「さて!いい時間ね!」

トントンと資料のカタログやプリントなどをまとめながら雫が言った。
何がいい時間なの?
時刻は5時前。
ホテルの上の階の会議室であるこの部屋に綺麗な夕日のオレンジ色の光が差し込む。
さすが、ホテルだからブラインドがあって、景色は今は見えないんだけど・・・きっととっても綺麗なんだろうな。

「何がいい時間なのよ、雫」
「えへへー、実はちょっと手伝って欲しいことがあるのよ」
「何?俺たちに?」
「そう。湊さんと真理乃と美菜穂さんはココにいてもらっていいかしら。ちょっと打ち合わせたいことがあるの。ね、真理乃」
「ええ、ちょっとね。他の方々は雫と一緒にチャペルに行って欲しいのよ」

真理乃さんがニッコリと笑って言った。
美人の真理乃さんがそうやって笑うと、とても逆らえる気がしない・・・。

「いい?」
「別にいいけど・・・」
「ああ・・・」
「じゃ、行きましょ。また夕食の席で合流ね」
「了解。こっちはまかせて」
「よろしく、真理乃」

そして、雫と真理乃さんの計画にのせられるまま、わたしたちは二手に分かれた。
わたしと雫と真珠と連斗君と透也君はチャペルへ。
真理乃さんと美菜穂さんと湊は会議室。
一体何を“手伝って”欲しいのかしら・・・。

「あー、連斗、悪いんだけどヴァイオリン持ってきてくれない?」
「え?何、ヴァイオリンがいるの?」
「音響チェックさせてあげる☆よろしくね」
「・・・はいはい。雫もゴーインになったなぁ・・・」
「私たちは行きましょ」

連斗君にヴァイオリンを持ってくるように指示した雫は満足げにチャペルへと足を向けた。
音響チェック・・・?

「なー、何するんだ?雫」
「あら、透也、何か不満?」

綺麗な夕日の光を浴びながら、綺麗な庭を歩いていく。
ざざあん、ざざんと波が寄せては引く音が聞こえてくる。
夕方になって、少しさめた風が髪をなびかせた。
ああ・・・なんて素敵なのかしら。
ひとりでそんなことを思っている。

「不満ってわけじゃないけど・・・歌音連れてきて、湊置いてきて、いいのかよ」
「いーのよいーの!全く、コレは透也へのバースデープレゼントよ!ありがたく受け取りなさいって」
「・・・はあ?」
「透也君、お誕生日まだよね?」
「先払いってことよ。さささ、準備するわよーっ。石川さん、よろしくね」
「はい」

建物の入り口で待ち構えていた石川さんがにっこりと笑って返事をした。
い、いつのまにそんなところに・・・!
そして、透也君と石川さんは別室へ、わたしたちも違う部屋へ案内された。

「何をすればいいの?雫」
「そうよ、あたしも聞いてない」
「へへー。実はちょおっと写真を撮らせて欲しいのよ」
「写真!?」

き、昨日さんざん撮られたばかりよ・・・?
一体なんの写真がいるの?

「知ってる?ジューンブライドって言葉」
「当然じゃない」
「それに合わせて色々こっちもやりたいわけ。次のシーズンに向けてパンフとかも作りたいし。その写真をお願いしたいの」
「えーっと・・・?」
「歌音にモデルになって欲しいってことよ。真珠は歌音のドレスアップの手伝いをして欲しいの。メイクさんは用意してあるから」
「ちょ、待って雫!そんな」
「手伝ってくれるって言ったじゃない」
「う・・・」

ま、またモデル?
みんなしてわたしをそんなにモデルにしたいの・・・?
ココは好きよ。
とても綺麗だし、夢みたいな景色だし、ウエディングドレスだって綺麗で好き。
でも、わたしなんかがそんな大役をやっていいとは思えない。
もっと綺麗でしなやかにポーズをとれる、ちゃんとしたモデルさんの方が・・・良いに決まってる。

「でも雫、湊さんを置き去りにしてきたじゃない」
「ちょっと別件があるからね。でも代わりを連れてきたでしょう?」
「もしかして、透也のこと?あ、連斗にヴァイオリンって・・・演出!?」
「そ。いいわよね、歌音。透也でも」
「わ、わたしは構わないけど・・・でも・・・透也君嫌って言わないかな」
「嫌でもやらせるわよ。ということで、着替えて着替えてーっ。こっちでドレスは用意しちゃったんだから」
「拒否権なしってわけね・・・」
「雫もやることが大胆になったわねー・・・ただのお嬢様じゃないわ」
「ふふふ。なんとでも言って。さ、ドレスアップよ」

