「おーい、湊ー、ちょっといいか?」
「え、ああ。いいよ」

夜。
夕食も終わった後、部屋にいたら連斗君に湊が呼ばれた。

「ちょっと行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「悪いな、歌音。湊借りるよ」
「どうぞどうぞ」

湊と連斗君が連れ立って部屋の外へと行ってしまった。

「ふう・・・」

とたんに静になった部屋に、開け放した窓から、ざざん・・・ざざん・・・と打ち寄せる波音が聞こえる。
ふわりと入ってくる風は湿っていて、潮の香りがする。
今日は星がよく見えるかしら・・・。
そう思って、バルコニーから砂浜へと降り立った。
見上げると、チラチラと輝く星。
さすがに、雫の別荘ほど綺麗には見えないけれど、優しい月の光と輝く星はとても綺麗だった。
わたしの住む世界からは、決して見られない、空・・・。
この輝きを、この空の高さを、感じるのが好き。
果てしなく続いている、空間・・・。


「歌音」

ふと呼ばれて、振り向く。

「透也君」

そこには透也君がいた。

「何してるの?」
「星を見てるのよ。空は、海からは決して見えないから・・・」
「・・・・・・そっか。あれ?湊は一緒じゃないの?」
「連斗君に呼ばれて行っちゃった。何か用があったみたい」
「そう」

透也君と並んで今は見えない水平線を見つめる。
キラキラ輝く星と、キラキラ輝く水面。
ざざん・・・ざざん・・・と規則正しい寝息のように打ち寄せる波。
全て、わたしのいる世界では感じられないこと。

「なぁ、歌音」
「ん?」
「聞いてもいい?」
「答えられることなら」

くすっと笑い合う。
“聞いてもいい?”なんて質問、ないわよね。

「湊とはさ・・・いつから?」
「うーん・・・帰ってすぐ・・・かな」
「すぐ?」
「ええ。湊とはもともと幼なじみだったんだけど・・・って湊に聞いてない?」
「幼なじみだっていうのは聞いたけど」
「そう。わたしが気がつかなかっただけなのよ」
「何に?」
「湊が好きってことに。そうゆう風に見たことがなかったの。帰って、嫌でもそう気づいただけ」
「へぇ・・・湊はずっと歌音が好きだったって言ってたけど」
「そうなの。わたしだけずーっと気がつかなくて。姉様も妹たちも、友達も、みーんな知ってたって言うのよ?」
「あははは!歌音らしいなぁ」
「鈍感にもほどがあるって、紫音姉様・・・2番目の姉様によく言われたわ」
「それも歌音のいいとこ、だよ」
「ありがとう」
「告白したのって、やっぱり湊?」
「いいえ。わたし」
「え!?」

透也君が驚きの声をあげた。
意外・・・だったかな。
そうよね。湊にも言われたものね・・・。

「透也君に…ごめんなさいを言ったときに決めたの。次に誰かを好きになったら、わたしから言おうって」
「どうして・・・」
「だって、透也君はわたしに好きって気持ちくれたから。だから、次は…わたしからって思ってたの」
「そっか・・・そんなこと決めてたのか」
「ええ」

だから迷わず言えた。 湊に好きだって。
なんの見返りも求めずに。
ただ、伝えたかった。
それだけだったの・・・。
自分との約束を守りたかった。

「よかった。歌音が幸せで」
「・・・ありがとう。ね、透也君は彼女とかいないの?わたし、花嫁役なんてやって怒られないかしら」
「あー・・・・・・今は、ね。だから大丈夫」
「今はってことはいたのね」
「大学に入って、二人つきあったんだけどさ・・・すぐダメだった」
「・・・・・・?」

透也君が苦笑いしながら言う。
ダメだった?
うまくいかなかったとかじゃなくて・・・ダメ?

