「おかえりー歌音、雨降って・・・ってびしょぬれじゃないっ」

玄関で迎えてくれた真珠が驚いていった。

「真珠・・・」
「えーっと、何かあったみたいだけど、 とりあえず、その濡れた服と冷えたからだをどうにかしなくちゃ。 何も言わなくて良いからシャワー浴びて!」
「・・・うん」


真珠に促されるがままにシャワーを浴びて、リビングに行った。
そこには雫もあくあも来ていた。

「偶然よ?みんなそろってるのは。宿題の答え合わせしてただけだから」
「・・・そう・・・」

ぽすんっとソファに座る。
手近にあったクッションを抱きかかえた。

「・・・どうしたの?」
「何かあった?」
「・・・話、聞いた方が良い?」

ぎゅっと唇を結ぶ。
話した方がいいこと?
それとも秘めておくべきこと?

「話したくないならいいよ。でも、あたしたちで聞ける話なら聞くから」
「ひとりで考え込まないで、ね?」
「・・・あのね・・・わたし・・・」
「うん」

彼女たちにしか聞いてもらえない。
普通の人間には理解できない。
過去は一生変えることが出来ない。
過ぎてしまった時間は一秒だって元に戻らない。

“誰かに話すってことはね、自分の中で整理しながら話すからすっきりするのよ。 聞いてもらう相手にもよるかもしれないけど。 あたしたちの場合は姉様がいてよかったわよね”

波音姉様とそう話したことがあった。
姉様達はいつだってわたしの話を聞いてくれた。
だからこそ、人間界留学の話をだまっていたことに、 あんなに理由を聞いてきたことはわかってた。
この世界に姉様はいない。
でも、みんながいるから・・・。

「わたし、ね、透也君に“好き”だって言われてたの」
「・・・うん」
「それで・・・」
「返事をしてきた?」
「ええ・・・ごめんなさいって・・・」
「歌音は透也が好きじゃなかったの?」
「好きだった・・・好きだけど・・・どうしても・・・ダメなの・・・」
「何か理由が・・・?」

ぽろりと一粒、涙が落ちた。

「ごめん・・・っ泣いちゃいけないって言われてるのにっ・・・ 泣き虫は直ってなかったみたいっ」
「いいよ、歌音。私たち仲間じゃない」
「全部知ってる。だから、泣いてもいいよ」
「泣かないで我慢してたんでしょう?透也の前で・・・泣かないようにって」
「・・・ありがとっ・・・っ」

“泣いてもいいよ”
そう言われて、涙があふれた。
空気に触れたわたしの涙はころころと転がって床に落ちるたびに音を立てた。

「みんなに、ひとつだけ・・・話していないことがあるの・・・」
「?」
「人魚が・・・人間界留学するときに告げられる・・・たったひとつの約束・・・」
「約束・・・?」
「もし・・・人間界で誰かを好きになって・・・その人もわたしを好きだといってくれた時・・・」
「うん・・・」
「そうしたら・・・留学期間が終わるときに決めなくちゃいけないの」
「何を?」
「人間界に留まるか、海に帰るか」
「っ」
「二者択一・・・?」
「人間界に留まることを選んだ人魚は・・・二度と海に帰ることが出来ない・・・ 海に帰ることを選んだ人魚は・・・人間界に留まることを許されない・・・ それが、この留学の約束なんです・・・」
「・・・・・・」
「みんなに、話す日が来なければいいと思ってた。 わたしだけが知っていればいいと・・・ この約束に悩まされることなく留学期間が過ぎればいいと思ってたの・・・ でも・・・ダメだったみたい・・・」
「歌音・・・」
「どうして、二度と海に帰れなくなるの?」
「・・・人魚の世界が、どうして人間に見つからないか・・・ご存じですか?」
「・・・いえ・・・」
「そういえば・・・どうしてかしら・・・」
「見えないんです」
「え?」
「人魚の世界は海に住む者にしか見えません。 だから、人間や、人間の血を引いたあなたたちにも・・・ わたしたちの世界は見えないんです・・・ないものなんです・・・」
「そうなんだ・・・」
「じゃあ、人間界に留まることを決めた人魚は・・・海の世界が見えなくなる?」
「はい・・・。指輪やネックレスがなくても、人間の姿を保てるようになります。 この世界で暮らしていくために・・・」
「海の世界を選んだ場合は?」
「何の変わりもありません・・・ただ、人間界に住むことを許されないだけです・・・」

そう。
これが約束。
この世界に来るときの唯一の約束。

人間界か、海の世界か。

わたしたちはどちらか一方しか許されない・・・。
わたしは、海の世界を捨てられない。
大好きな家族、友達、そしてあの世界・・・。
わたしは、もう一度帰りたいの・・・あの、青い世界に・・・。

