「かーのん。夜はまだ冷えるぞ」
「・・・透也君。ありがと」
「ほんと、星好きだよなぁ、歌音は」
「だって、良いお天気だし、とっても綺麗だもの」

夜、ベランダに出て星を眺めていたら、透也君がふわりと肩にブランケットをかけてくれた。
星空って大好き。
キラキラ輝く光りが、幻想的で・・・いつ見ても綺麗だなって思うの。
街では見られないし、つい、見入ってしまう。

「ありがとな」
「え?」
「歌ってくれて」
「・・・ううん。わたし、透也君と連斗君にたくさんたくさんもらってばっかりだから・・・。 わたしでよければ、いつだって歌うわ」

たくさんの事を教えてくれた二人。
この世界の音楽を教えてくれた。
ピアノ音の綺麗さも激しさも、ヴァイオリン音のなめらかさも軽さも、二人が教えてくれた。
素敵な歌を、教えてくれた。
人間界にいた二年間、あんなに歌わせてくれた。
今でもとても、感謝してる。
そして、わたしに“好き”を教えてくれた透也君に・・・。

「スタッフもさ、歌音の声良いって言ってた。ボーナストラックなんてもったいない、 デビューしちゃえばいいのにってね」
「嬉しいわ。でも、残念ながらふたりと以外は歌う気はないわ」
「それはそれは。光栄なことで」
「本当の事よ。それに、わたし、帰ってしまうし」
「・・・寂しくなるよなぁ・・・」
「また、夏に来るわ。結婚式…してくれるんでしょう?」
「本当ならやりたくないけど」
「え」
「・・・違う意味で」

違う・・・意味?
透也君の視線と言葉にドキッとする。
それって・・・どういう・・・。

「好きだったヤツの結婚式なんて、見たくないって意味。まぁ、気にしないで。今は大丈夫だから」
「透也・・・君・・・」
「ほんと、気にしなくていいから。歌音は湊と幸せになれ」
「・・・・・・ええ」

ごめんなさい・・・今でも透也君のことは大好きよ。
でも、どうしても、湊には…勝てないのよ。
だって、わたしは彼を愛してる。
愛しいと思ってる。
だから・・・ごめんなさい・・・。

「さ、もう中に入ろう。明日もあるし」
「ねえ、わたし、明日何かあった?」
「ん?ないけど・・・歌音を送っていける人間がいないし・・・聴きたくない?俺たちの生演奏」
「聴きたい!」
「だろ。だから、歌音は明日は見学な」
「やったぁ。楽しみっ」
「ほら、行くぞ」
「ええ」

生演奏を、CD録音される演奏を聴けちゃうなんて、なんて贅沢なの!
来てよかった・・・。







夜中、なんだか目が覚めてしまって、部屋から出た。
一部屋、明かりがついているのが見える。
わずかに漏れる明かり。
そこはスタジオに入る前にあるリビングルーム。
ドアのガラス部分から覗いてみると、連斗君がいるのがわかった。

キィ・・・。
わたしがドアを開ける音に、連斗君がハッとして振り向く。

「・・・・・・歌音。どうしたんだ?」
「ちょっと目が覚めちゃって・・・」
「そっか・・・あ、ココア飲む?ちょうどいれようと思ってお湯を沸かしたんだ」
「・・・ええ」
「よし、じゃ、ちょっと座って待ってて」
「うん」

連斗君が座っていたソファから立ち上がり、キッチンへと消える。
ソファにはヴァイオリンが置かれていた。
・・・・・・調整、してたのかな?
わたしは連斗君の言ったとおりに、ソファへと腰掛けた。
綺麗な色をしたヴァイオリン。
まるで、紅茶のように、赤みのかかった茶色。
ずっとずっと・・・高校の時から同じものを使っているのね・・・。
ピンと張られた弦、しなやかなラインの胴、そこから奏でられる音があんなに綺麗だなんて・・・。
想像も出来ないわね。
机の上には譜面が置かれていた。
売っているクラシックの冊子から、コピーしたものまで。
さらっと重要なことだけが書き込んである楽譜はプロのもの。
譜面が黒くなるほどチェックを入れる事なんてない。
大切な楽譜は、頭の中にあるんだって連斗君はいつも言ってたね・・・。
でも知ってる。
真っ黒くなるほど書き込みをした楽譜も別にあって、これは本番用のものだってこと。
わざわざ綺麗なものを用意するなんて、連斗君らしいわね。