「実を言うとさ、俺、歌音のことずっと好きで」
「え」
「高校の間、な。歌音が帰って、そこでけじめつけたつもりだったんだけど、 やっぱりどこか引きずってたみたいでさ・・・ダメだった」
「ちゃんと好きになれなかったってこと?」
「好きだけど、本気じゃなかったって感じ。別に告ったわけじゃないし・・・ つきあったあともさ、彼女たちからも“どこか違う”って言われてさー。 だから、俺が本気好きになったやつとしかつきあわないって決めて、まぁ、かれこれ数年フリー」
「・・・ごめんなさい・・・」
「歌音が謝ることはひとつもない」
「でも・・・!」

あのあとも、好きでいてくれたなんて・・・!
親友だって、ずっと言ってて・・・ずっと側にいて・・・一緒に過ごしてて・・・。
それでも、笑ってくれてた。
わたしのこと、親友だって・・・。
わたしも、決めたことだからとずっと一緒に友達をしていた。
なのに・・・好きでいてくれたなんて・・・!
わたしのせいで、ふたりも・・・ダメにしちゃうなんて・・・。

「歌音が気にすることはない。俺の勝手だから。な?」
「・・・はい」
「そうそう、歌音に声かけたのには訳があってさ」
「え?」
「CD、渡したよな」
「ええ、とっても素敵な演奏だった。やっぱり生演奏には敵わないけど」
「今度、アルバム出すんだ」
「すごい・・・!」
「それでさ、初回限定盤でボーナストラックをつけることになって」
「初回限定盤?」
「ああ、今はそういうのが多いんだよ。最初に売り出した枚数限定のCDってこと。ボーナストラックはわかる?」
「それくらいは」
「それで、さ・・・」

透也君がじっとわたしのことを見た。
な、に…?

「歌ってくれないか?歌音」
「え?歌・・・?」
「ああ。さっき連斗とも話したんだ。歌音が歌ってくれればいいのにって」
「え、あ、その、ボーナストラックで?」
「そう。3曲くらいでいいんだ。前にやったヤツでもいいし、新しいのでもいい。初回盤なら枚数も多くないし」
「でも、ふたりの演奏のCDなんだもの!わたしが歌ってもなんのボーナスにもならないわ」
「俺たちが伴奏するんだからいいじゃないか。それに、音だけじゃつまんないって」
「でも!」
「歌だってひとつの音楽だし、俺も連斗も好きな歌入れたいし」
「でも・・・・・・わたし、あとちょっとしかいられないし・・・」
「レコーディング、実は来週なんだ。まだ歌音がいる期間なんだよ」
「そんな、アルバムの特典なんて大事なとこ」
「歌音なら充分いけるって」
「でも・・・そんな・・・大事なアルバムに・・・」
「はぁ・・・ったく・・・」

透也君がふうっとため息をついた。
ぽりぽりと頭をかいている。 昔からのクセ・・・。
だって、そんな大きなこと、簡単に引き受けられない。
CDを買う人たちは、透也君と連斗君の演奏を聴きたいのに、 その特別盤のオマケがふたりの演奏じゃなくてわたしが歌ってるなんて・・・そんなの申し訳ない。

「歌音がいいんだ。歌音に歌って欲しい。ダメか?」
「・・・ふたりが・・・本当にそう思うなら・・・いいわ」
「よし!決まりっ!やったっ」

満面の笑み。
そんな風にコドモみたいに笑う透也君を・・・久しぶりに見た気がする。
高校生の頃みたいな雰囲気はなくて、今はとても落ち着いた、男の人になっていたから・・・。
でも、そんな笑顔を見ると、変わってないんだなってちょっと安心した。

「練習、させてね?」
「もちろん。連斗も喜ぶだろうな。曲目は明日とか明後日くらいに決めて言うよ」
「ええ」
「3人でやるの・・・久しぶりだよな」
「高校生の時以来ね」
「・・・・・・すげー懐かしい」
「また、ふたりの演奏が聴けると思うとドキドキしちゃう。わたし、ふたりの演奏大好きだから」
「あの頃よりも数倍上手くなってるから覚悟しとけよ」
「はぁいっ」