雫の満面の笑みにつられて笑いながら、わたしは雫が用意したドレスに着替えた。
ふわっふわのスカート、きゅっと締まったウエストライン。
スカートの裾がとっても長くて、どうやって歩くんだろうって思ってしまう。
二の腕まである手袋、ヴェールはマリアヴェールって言うんだって。
メイクさんが来て、髪を結って、お化粧をする。
ふわふわの甘い砂糖菓子にでも変身させられているような、そんな気分。
パウダーの甘い香り、ふわっと巻かれた髪、綺麗なドレス。
真珠も雫も見ては「短時間で華やかになるわねー。その髪」とか 「歌音は色が白いからドレスが映える」とか「やっぱり幸せな人を使うべきね」なんて言っていた。
うー・・・わたし、なんだか人間界留学していたときよりも着せ替え人形になってない・・・?



「これは透也が腰抜かすね」
「うんうん。あとで湊さんひっぱってこないと怒られそう」
「もう、褒めすぎ!」
「花嫁は褒めて良いのよ。そして褒められるものでなきゃ。 ドレスアップした花嫁を前に褒め言葉もないようじゃ礼儀がなってないってものだわ」
「確かにその通り」
「う・・・」

全てが完了したわたしの姿を見て、ふたりが腕組みをしながら言った。
やるだけやって満足した、って顔をしてるわ・・・。
わたしだって、嫌なワケじゃない。
綺麗なドレスも、自分じゃ出来ないお化粧も、髪型も・・・好きだけど、なんだかそのたびに申し訳なくなるの。
わたしはただの観光客みたいなものなのに・・・こんなにお金のかかること・・・。

「歌音?」
「え、あ、そうね」
「・・・何が?」
「え、えと・・・」
「ほらほら、行こう。あ、これは私の勝手なんだから、歌音は何にも気にする必要ないんだからね!」
「う、うん・・・」

すっと差し出された雫の手を取って、衣装部屋を出た。
真珠がスカートの裾を持ってくれて、それだけで歩きやすくなった。
連れて行かれたのは昼間見学したチャペルの式場。
二列に並んだ椅子、リボンが通路側にはかけられていて、まるで中央に招いているかのよう。
花々が飾られて、ステンドグラスから光があふれていた。
そんな素敵な場所。
夕方だから、きっと、オレンジ色の光がとっても綺麗なんだろうな・・・。

「あれ?音が聞こえる」

ふと耳にたどりついた音に気がつく。
なめらかな旋律。
ヴァイオリンの音だ・・・。
連斗君が弾いてるのね、きっと・・・。

「連斗でしょ。透也ももういるはずだけど」
「あ、ほら、オルガンの音が聞こえてきた」
「優しい音ね、オルガン」
「さ、行きましょ。スタッフもそろってるんだから」

うきうきした声で雫が言って、大きな扉をギイっと引いて開けた。
そのとたん、聞こえていた音が止む。
はっとしたように、連斗君と透也君がこっちを見た。

「お待たせ!連斗、透也!」
「・・・お姫様登場ってわけだ」
「そうよ、連斗。スタッフの皆さんもお待たせしました。よろしくお願いします」

雫が周りで待機しているスタッフの人たちにぺこりと軽く礼をして挨拶した。
黄金の光が降り注ぐチャペルは、とてもとても綺麗だった。
なんて神聖な場所なの・・・。
人間が、神様を信じるわけがわかった気がした。
こんなに素敵なものを見たら・・・神様を信じたくなる。
そして感謝したくなる。
この素晴らしい目の前の情景に。

海の世界に宗教はない。
地上みたいに仏教、キリスト教、イスラム教・・・そんなものはない。
だからわからなかった。
どうして会ったこともない存在を信じられるのか。
目に見えない存在をそんなにも信じていられるのか。
どうして感謝するの?
どうして懺悔するの?
どうして讃えるの?
どうして祈るの?
なぜ「神」という存在をそんなにも信じるのかわからなかった。

でも。

でも、なんとなく、わかった気がする。
きっと、こんな気持ちを誰かに感謝したいのね。
綺麗なものを前にした自分に後悔したりして懺悔するのね。
この世のたくさんの素敵なものを讃えて、そしてそれが続くように「神」に祈るのね…。
誰が作り出したわけでもない、自然の事。
それはきっと、神様が作ってるのね・・・。
世界を、自然を、人を、この世界の全てを・・・。

