そして、約束の日。

ふわりと咲いた桜。
温暖化のせいか、桜の季節が早くなったってみんなが言っていた。
はらはらと散る桜は本当に綺麗・・・。

約束の時間は午後1時。
昼下がりの陽射しがちょうど良いくらいの暖かさを与えてくれる。
あの場所へ、一歩一歩、歩みを進める。
春風になびくスカートと髪。
何だか少し恥ずかしいヒールの靴。
高校生の時とは違う、少し大人びた服装。
時が流れたんだと、実感した。


「お、来たかな」
「・・・歌音・・・」
「歌音ちゃんっ・・・」

あの、約束の木の下に、3人が立っていた。
3人ともすごく、大人になったのね・・・。

「久しぶりね、透也君、連斗君、美菜穂さん」

コツッ。
わたしも3人と一緒に桜の木の下に立った。
同じメンバーなのに、何か違う。
わたしのいない4年の間に、きっとたくさんの事があったのね・・・。
ぐっと大人っぽくなった連斗君。
透也君も、素敵になった。
美菜穂さんは綺麗になった・・・。
18歳ってまだ大人になりたいコドモだったのね・・・。

「久しぶりにもほどがあるよな」
「4年も会えなかったなんて嘘みたいね」
「でも、歌音のその髪ですぐわかった」
「ふふっ。そうね、変わってないから」
「そんなことないよ。歌音、綺麗になった」
「4年も経てばそりゃ成長するもんな」
「みんなだって。・・・また、会えて嬉しいわ」
「とりあえず・・・どっか移動しね?」
「立ち話もなんだもんね」
「歌音の秘密も聞かなくちゃだし?」
「くすくす。覚えてたのね、わたしの秘密の話」
「忘れるわけないって。さ、行こうか」
「ええ」

忘れてくれていればいいと思ったときもある。
わたしのことなんて。
でも、忘れて欲しくないとも思ってた。
一緒に過ごした2年間を・・・。
みんなにとっては、なんてことのない2年間でも、 わたしにとっては、とてもとても大切な2年間だから・・・。



「さて、歌音。歌音は4年もどこにいたの?」

おしゃれな喫茶店。
全員に飲み物が運ばれてきてから、にっこりと連斗君が言った。
連斗君がそんな風に言うと・・・なんだかとてもごまかせない雰囲気が・・・。

「・・・そうね。秘密、教えるって約束したのはわたしだものね。 じゃあ、わたしからも一つお願い」
「?」
「全部正直に答えるわ。だから・・・他の人には絶対に言わないで。 真珠やあくあ、雫は知ってるからいいけれど・・・他の人には言わないで」
「・・・わかった・・・」
「約束、ね」
「了解」
「わたしがいたところはね・・・」
「・・・・・・」

「海よ」

その言葉に、みんなが一瞬疑問符を浮かべた。

「えーと・・・海?」
「無人島って格好じゃないよな・・・」
「空気のある海底洞窟・・・いやいや、そんなとこ住めないし・・・潜水艦とか!?」
「くすくす。難しく解釈しないでよ。海よ。海の底」
「む、難しく言ってるのは歌音ちゃんの方じゃないの?」