ざざん・・・ざん・・・。
打ち寄せる波が音楽のように響き渡る。
また、ふたりと一緒に音楽ができる。
また、ふたりの演奏を聴くことが出来る。
こんなに贅沢な事って・・・ないわよね。
ああ、想像しただけで嬉しくなるわ。



「しっかし、歌音が結婚かー。マジで驚いた」
「そうね、早いほうかも」
「お姉さん達は結婚してるのか?」
「いいえ。今のところ、わたしだけ」
「へぇ・・・」
「もう、離れていたくなかったの…」
「遠距離恋愛って、こっちだけの事じゃなかったんだな」
「そうね」

さくさくと砂を踏みしめる。

「あのね、透也君」
「ん?」
「透也君のこと色々教えてもらったから、ひとつ、まだ言ってなかったこと、教えてあげる」
「え、なに」

くるりと振り返って、透也君と向き合う。

「わたしの初恋、透也君なんだよ」
「え」
「ファーストキス、も、ね」
「あ・・・れは・・・」
「謝らないで。嬉しかったんだから」
「・・・・・・」
「わたしに“好き”ってこと教えてくれたのは透也君なの。ありがとう、わたしを好きになってくれて」
「歌音・・・」
「きっと見つかるよ。わたしよりずっと素敵な、透也君だけの人が。わたしが湊に逢えたように、透也君も」
「・・・・・・ああ」
「わたしのこと忘れて、なんてそんなこと言えないけど・・・素敵な恋、してね」
「・・・歌音のこと忘れるなんて無理だよ」
「・・・わたしも、透也君のこと忘れないから。きっと、一生ずうーっと・・・透也君は大事な人だよ」
「ありがと」

「今も大好きよ、透也君」

「え・・・」
「あ、えと、そーゆー意味、じゃなくて・・・」
「わかってる。わかってるさ、その、くらい・・・」

ふいに、ぎゅっと抱きしめられた。
え・・・・・・?
なに・・・?

「透也君?」
「ごめん・・・今だけ・・・今だけでいいから・・・」
「・・・・・・」

透也君の少し押し殺したような声とその言葉に、何故か胸が苦しくなる。
抱きしめられた腕をほどけない。
ねぇ・・・あなたはどれだけ苦しかったの・・・?
わたしが友達として接すること・・・どんな風に見てきたの・・・?
好きな人がいるって言ったわたしを・・・。

今でも大好き。
それは、昔も今も変わらない。
透也君のこと、一番、大切な友達だって思ってる。
わたしにたくさんのものをくれた人。
たくさんのことを教えてくれた人。
初めて、好きになった人・・・。

「歌音・・・」
「なぁに?」
「・・・俺、歌音のこと・・・ずっと・・・好きだったよ」

わたしの耳元で、そっと透也君が言った。

「・・・・・・ありがとう」
「歌音の幸せ・・・いつも、願ってるから」
「うん・・・」

するりと透也君が腕をほどいた。
そして、軽く、わたしの額に口づけを落とした。

「おやすみ、歌音」
「・・・おやすみなさい」

そう言うと、透也君はくるりと背を向けて、部屋へと歩き出した。
その言葉が、わたしたちふたりのけじめ。
ここで、おしまいだという・・・。


また、海を見つめる。
潮風がわたしの長い髪をさらっていく。
あのときも・・・海のにおいがしたわね・・・。
どうしてかしら・・・。
今は湊のことが好きなのに、どうしてこんなに切なくなるんだろう・・・。
透也君が言った言葉が、頭の中をリフレインする。

“・・・俺、歌音のこと・・・ずっと・・・好きだったよ”

悲しいわけじゃない。
苦しいわけじゃない。
わたしが一番好きなのは透也君じゃない。

なのにどうして、こんなに、胸がぎゅっとするの・・・?