「歌音?大丈夫?」
「え、あ、ええ。あまりにも綺麗だから感動しちゃって…」

側まで来ていた連斗君がわたしの顔をのぞき込みながら言った。
声をかけられるまで気がつかないなんて…。
透也君は相変わらず設置されているオルガンの前にいる。

「ならよかった。じゃあ、一曲透也に弾いてもらおうか」
「え?」
「スタッフさんが準備してる間に。いいだろ、透也!」
「また、おまえは勝手に・・・」
「バッハあたり、よろしく」
「へーへー」

黒いスーツ、なめらかなタイをして、ぱりっと着こなしている連斗君。
それに対して透也君は真っ白なタキシードにアクセントの濃い青色のタイ。
なんだか普段とは真逆のイメージの色をお互いに着ているのが新鮮。
じっと連斗君がわたしを見て少し口の端を上げる。

「うん、雫のセンスもなかなかじゃない。さすがお嬢様」
「あら、ありがと。私のとっておきなんだから、このドレス」
「そういえば、連斗は撮影行ったんだよね?ってことは見慣れちゃったんじゃない?」
「そんなことないって。ま、透也はドキドキだろうけどね」

そう笑った連斗君にトゲをさすかのように、透也君がオルガンを弾き始めた。
電子のパイプオルガン。
分厚い音の重み、軽く転がる音、ピアノのようには響かないけれど、ホール中をわっと包み込むかのような響きの重なり。
身体を空気の振動が伝う。

「パイプオルガンはね」
「え?」

連斗君が小さな声で話し始める。

「キリスト教の中で、音楽の楽器の格付けっていうのがあって、パイプオルガンはその頂点に立つ楽器なんだ」
「・・・?」
「つまり、一番神聖な楽器として扱われているんだよ。その下が人の歌声。実は弦楽器とかのほうが格下とされてるんだ 。まあ、今はそーゆーの、あんまりないけど」
「へえ・・・でも、わかる気がするな・・・。この場所ととってもよく合ってるもの」
「・・・そうだな」

キリスト教の中で、一番高位の楽器・・・。
そんな格付けが存在することさえ知らなかったわ。
でも、確か、パイプオルガンってとっても大きくて、きっと一番大きな楽器なんじゃないかなって思うの。
それだけ壮大な楽器。
一番って言われても違和感がないわね。


透也君が弾き終わって、トンと椅子から降り立つ。
それを見計らって雫が一歩踏み出した。

「さ、撮影開始ね。歌音、透也、よろしくね!」

にっこりと笑って雫が言う。
そして、わたしを一番奥の壇上の前まで連れて行った。
横には透也君。

「雫、連斗君は?」
「連斗は楽器担当。ココ、生演奏もしてるチャペルだから、その写真ね。それはもうさっき撮っておいてもらったからいいの」
「え?」
「そ、実はおれたち撮影終了してるから」
「まさか手元だの後ろ姿だのしか撮らないのにこの格好かよっておもったぜ・・・」
「ちゃんと上着着替えたでしょ?さささ、みなさんお願いしまーす」

そそくさと雫と連斗君と真珠が後ろに下がって、スタイリストさんが出てきてドレスの裾やヴェールを直していく。

「素敵ね、透也君」
「え?」
「タキシード。ふふっ、なんだかこうしてるとわたしと透也君の結婚式をするみたいね」
「・・・・・・そういうことか」
「なに?」
「・・・いや、別に、何でもない。歌音も、よく似合ってるな」
「ありがとう」
「本番前なのに、もったいないな」
「・・・そういえばそうね。でも、これは撮影だし・・・湊とじゃないし」
「湊に殺されそうだな・・・この図」
「くすくす。そうね」

輝く光、ステンドグラス、飾られた花々、それに輝く十字架。
真っ白いウエディングドレス姿のわたしと、タキシードの透也君。
スタッフさんがいなかったら、これはわたしと透也君の結婚式みたいね。

「・・・ほんと、ウエディングドレスって不思議だな」

透也君がまじまじとわたしを見ながら言う。

「綺麗だ」
「・・・ありがとう」

ふわっと微笑んだ透也君が急にまぶしく見えて、くらっとしてドキドキする。
差し込む強い日差しが透也君の黒髪を透かしてる。
何をドキドキしてるのよ、歌音・・・!
でもでも、こんなシチュエーション・・・ドキドキしないほうがおかしい・・・。
こんなに素敵な人が、綺麗な衣装に身を包んで、笑ってくれる。
ドキドキしちゃうよ・・・。