「はい、歌音。おまたせ」
「連斗君、ありがとう」
「いえいえ」

マグカップに並々と注がれた、あたたかいココアが湯気を立てていた。
連斗君からマグカップを受け取り、一口、口に運ぶ。
甘くて、ほろ苦くて、なめらかな味。
ぽすんと連斗君がわたしの隣に座る。

「ごめんなさい、邪魔しちゃったかしら」
「いや、ちょうど終わったところ」
「何をしていたの?」
「弦を張り替えてたんだ。一本切れちゃってね」
「そうだったの・・・」
「ごめん、散らかってて。今片付けるから」
「ううん、気にしないで」
「いーのいーの、どうせ片付けるんだから」

そう言うと、連斗君はマグカップをテーブルに置いて、バサバサと楽譜をかき集めてひとまとめにした。

「・・・歌音」
「ん?」
「・・・ありがとうな」
「え?何が?」
「引き受けてくれて。ほんと、急な企画と申し出だったのに・・・」
「わ、わたしの方こそ、ありがとう。一緒に出来るなんて思ってなかったから嬉しかったわ。 こうして生演奏まで聴けちゃうし」
「・・・変わらないな、歌音は」
「・・・連斗君は変わったの?」
「いや・・・そうは思ってないけど・・・。また、歌音とこうやっていられるのが夢みたいで・・・さ」
「そうね・・・わたしもそうよ。人間界で結婚式するなんて思ってなかったしね」
「結婚・・・か。早いよなあっ、あの歌音が結婚!」
「あ、あの歌音って・・・」
「だって、そうだろう?鈍感で天然で、ふわふわーな歌音が一番最初に結婚するなんて誰も思ってなかったって」
「ど、鈍感で天然・・・かな」

くすくすと笑って言う連斗君。
鈍感だーって湊にも姉様にも言われるけど・・・そんなにわかりやすいほど、わたし何かを見逃してたかしら・・・?
海の世界で、周知の承知だった湊の気持ちに気づかなかったわたしは、 確かに鈍感と言われてもおかしくないけれど・・・人間界ではそんなに・・・。

「鈍感だよ。だって、透也のこと気づいてなかっただろ」
「・・・連斗君は・・・」
「知ってたよ、もちろん。アイツもわかりやすいし・・・おれはずっと一緒にいたから」
「・・・もしかして、透也君がずっと・・・わたしを好きだって・・・気づいてたの?」
「それはいつの話?」
「え?」
「・・・知ってたよ。高校時代も、そのあとも」
「あと・・・?」
「透也が歌音のことを・・・ひきずってるってね」
「・・・・・・」
「歌音が気にする必要はなにもないよ」

ココアを片手に、連斗君がふわっと優しく笑って言った。
透也君も同じ事を言ってくれた・・・。
でも・・・。

「でも、わたし・・・」
「何か?」
「嫌なの・・・わたしのせいで・・・透也君がちゃんと恋・・・できないのが」
「・・・・・・」
「わたしだって、透也君のことは大好き。でもそれは、連斗君への大好きと何も変わらないの。 わたしはもう、そういう“好き”では透也君のことを見ていない。なのに・・・」
「それはアイツの勝手だよ。歌音がそう思ってることはわかってる」
「透也君はわたしに“おめでとう”って言ってくれたのに、 わたしは透也君の幸せを邪魔してるような気がして・・・嫌なの。ちゃんと、幸せになって欲しい」
「・・・だから、透也は結婚式しようって言ったんだよ。歌音の幸せな姿を見るために」
「え・・・?」
「一種のケジメなのさ。だから、歌音は思いっきり幸せな顔して湊の側にいればいい。それが、歌音の出来ることだよ」
「・・・いいのかな?そんなことで・・・」
「そもそも、歌音の幸せな姿を見るためにみんな動いてるんだ。だから、そんなへこんだ顔した歌音は嫌だ」
「連斗君・・・」
「な?わかった?」
「はい・・・」