「歌音」

ふいに呼ばれて、後ろからきゅっと抱きしめられた。
その声・・・。

「み、なと・・・」

見上げると、湊の顔があった。
いつもと変わらない、優しい表情・・・。

「この浮気者ー」
「・・・見てたの?」
「全部じゃないけど」

くすくすと笑って湊が腕をほどいた。
まさか、湊に見られていたなんて・・・!

「浮気なんてしてないわ。ちょっと…懐かしかっただけよ」
「そんな雰囲気じゃなかったけどなー」
「・・・昔話だから」
「その割には・・・」
「な、に」
「・・・・・・俺の前では我慢しなくてもいい」
「え?」
「歌音とのつきあいも長いから、そのくらいわかるって」
「〜〜〜〜」

湊のその言葉に結んでいた唇がほどけていく。
ぽろぽろと涙が頬を伝って砂浜に落ちた。

「まったく・・・」

ひょいっと湊がわたしのことを抱き上げる。
ぎゅっと湊の首にしがみつく。
どうしてわかっちゃうの。
どうしてわたしのこと、そんなに気づいてくれるの。
どうして、見ていたのに優しくしてくれるの・・・。

湊は知ってる。
わたしが透也君を好きだったこと。
大切な人だって事。
なのに・・・。

「ごめんなさい・・・」
「どうした?透也と何かあったのか?」
「・・・・・・」

ふるふると首を横に振る。
特に何かあったわけじゃない。
透也君が悪いんじゃない・・・。
泣きたくなるような会話をしたわけでもない。

「わからないの・・・でも、どうしてかわからないけど・・・涙が出るの」
「・・・そう。いいよ、泣いときな」
「・・・ありがと・・・」

どうしてかしら。
わからないの。
でも、胸が苦しくて。
ぎゅっと締め付けられて。
泣きたくないのに涙がこぼれるの。
特に何か、特別悲しいことや嬉しいことがあったわけでもないのに・・・。
ねぇ・・・どうしてこんなに切ないの・・・?


「さっきさ・・・」
「ん・・・?」

湊の言葉に、肩にうずめていた顔を上げて、視線を合わせる。

「透也と歌音見てさ…正直、嫉妬した」
「・・・・・・」
「王女様を好きになった時から、嫉妬なんて数え切れないほどしてるけどさ・・・本気で嫉妬した」
「・・・ごめん・・・」

とんっと地面に足が着く。
体勢を立て直す間もなく、湊に抱き寄せられた。

「歌音は俺のものなのにって・・・」
「・・・うん・・・」
「子供みたいだよな・・・俺・・・。透也と歌音が結婚式のパンフレット撮影って聞いたときも・・・俺、透也に嫉妬した」
「…ごめんなさい・・・」
「ほんと、情けないな・・・」
「そんなことない・・・そんなことないよ」

きゅっと湊の背中に腕を回した。
わたしがもし、湊の立場だったら、きっと、すごく、怒ってる。
好きな人が、他の人と結婚式の写真なんて、ヤキモチ妬いて嫌なことたくさん言ってしまいそう。
なのに、湊は笑ってくれた。
ごめんなさい・・・不安にさせてごめんなさい・・・。

「わたし、湊のものだよ?だから、婚約したの・・・。湊が大好きだから。ずっと、一緒にいたいから」
「本当に?」
「当たり前じゃない。だから、ねえ、そんな声出さないで?」
「・・・ごめん、情けないな」
「ううん。ヤキモチ妬いてくれてちょっと嬉しいな」
「ったく・・・人の気も知らないで」
「許して」

ひょっとかかとを上げて、湊の頬にキスをする。

「ね?」
「・・・ああ。そろそろ戻るか」
「そうね。風が冷えてきたものね」

するっとふたりの間に距離を作ると、手を取って部屋の方へと歩みを進めた。
さくさくと砂を踏みしめていく。

ねえ、嘘は言ってないわ。
あなたが大好き。
だから、一緒にいたい。

不安にさせてごめんね。
鈍感な子でごめんね。
どこまでも優しいあなたに、いつも甘えてごめんね。

きっとこれからは、あなたを不安にさせないから・・・。