「歌音?」
「・・・ううん、何でもない。透也君の花嫁さんよりも先に隣に立つなんて、贅沢者だね、わたし」
「な、に言ってるんだよ」
「だって、そう思ったんだもの。それに、人気のピアニストとこんなシーン、 やりたくても出来ないわよ。全国のファンに恨まれそう」
「・・・バカ」

そう言って、ふいっと横を向いた透也君に、わたし、小さく笑ってしまった。
高校生の頃から変わってないわね。

それから、カメラマンさんの指示と雫の指示をいくつも受けながら撮影が進められた。
小さな綺麗なブーケを片手に、透也君と一緒に映る。
みんなには普段見せない“王女としての歌音”を少しだけ出してみる。
ほら、微笑んで。
優しい瞳で、笑うの。
偽りじゃない、けど、本物じゃない。
それが“王女として”のわたし。
透也君もいつもと違う笑顔を向けてくる。
それはきっと、撮影用、人前に出る用の顔。
わたしの知らない、透也君。

視線を合わせては笑い合って、手と手を取れば少し照れくさい。
そんな、いつもと違う、わたしたち。
そう、ここは現実世界だけど現実じゃない。
おとぎ話みたいな・・・そんな空間。

そんな空間で撮られたものは、どんな写真になるのか、わたしも見てみたくなる。
だって、こんなに素敵なシチュエーションだもの。
素敵な、ピアニストのお隣よ?
まるでドラマや映画みたいでしょう?




「歌音さん、お疲れ様」
「あ、真理乃さん!」
「あなた、ほんとそーゆー格好似合うわね・・・」

撮影が終わった頃、ホテルにいた3人がチャペルまでやってきてくれた。
真理乃さんがコツンとハイヒールを響かせる。

「そういえば、学園祭でもドレスみたいなの作ってくれたよね」
「そうね。あなた、なんというか・・・お姫様とか、天使とか、ドレスとか、似合いすぎなのよ」
「そうかなぁ・・・」
「そうよ。まぁ、いいと思うけど。 雫が歌音さんをモデルにしたいって言い出したワケがわかる気がするわ。これだけドレス映えすれば・・・ね」
「ありがとう。でも、きっと真理乃さんだって似合うと思うよ?」
「歌音さんみたいな可愛いのは無理ね」
「ふふっ。真理乃さんはわたしの似合わない綺麗な格好いいのが似合いそうだものね」
「私たち極端ね」

真理乃さんとくすくす笑い合う。
真理乃さんはすらっとわたしよりも背が少し高くて、ウェーブのかかった髪が綺麗で、つんとした視線が格好いい「美人」だもの。
きっとスラッとスタイリッシュなドレスが似合うわ。

「じゃ、私は雫とちょっとスタッフの方へ行ってくるわね」
「ええ」

そう言うと、真理乃さんはまたハイヒールをコツコツと響かせながら行ってしまった。

「まさか、雫の“手伝って欲しい”がコレとは・・・」
「湊」

苦笑しながら湊がわたしの正面に立つ。
・・・何でかしら。
別にやましいことをしたわけじゃないのに、ちょっと罪悪感・・・。
湊とココに立つ前に、透也君と並んでしまったから・・・?
ただの撮影なのに・・・何も、していないのに・・・。
ウエディングドレスを着て、ここで、透也君と、写真を撮っただけなのに・・・。

「綺麗だな。似合ってる」
「・・・湊・・・あの、その・・・」
「・・・別に気にしてない」
「え?」
「透也と、だったんだろ?」
「え、ええ」
「気にしてない。ホントに気にしてないかと言われたら嘘だけど・・・ニセモノなんだから」
「・・・ありがとう。ホンモノは…湊とだからね」
「ああ。ま、こんな3日立て続けに歌音のドレス姿を見ることになるとは思わなかったけどな」
「わたしも着るとは思ってなかったわ」
「写真とやらを見たら、琴音様が大喜びしそうだな」

ぽんぽんと湊がわたしの頭を軽くたたく。
その手があったかくて、なんだか嬉しくて、思わず顔がほころぶ。
ああ、やっぱり湊がいいな・・・そんなことを思ってしまう。
だってほら。
こんなにも自然に笑っていられるの。
まっすぐにあなたを見ていられるの。
作り物じゃない、ただの女の子の歌音としてのわたしがここにいる。