「でも、それって“留学期間が終わるとき”に決めるんでしょう?」
「なら、今透也とつき合ったって問題ないんじゃ・・・」
「確かに・・・そうね」
「・・・自信ありますか?」
「え?」
「これから1年半つきあって・・・後ろ髪引かれずに別れる自信・・・ありますか?」
「あ・・・」
「それに・・・もっと好きになりたくなかったの・・・ 最終的に終わる恋なら、今終わらせても同じ事・・・」
「・・・・・・」
「もっと好きになって・・・人間界を選んでしまうかもしれない未来を・・・ わたしは捨てたかった・・・」
「歌音・・・」
「じゃあ、この間海に帰ったのって・・・」
「確かめに行ってきたの・・・。わたしが、どれだけ、あの世界を好きか・・・ あの世界を失いたくないか・・・確かめに行ってきたの・・・」
「そのために・・・一日だけだったんだ・・・」
「やっぱり・・・わたし、あの世界に帰りたいの・・・ 家族や、友達がいる世界を捨てるなんて出来ない・・・。だから、わたしっ・・・」
「・・・・・・」
「わかってる。好きなのにつきあえないって、すごく残酷なことしたってわかってる・・・」
「透也にはなんて言ったの?」
「・・・大事なものがあるから・・・ それを捨てても良いくらい好きになった人とじゃなきゃつきあわないって・・・ 決めてるって・・・」
「ある意味嘘じゃないけど・・・」
「好きじゃないって言う方が優しいと思う。 でも、それじゃ・・・わたしが納得しないから・・・。 すごく、変な理由だってわかってるけど・・・それでもっ・・・っ」
「うん・・・」
「透也君は優しすぎるっ・・・こんな子・・・変だって言ってくれればいいのにっ・・・」

まだ、あのときのぬくもりを覚えてる。
抱きしめてくれたあたたかさを覚えてる。
やさしいキスも…。
初めて“好き”という気持ちを教えてくれた人・・・。

「透也はそんなヤツじゃないから」
「まだ、友達でいてくれるって言うの・・・ 親友の枠はひとつじゃないって・・・っ・・・わたしっ・・・」
「透也は透也で、歌音の言ったことをちゃんと理解したってことだよ」
「わたしより、きっと、透也君の方が辛いはずなのに・・・!」
「それでも、透也は歌音と一緒にいたいって思ったんじゃないのかな。友達としてでも」
「・・・っ・・・っ」
「歌音」

ぎゅっと雫がわたしを抱きしめた。

「歌音はよく考えてちゃんと答えを出したんでしょう?」
「・・・ええ」
「透也もそれをちゃんと受け止めてくれた」
「・・・うん」
「友達で、親友でって枠をくれたんでしょう?」
「・・・ん」
「だったら、歌音は次に会うときはちゃんと笑って透也と会わなくちゃ。 それが透也に対して出来る事だと思わない?」
「・・・しずく・・・」
「泣いた後は笑わなくちゃ。歌音が出した答えなら、私はそれでいいと思う。 間違ってないと思う。だから、前に進まなくちゃ。 歌音が止まったままだと透也が辛くなるから」
「・・・・・・」
「でもね、泣きたいときは泣いていいんだよ。あたしたちがいるから。 歌音はひとりじゃないから・・・」
「ありがとう・・・」

後悔はしていない。
透也君の優しさが、とても痛かった。
こんな答えを出したわたしを、責めなかった透也君。
まだ、友達としてつきあってくれると言った透也君。
傷つけてるのはわかってた。
わたしのわがままだった。
それでも彼は、わたしを咎めなかった・・・。


次に会ったときはちゃんと笑顔で挨拶するわ。
また、一緒に音を奏でたい。
この“好き”の気持ちは消してしまうから。
今度は親友としての“好き”を言わせて。

そして、一緒に音楽を・・・。



「わたしね、海に帰ったとき、ひとつ気づいたことがあるの」
「何?」
「透也君・・・わたしの友達にすこし似てた・・・。 もしかしたら、懐かしかったのかも知れないわね」
「それだけじゃ好きにはならないでしょ」
「・・・そう・・・ね」
「しかし、こんな二者択一の約束があるとは・・・」
「わたしたちのご先祖様は海の世界を捨ててこの世界に残ったんだね・・・」
「ご先祖様ってほど遠くない気がするけど・・・ でも、すごい決断を下してきて、あたしたちがいるっていうのは本当ね・・・」
「生まれ育った故郷の世界全てを捨ててまで、 この世界に残りたいほど好きな人がいるんだから・・・。 まるで人魚姫のハッピーエンド版って感じね」
「何も知らない人魚は“帰ってこない人魚がたくさんいる”って言うけれど・・・ そんなに簡単な話じゃないのよ・・・実際はね・・・」
「うん・・・」


わたしはあの世界を捨てられない。
たくさんの“大好き”がある世界を捨てられない・・・。

この決断に、後悔はしてないわ・・・。

これから先、わたしはきっと、この世界では誰も好きにならないから・・・。
でも、次に恋をしたら、きっと、わたしから、気持ちを伝えるから・・・。
後悔しないために。