土曜日。
午前中の授業が終わって先生に日誌を提出した帰り。
廊下で違う制服の女の子を見つけた。

「あの、すみません。2年B組の水城真珠先輩ってご存じですか?」

突然ハキハキとした口調できかれた。
短い髪が少し真珠を思い出させる。

「えっと、真珠?わたし同じクラスだから・・・一緒に行く?」
「わあ、よろしくお願いします」
「えっと、他の学校の子?」
「あ、中学生なんです。ここを受験しようと思って・・・。 知り合いの先輩がいるから会いに来たんです。あ、もちろん先生方にはご挨拶しました」
「そうなんだ・・・」

受験・・・。そっか・・・この世界にはそんなものがあるのよね・・・。
人魚の世界では受験なんて厳しいものではなかったから・・・。
中学生の彼女をつれて、クラスまでもどった。

「真珠。お客様」
「え、あ!水希(みずき)!」
「真珠ちゃーんっ」

だきっとふたりが抱き合った。
ほ、本当に知り合い程度・・・なの?もしかして親戚とか?

「雫、あくあっ、水希が来たよ〜」
「えっ」
「やだ、水希ちゃん!」
「久しぶり〜」
「雫ちゃん、あくあちゃん、久しぶり〜〜」

ふたりも知り合い・・・?
もしかして・・・人魚関係の知り合い・・・なの・・・?



とりあえず、ここじゃなんだというのでジュースを買って屋上に移動した。
屋上は誰も人がいかないスポットなんだって。
確かにこの暑さで屋上に行こうとは思わないわね・・・。

「歌音、こちら岡里(おかざと)水希。あたしたちと一緒でちょっとだけ人魚の血を引いてるの」
「岡里水希です。よろしくお願いします」
「で、水希、こっちが歌音。人間界留学に来てる本物の人魚よ。ついでに王女様」
「えっ!王女様!?」
「でも、わたし4番目だから」
「王女様が人間界留学・・・ほわー・・・すごいなぁ」
「ここではそんなこと関係ないもの」
「そっか。人間界に来ちゃえば王女様って関係ないか・・・」
「ところで、水希ちゃん。本当にウチを受験するの?」
「ダメ?」
「水希ちゃんならもっといいところからいっぱいスカウトが来るんじゃないの?」
「そうだよね。水泳で日本記録出してるんだから。 スポーツ推薦でどこでも入れるんじゃないの?」
「えー、でもここも水泳部強いし、室内プール完備だし・・・ 先輩もオススメって言ってたんだもん」
「まぁ、最終的に決めるのは水希だけど・・・よーっく考えな」
「水泳の日本記録?」
「ああ、歌音は知らないよね。水泳の記録大会で日本記録持ってるのよ、この子」
「あたし、人魚の血を引いてるって言っても、 ほんの少し水の中で呼吸が出来るだけで・・・ 息継ぎしないといられないし、4分以上潜っていられないし・・・ ほとんど人間レベルなんです」
「そうなんだ・・・色々あるのね、人魚にも」
「本当は大会でないつもりだったんですけど・・・ 出ても良いって言ってくれた先輩がいて。 で、その先輩がここにいるんで、追っかけてみました」
「なるほどね」

終始にこにこして話す水希ちゃんは元気がよくてやっぱり どことなく真珠と似てる気がした。
こんな子が記録保持者だなんて・・・すごいわね・・・。
大会に出てもいいと言ってくれた先輩を追いかけて・・・か。
好き・・・なのかな・・・その先輩のこと。

ふと空を見上げる。
綺麗な青空にすいっと横切るものを見つけた。

「あっ!こんにちはっ」

思わず声をかける。

『え・・・?私?』
「ええ。初めまして」
『ああ、驚いた。私が見える人がいるなんて・・・!』
「わたし、人魚だから」
『なるほど、それで・・・』

ふわりと宙を飛んでいたもの。
それは天使。白い翼を背に持った、綺麗な天使。
すいっとわたしの近くまで降りてきてくれた。

「か、歌音?」
「え?」
「誰と話してるの?」
「何かいるの?」

みんなが宙を見て視線をあちこちに巡らせた。

『人間には私たちは見えないのよ。あなたたちのように人魚や・・・ 時々、とても綺麗な心をした人には見えるんだけど・・・。 人魚は人間にでも見られるものね』
「そっか・・・見えないのね・・・」
「ねえ、歌音、何?ひとり芝居じゃないでしょう?」
「もちろん。わたしが話しているのは天使よ」
「・・・天使!?」

4人が驚愕の声を上げた。
そ、そんなに驚くことじゃないじゃない・・・自分たちは人魚なんだから・・・。
人魚がいるんだから天使がいたっていいと思わないのかしら?

