「うわぁ、すごいところに建ってるのね!」
「雫の別荘には負けるけどね」

着いたところは森の中で、ぽつんと大きなロッジが建っているだけだった。
自然に囲まれた場所。

「お、来たな」
「透也君!おはよう」
「おはよ、歌音。まぁ、おはようって時間でもないけどな」
「よ、何?お出迎え?」

トントンと玄関に続く階段を下りてきた透也君に、ヴァイオリンケースを出しながら連斗君がくすくす笑いながら言った。

「そんなんじゃねーよ」
「で、終わったわけ?」
「おう、完璧。今日はあとおまえの録りと、音合わせだかんな」
「ハイハイ」
「歌音、ほら、入れよ」
「え、あ、ええ。ありがとう」

室内もとても綺麗だった。
宿泊施設も整っている録音スタジオで、とても広いの。
部屋に案内してもらって、荷物を置いてから連斗君、透也君たちとスタッフさんのいる部屋へと向かった。

「お、連斗君、来たな〜」
「おはようございます」
「おはよう。えっと、そっちの彼女は・・・」
「水城歌音です。初めまして」
「今回のボーナストラックを歌ってもらう歌音です」
「へーえ、可愛い子じゃない。どっちの彼女?」
「どちらのでもないですよ。歌音には他にすげーイケメンがいますから」
「え?」
「歌音は気にしなくていいから」
「??」

イケメン・・・って湊の事よね・・・?

「あ、本間さん」
「んー?」
「歌音のことは、写真、撮らないでもらえますか?」
「・・・どうしてだい?」

連斗君がカメラを持った男性、本間さんに言った。
カメラを持っているということは、カメラマンさんなんだよね?
わたしの写真って・・・どういう・・・。

「彼女のことはなるべく情報を少なくしたいんですよ。 名前も英語でCanonとしか表示しない予定ですし、プロフィールもなしで、写真もなしでいくつもりなんです」
「歌音はいつもコッチにいるわけじゃないですし、好意で歌ってもらうだけなんですよ」
「へーえ・・・謎の歌手って感じだねぇ。こんなに可愛い子なのに、 被写体に出来ないとはもったいないなぁ。ま、つまり、公開しなければ撮って良いんだろう?」
「・・・え、あ、え?」

本間さんがいきなりわたしのことをじっと見て言った。
そのにっこりと笑った瞳にYESと言わざるを得ない力がある。

「えっと・・・はい」
「OKOK。了解」
「ありがとうございます」

名前も、写真も、プロフィールも出さない。
わたしが・・・人魚だから・・・気遣ってくれたんだね、きっと。
ずっと人間界にいられるわけじゃないし、 何か問い合わせがあってもわたしは対応できないから・・・情報を少なくしてくれるんだ・・・。
ごめんなさい、ありがとう・・・。

「で、ふたりと歌音ちゃんはどういう関係?」
「親友ですよ。高校時代のね」
「おや、歌い手さんだってゆーから大学のお友達かと思った」
「コッチにいないって言ったじゃないですかー」
「あはは、そうだったね。さ、ちょうど良い時間だ。昼飯にしよう」

その一言で、ガタガタと人が動き出した。
女性もいるけど、スタッフさんは圧倒的に男性が多い。


「透也君、連斗君」
「ん?」
「何」
「・・・ありがとう」
「・・・・・・何かお礼言われるようなことしたっけ?」
「心当たりはないけど」
「いいのっ。ありがとう」

スタッフさんたちと一緒にお昼を食べて、その後、連斗君はヴァイオリンのみの録音のために別行動。
わたしと透也君で新曲の音取りと練習のために別の部屋へと移動した。



「楽譜、連斗からもらってるよな」
「ええ」

アップライトのピアノのフタを開けながら透也君が言った。
アップライトは、ちょっと透也君には似合わないな。
不謹慎にもそう思ってしまう。

「譜面台、そこにあるやつ使って大丈夫だから」
「うん」

とんっと端によせて置いてある譜面台を引き寄せて、楽譜を置いた。
譜面台を使うって、慣れてないから不思議な感じ。
合唱部では自分で持っていたし、海の世界では楽譜というものはほとんど歌い手には関係がなかったから。

「新曲、見た?」
「ええ。それに、連斗君にCD聴かせてもらったわ」
「じゃあ、曲調はわかってるよな」
「大丈夫だと思う。あとは、言葉の読み方なんだけど・・・前にならったので間違いないかな?」
「へぇ・・・覚えてるんだ。それなら間違いないと思うけど・・・まぁ、違ってたら言うからさ。 あー、これ最初連斗と合わせるとこじゃん・・・アイツいないとどうにもなんないな・・・。 他のやつやってようか。それなら発声練習になるし、確認だけだし」
「はーい。アヴェ・マリアとピエ・イエズよね」
「そ。宗教曲3曲の選択なんて、マニアックだと思った?」
「でも、クラシックだし・・・わたし、オペラって感じじゃないものね?」
「そうだな。まぁ、他にも名曲と言われる歌曲は山ほどあるけど…単に俺たちの好みで選んでるからさ」
「わたしも、大好きよ」
「それじゃ、お姫様。お手柔らかにお願いしますよ」

透也君がふざけてかしこまったポーズをとった。

「まぁ、こちらこそ」

ここは仕返しをしなくちゃ、と思って、私もスカートの裾を持って“人間界”のかしこまった挨拶を返す。
それがいちいちおかしくって、思わず笑ってしまった。
数年前は想像できなかった。
こんな風にふざけていられるなんて。
こんな風に、わたしの“本当”を知ってからつきあっていられるなんて・・・。



そうしてその日の午後は練習して、翌日にレコーディングした。
ふたりと奏でる音楽は最高に心地よくて、素敵な時間で、もう一度こんな時間がくればいいのにと願わずにはいられなかった。
夕方には『まさに晩課の時間だね』なんて言いながらラウダーテ・ドミヌムを録音した。
窓から差し込む夕日のオレンジ色が、とても眩しくて、輝かしくて、宝石のように綺麗な色だった。
連斗君の奏でるヴァイオリンがとても綺麗でその場に合っていて、思わず聞き惚れて入り損ねてもう一度・・・なんて事があったほどに。
だって、本当に素敵だったの。
ヴァイオリンの音って、綺麗で、なめらかで、大好き。