くしゃくしゃと、まるで子供を褒めるかのように連斗君がわたしの頭をなでた。

“歌音の幸せな姿を見るために”

たった、それだけのことのために、こんなにみんなは動いてくれてるの・・・?
だったら、わたしは笑ってないといけないわね。
幸せだって、ちゃんと伝えなきゃ。

「ところで」
「ん?」
「歌音たちは、どっちがプロポーズしたの?」
「え?」

連斗君から意外な言葉が飛び出した。
え?プロポーズ??

「み、湊から聞いてない・・・?」
「聞いてないな。というか、質問してない」
「き、聞いてどうするの?」
「将来の参考に」

にっこりと言う連斗君。
ああ、逃れられないわね・・・こういう連斗君には逆らえないもの。

「・・・湊よ。わたしからは言えないわ」
「どうして?」
「だって、わたし、“王女様”ですもの。そんなこと言えない。 わたしの言葉には束縛という二文字がついてまわるのよ」
「なるほど・・・確かに」
「ねえ、連斗君。“将来の参考に”ってことは、美菜穂さんと・・・結婚する気はあるのね?」
「・・・いつかは、ね。そうなればいいと思ってる」
「連斗君と美菜穂さんはわたしたちよりも長いつきあいなんだから、 もっと早く結婚すると思ったわ。えっと・・・もう7年?」
「うん。だけど・・・まだ、おれは美菜穂を縛りたくないんだ」
「・・・・・・」
「美菜穂、いつかは海外で通訳とかしたいって言うし・・・…おれもまだまだだし・・・ おれと結婚することで、いろいろと縛ってしまうだろうから、まだ言わない」
「・・・わたしと一緒ね」
「え?」

わたしも思ってた。
湊を縛りたくないと。
だから、寂しくても、結婚できなくてもいいと思ってた。
わたしと一緒になると言うことは、縛る鎖が増えるだけだから・・・。
連斗君も、わたしと同じ事考えてるのね。

「わたしもそうだった。湊のことを縛りたくないって。だから結婚できなくてもいいと思ってたの」
「・・・歌音が?」
「そうよ。わたし、王女だもの。お嫁に行けないの」
「あ、そうか・・・なるほど・・・」
「わたしと結婚するってことは、たくさんのしがらみがついて回るわ。 仕事を辞めて、王家に入って、たくさんの教養としきたりを覚えて、公務だと言って表舞台に出される。 はっきり言って、リスクの方が大きいわ」
「・・・・・・」
「それでも・・・湊は言ってくれた。一緒にいたいって、言ってくれたの」
「・・・格好いいな、湊」
「連斗君が美菜穂さんを縛りたくないって、そう思うの、よくわかる。でも・・・」
「でも?」
「女の子に言わせちゃダメだからね」
「・・・え?」
「真珠たちが言ってたの。プロポーズはするんじゃなくて、されたいねって。だから」
「なるほどね。わかった。よーく心にとめておくよ」
「うん」

プロポーズの言葉は“言って欲しい”のが女の子。
その言葉を待ってる人だっているんだって。
それが“人間界の女の子”。

「美菜穂さんとの結婚式にはよんでね。一曲歌いに来るわ」
「それはそれは、ありがとう。そうだね、いつか、必ず」
「楽しみにしてるわ」

くすくすとふたりで笑い合う。
この人間界で出会ったみんなが幸せになるのを祈ってる。
幸せは人それぞれだって言うけど・・・でも、出来るならみんな、“おめでとう”を言える幸せになってほしい。
連斗君と美菜穂さんにも。
透也君にも。
真珠と春樹、雫と星さん、あくあにも・・・。
みんなに“おめでとう”を言える日が来ることを、祈ってる。



翌日、一日ふたりのレコーディング風景を見学して、夜に真珠の家へと戻った。
3日間、なんだか夢のような時間だった気がする。