『私はユマよ。歌音って…もしかして人間界留学している4番目の王女様?』
「わたしのこと知ってるの?」
『この間、水を司る天使に聞いたの。今年は人魚が人間界留学してるって。 王女様が人間界留学だなんて話題にならない方がおかしいでしょ?』
「そ、そうね・・・」

知らなかった。わたしって、そんなに話題になってたなんて・・・。
まさか天使たちにも話がいってるなんて・・・。

『4番目の王女様はとても素敵な歌姫様だってきいてたの。 最近この辺りで綺麗な音楽が聞こえるのはきっとそのせいだったのね』
「あ、ありがとう」
『今度うちの歌姫と共演してほしいくらいだわ』
「それは光栄だわ。いつか、是非」
『ええ。あ、じゃあ、私行くわね』
「あ、呼び止めてごめんなさい。天使ってあまり見なかったから・・・」
『普段はもっと上を飛ぶもの。最近は素敵な歌が聞こえるからこうして ちょっぴり下を飛んでいたのよ』
「まぁ・・・」
『くすっ。会えて嬉しかったわ!周りのお嬢様たちにもよろしくね。 驚いてるみたいだから』
「ええ」

そう言うと、ユマはすいっとまた天に舞った。
本当に、天使って綺麗ね・・・。

「えーと、歌音?」
「あ、ごめんなさい」
「天使って本当にいるんですねっ」
「もちろんよ、水希ちゃん。見えないだけ。わたしたち人魚には見えるんだけど・・・」
「そっかぁ。天使って実在するんだぁ」
「天使も妖精も、みんなちゃんといるわ。人間には見えないだけなのよ。 まれに心の綺麗な人間なら見えることもあるって言ってたけど・・・」
「人魚もそうならよかったのにねぇ」
「あら、そんなことないと思うけど?あたしは」
「今日ひとつ、大発見だったわね」
「そうね」

くすくすとみんなが笑い合った。
知らないことを知れるのは素敵なこと。
たとえ見えなくても。
たとえ過去のことでも。
たとえ触れることが出来なくても。

「ね、先輩方。校内案内してよ」
「OKいいわよ。あ、歌音はこのあと部活だっけ」
「ええ」
「何部なんですか?」
「合唱部。今コンクール前で大変なの」
「歌音の歌もあとで聴きにいきましょ♪歌音の歌は絶品だから」
「そうそう!天使の歌声って感じ」
「人魚なのに?」
「そう。人魚なのに。ま、それはいいとして、歌音、時間大丈夫?」
「え?あ、大丈夫だと思うけど・・・とりあえず行くわね」
「うん。また後で〜」
「ええ」


そう言って屋上を後にした。
土曜日も部活はちゃんとある。
試験が終わったのに授業をするのと一緒でね・・・。
私立だから仕方ないってみんなは言ってたけど・・・他の学校はお休みがあるみたい。



そして部活終了時間になってからみんなが来た。
なんで来ないのかな、と思っていたけど “コンクール前の合唱部の練習に乗り込むなんてことできない” という理由だったからだそう。
おまけに連斗君まで一緒にやってきた。

「この時間までなにやってたの?」
「水泳部にご挨拶して、まぁ、色々見て回って、学食でお話し」
「歌音さんの歌聴くまで帰れませんしね」
「途中で連斗を見つけたから捕まえてきたの」
「ごめんなさい、連斗君」
「いいよ、別に。久しぶりに歌音の歌聴きたいし。透也じゃなくて腕不足かもだけど」
「連斗君だってピアノ上手よ!」
「それはどうも」

合唱部のみんなはもう帰宅してしまったから、音楽室にはわたしたちだけになった。
わたしにソロで歌わせようって計画だったのね・・・。

「わたし、ソロだとそんなに歌えないよ?」
「授業でやったやつでいいのよ。それなら連斗にも伴奏お願いできるしね」
「う〜・・・。ごめんね、連斗君っ」
「謝らなくていいって。ほらほらーやるよ」
「あ、うん」

そう言って連斗君はにこやかに笑いながらピアノの前に座った。
連斗君って本当にピアノとかヴァイオリンとか上品なものが似合うなぁ・・・。

そして流れ出すメロディー。
それに重ねていくわたしの声。
響き渡る音楽は今、この時だけのもの。
この時、この場所、この瞬間にいた人にしか聞けない、二度と同じものはない。

それが“音楽”。


「本当に天使の歌声ねっ」
「でしょう?」
「とっても素敵!やっぱりこの学校入らなくっちゃ!素敵な先輩揃いで文句なし!うんっ」

水希ちゃんがぐっと拳を握って言った。

「学生生活エンジョイするなら、やっぱり楽しい場所がいいし。 記録に追われて泳ぐ日々なんてまっぴらゴメンだわ! っということで、岡里水希、来年制服を着て来れるように頑張ります!」
「あらら、やる気にさせちゃった・・・」
「水希ちゃんの場合頑張らなくても入れそうだけど・・・」
「くすっ。面白い子だな。まぁ、何がともあれ、受験頑張って」
「はいっ!あ、先輩のピアノもとっても素敵でした」
「それはありがとう。真珠、そろそろ下校時刻になるから送っていってあげなよ。 願書とか資料とかもらうんじゃないの?」
「そっか。そうね。じゃ、後片付けは音楽人ふたりにまかせましょ」
「聴くだけ聴いて退場?ごめんね、歌音」
「いいよ。戸締まりしなきゃだもの。水希ちゃん、今日はありがとう。 また会えるの楽しみにしてるわ」
「こちらこそ、ありがとうございましたっ」

そして4人はそそくさと音楽室を後にした。

「ごめんなさい、連斗君。一曲のために・・・」
「じゃあ、もう一曲歌ってよ。知ってるでしょ?この歌・・・」

そう言ってポロンと奏でる。

「あ、この間貸してもらったCDの・・・」
「歌えない?」
「歌える・・・けど・・・」
「じゃあ歌って。この歌好きなんだ。歌音の歌声ならもっと好きになりそう」
「・・・ありがとう。じゃあ、歌わせていただくわ」


シューベルトの『アヴェ・マリア』