あら、やだ。
率直に言ってるのに・・・。
やっぱりそのまま言ってもダメ・・・かな。

「どうやって水の中に住むんだよ・・・人間じゃ無理だろ」
「だから、わたし、人間じゃないの」

そう、さらりと言ったわたしに、みんなが驚愕の瞳をわたしに向けた。

「えーと、歌音ちゃん?どこからどう見ても歌音ちゃんは人間だよ?」
「今は、ね。でも、わたし人間じゃないのよ。人魚なの」
「人魚?」
「ってあの、おとぎ話にあるみたいな・・・?」
「ええ。そう。わたしは海から来たの」
「・・・・・・マジで?」
「嘘はつかないわ。約束したもの」
「・・・でも・・・」
「2年間だけ、人間界に、この世界に留学に来ていたの。 この真珠のネックレスと指輪はわたしがこの姿を保つためのもの。 ひとつでも欠けたらわたしはこの姿でいられない。この指輪は海への誓いなの」
「・・・たしかに・・・人間として生きてきたにしては 常識的な知識が欠けてるとは思ったけど・・・」
「音楽好きのくせにポピュラーなクラシックも知らないしね・・・」
「でも、でも、信じられないよ・・・」
「・・・信じてもらえなくても・・・これが真実よ。 わたしはこの世界の住人じゃないの。わたしからすれば、 ここにいる方が旅行先みたいなものなのよ」
「じゃあ・・・海の底には人魚の世界がある・・・?」
「あるわ。人間には見えないだけ。この世界には人魚の血縁もちゃんと生きてる」
「ははっ・・・考えてもみなかった・・・な・・・」
「でも・・・歌音ちゃんがそう言うのなら本当なのかも・・・」
「嘘みたいな話だけど・・・なんとなくつじつまが合う・・・よな・・・」

信じてもらえなくて当然だと思う。
実際にわたしの本当の姿を見たわけでもない人に、人魚だなんて言っても。
海の世界が見えない人間に、海の世界があると言っても。
信じてもらえないかも知れない。
けれど、わたしは嘘なんてついてない。
約束を果たしに来た・・・ただ、それだけ。
ここで否定されても、拒絶されても、仕方がないことだとわかっていて・・・。

「いいの。信じてもらえなくても。ただ、約束を守りたかったの」
「歌音・・・」
「じゃあ、歌音も・・・人魚の姿が・・・」
「それが本当のわたしよ。この姿が偽りなの」
「・・・・・・」
「3日後の夜、海の世界に帰るわ。 わたしの姿を見たければ真珠に場所を聞いてみて。 わたし、あそこがどこかよくわかってないから」
「・・・いいのか?」
「別に、泡になって消える訳じゃないわ。 ただ、この世界では認められた存在じゃないってだけのこと。 ここまで話したんだもの。あとはみんながどう取るか・・・だけよ」
「か・・・のん・・・」
「わたしの話はこれだけ。これがわたしの最大の秘密よ」
「・・・そっか・・・」
「・・・・・・」
「ありがとう、歌音。大事な話・・・してくれて・・・」
「約束、ですもの・・・」

無言のまま、喫茶店を出て、海沿いの道をみんなで歩く。
太陽の光を受けて光る海は、とても綺麗だった。
わたしたちが普段、見られない上からの風景・・・。

「そういえば・・・歌音・・・海が一番大事だって言ってたよな・・・」
「・・・・・・覚えてたの?」
「忘れないって」

透也君に言ったあの言葉。
一番大切なものは海だという言葉。
あの言葉に嘘はなかった・・・。

「・・・二者択一だったの。海か、地上か。 わたしは海に帰りたかった・・・ごめんね、透也君・・・それだけの理由なの」
「それってどういう・・・」
「人間界に住んで海を捨てるか、海に帰るか、それだけの話よ」
「それがどうして・・・」
「人間を好きになっちゃいけない、なんて言われてないわ。 でも、人間を好きになったら・・・そして、その人がわたしを好きだと言ってくれたら ・・・決めなくちゃいけないことだったの。 だから、あんな言い方して・・・ごめんね。好きなのにごめんなさい、 なんて矛盾してるってわかってたんだけど・・・」
「いや、別に、今となってはいいんだけどさ・・・」
「じゃあ、歌音ちゃんは今でも透也が好き?」

ひょこっと美菜穂さんがわたしの横に顔を出した。

「・・・・・・さあ、どっちだと思う?」
「えーっ、誤魔化すのぉ?」
「ふふっ。ごめんなさい、わたし他に好きな人がいるから」
「お、言ったなー」
「海の世界に、だろ?」
「もちろん!」
「わあっ。会ってみたいなぁっ」
「俺たちじゃ永遠に無理だと思うけど?美菜穂」
「そっか・・・残念」
「しっかし、この海の底にそんな世界があるとは思わないよなぁ」

