の方がドラマチックだわ」

よくある“うちの娘はやらん!”みたいなドラマを想像して真珠がうなずいた。
でも、姉のさんごが割とすんなり結婚している手前、そうでもないかと思い直す。

「逆に、俺の両親の方が大変だった」
「え?どうして?あ、お婿に出すから?」
「違う違う。歌音が相手だから。両親は歌音のこと“お姫様”として見てるから」
「でも、恋人同士なのは公然の関係だったんでしょ?」
「それなら今更って感じじゃ・・・」
「知ってはいたけど、実感がないってやつ。歌音が家に来る事ってなかったし・・・」
「へえ…。じゃあ、ご両親からすれば、突如お姫様がやってきて結婚報告された!ってわけね」
「そう。弟の方が冷静だったくらいだね。弟は歌音に普通に接するから」
「そっかぁ。なんかどたばただけど、すんなり決まったんだね」
「ああ」

誰も止める者はいなかった。
むしろ、ふたりが恋人を5年もやっていたのでいつか結婚するだろうと思う者の方が多かった。
ただ、時期がいつか、というだけで。
お姫様と“遊び”ではつきあえないからだ。

「うーん、なんかおもしろくないなぁ」
「面白くないって・・・真珠は一体どんな話が欲しいわけ?」
「こう、ドラマチックな恋愛模様と結婚話」
「・・・おあいにく様、思い当たらないな」
「ねえ、指輪って海にはないの?」
「は?」

雫がうきうきとした声で聞いた。
逆に、湊は疑問符を浮かべている。

「指輪?何で」
「え、何でって・・・ないんだ・・・それじゃあ盛り上がらないかぁ」
「何だよ。指輪くらいあるけど・・・指輪ひとつでなんか盛り上がるわけ?ただのアクセサリーだろ?」
「こっちではエンゲージリングとかマリッジリングってゆーのがあって、左の薬指につけるの」
「そう!それがまぁ、一種の証なのよ」
「・・・何の証?」
「彼氏がいますーとか、結婚してますーっていう」
「へぇ・・・それで真珠屋さんで指輪の場所がどーのって言ってたのか・・・」
「そう。結婚式では指輪交換もあるからね」
「なるほどね…。おもしろいな、それ。あっちでも広めたら面白そうだ」
「是非是非」

海の世界では“結婚指輪”は存在しない。
“人魚の涙”をどう身につけるかは個々によって違うし、指輪をどの指につけると意味があるだとかいう概念がないからだ。
アクセサリーのひとつとしては存在するけれど、特別な意味はなしていないのである。
当然、湊が歌音に“婚約指輪”を渡しているはずがないのだ。

「ねえ、じゃあ指輪買いに行かない?」
「え?」

雫がさらりと言う。 にっこりと笑って。

「エンゲージには間に合わないけどさ、どうせマリッジリング作らなきゃいけないんだもん。 ふたりの“人魚の涙”ももらったし、歌音がいない間に作っちゃおうよ」
「でも雫、サイズわからないじゃない」
「歌音のサイズなら知ってるよ。昔遊びで調べたじゃない。湊がいれば問題なし」
「でも」
「デザインを決めて欲しいって意味よ。きーまりっ明日行きましょ」
「・・・わかった。じゃあ、歌音にはナイショな」
「うんうん。そうしよう」

満足げに雫が頷き、真珠が納得した表情で相づちを打った。
湊も納得した様子だ。
花嫁に内緒のマリッジリング。
それはそれでいい演出だと真珠も雫も思ったらしく、満足げな表情をしている。

「ねえ・・・歌音のこと、ずっと好きだったんだよね」
「え、あ、ああ」
「透也のこと・・・歌音、話したんだよね?」
「ああ。帰ってきてすぐな。あれには正直まいった」
「どうして?」
「歌音が帰ってきたら告白しようって決めててさ、そこに〜・・・だぜ?そりゃまいるよ」
「確かに・・・」
「歌音にとって、透也は初恋だからな」

湊が少し目を伏せて言った。
そう、歌音とずっと一緒だったからこそわかる。
透也が歌音にとって初恋の人だったんだと。
そして、今でも歌音は透也のことが大好きだと。
それが、たとえ恋心ではないとしても。

「え」
「そうなの・・・?」
「知らなかった?」
「うん・・・」
「でも、そうなんだよ。アイツ、そーゆーのには超鈍いじゃん? 俺にも気づかなかったくらいだし…。そんな歌音が、帰ってきて透也の話するから、希望のカケラもなくなったね」
「へえ・・・。でも、歌音が告白したんだよね」
「そう。すげー驚いた。まさか先を越されるとは思ってなかったからな」
「ふたりの一番ドラマチックな話はそこだよね〜」
「じゃあさ・・・透也と会って…嫌じゃなかった?」
「・・・別に、嫌とかはない。ただ、ああ、こいつが透也かって・・・少し妬けたけどな」
「だよね・・・」
「でもさ、透也は良いやつだし、男としても格好いいし、それでいてあんな芸術家だし、惚れるのもわかる気がする」
「昔はそこまでじゃなかったけどね〜」

くすくすと笑いながら真珠と雫が目を合わせた。
昔の透也はもっとサバサバとしていて、子供っぽかった。
それがああなっちゃうんだから、と。

「俺は歌音を信じてる。だから、今日だって歌音を貸したわけだし」
「・・・愛してるんだね」
「当然」

湊が即答して、にっと笑った。
その笑顔に真珠と雫は一瞬見とれて、そして、歌音がこの人を好きになったのがわかる気がするなぁと胸の中でつぶやくのだった。


翌日、湊は真珠たちとクラスメイトの橋本がいるジュエリーショップに出向き、 歌音にはナイショでマリッジリングのデザインなどを決めてしまった。
できあがりが楽しみだね、と言い合いながら。