連斗君が海を見つめていった。
水平線までくっきりと見える。
そうね…見えないものはないものと同じだものね・・・。

「でも、おれは信じるよ、歌音の言ったこと」
「連斗君・・・」
「歌音が嘘ついてないってことくらいわかるし」
「ありがとう」
「確かに、見えないんだから確信はないけど ・・・歌音が嘘ついてるとは思えないもんな」
「私も信じるよ、歌音ちゃん」
「透也君・・・美菜穂さん・・・ありがとう・・・」
「だからさ、これからもちょっとは会おうよ」
「え」

連斗君の言葉にどきっとした。
今日が、最後だと、思ってきたから。
もう、二度と会うことはないだろうと、思ったから。

「これでもう二度と会わないつもり、だと思ってなかった?」
「それはずりーよなぁ。4年も待たせくせに」
「連絡がないのは良い知らせって言うけど・・・この場合は違うしね」
「いいの・・・?」
「何が?」
「こんなわたしでいいの・・・?また、会ってくれるの・・・?」
「どうして?歌音は大事な親友だよ?」
「人魚だろうと人間だろうと、俺たちが つきあってきた歌音が嘘になる訳じゃないし・・・いいんじゃん?」
「歌音ちゃんが人間となんて嫌だなんて言うなら仕方ないかもだけど」
「そんなこと・・・ないよ・・・絶対・・・」

わたしが人魚でもいいと・・・認めてくれるの・・・?
まだ、親友でいてくれるの・・・?
また、会って話をしてくれるの・・・?

「私たち、歌音ちゃんのこと大好きだから」
「そうそう」
「人魚の友達なんてすごくない?」

みんなの笑顔がとても眩しく見えた。
ぐっと泣きたくなる感情を我慢する。
この世界では泣いちゃいけないんだって・・・。

「ありがと・・・ほんとに・・・嬉しい・・・」

くるりと背を向ける。
みんな、この世界で生きる混血の人魚はこうやって泣くのかしら。
認めてもらえるうれしさを知るのかしら。

「歌音?」
「や、だめ。こっち向かないで」
「何を今更隠すわけ?」
「泣きたいなら泣いてもいいんだよ?」
「だって、わたし、人魚だもん・・・泣いちゃダメなの・・・っ」

コンッ。
一粒こぼれ落ちた涙が足下に転がった。
それを連斗君が拾い上げる。

「?」
「人魚の涙・・・」
「え?」
「人魚の涙は地上では結晶化しちゃうの・・・だから・・・」
「泣けない・・・か。なるほどねー」
「涙は女の特権なのに!」
「こら、美菜穂。とらえ方が違うっての」
「あはは。でも、泣いてる女はカワイイってよく言わない?」
「くすっ。泣き虫はやっぱり直らないみたい」

涙は女の特権・・・そんな言い方もあったわね。
でもね、本当の特権は笑顔だと思うんだけどね・・・。
どんな女の子だって、笑顔が一番素敵だと思う。

「歌音、3日後に帰るんだっけ?」
「え、ええ」
「じゃあ、あと2日はフリーなわけだよな」
「あ、うん・・・」
「じゃあ遊びに行こうよ!4人で!」
「・・・みんなは大丈夫なの?」
「大丈夫。よし!そうと決まればどこに行くか相談しなきゃだな」
「おう」
「ありがとっ」

優しい人たち。
人魚だと言っても気持ち悪いと言わないでくれた。
わたしのことを認めてくれた。
人間にもいい人はたくさんいるのね・・・。
そんな彼らに恋をした人魚がたくさんいるのね・・・。
少し、わかった気がする・・・。
ここに留まった人魚の気持ちが。
好きになった人が、好きだと言ってくれる。
好きになった人が、ありにままの自分を認めてくれる。
ここにいてもいいよって言ってくれる。
そうしたら・・・やっぱり、ここに残りたくなると思う・・・。