「さあ!とうとうこの季節になっちゃったわ!」
夜、真珠が水族館を見回っていて、イルカの水槽まできたところで言った。
“この季節”??
「え?」
「もう6月よ!もうすぐ水泳の授業よ!」
「水泳・・・の授業があるの!?」
「残念ながら、我が学園は私立なだけあって屋内プール完備だからね。
一年生は秋頃、二年生は夏、三年生は冬頃って順番に授業があるのよ」
「そ、そうなんだ・・・」
「と、いうことでっ」
じゃんっと効果音がつかんばかりに笑顔で真珠が袋を取り出した。
「今日から泳ぎの練習よ♪」
「・・・・・・ここで?」
「そう、ここで。だって、ここしか泳ぐのに最適なところがないんだもの」
「足も着かない場所で?」
「歌音はおぼれる心配がないから。息できるでしょ?」
「お、泳ぐのって人間の姿でだよね・・・?」
「もちろん。体育の授業で人魚姿さらしていいほど人間界は甘くないわ」
「た、たいへんそう・・・」
「だから、練習よっ。勝手ながらー、歌音の水着持ってきちゃったもんね。
はい、着替えて着替えて〜」
「い、言ってくれれば準備してきたのに〜」
「まぁまぁ。裏で着替えてきてね〜。あたし、みんなと遊んでるから」
「はぁい」
真珠から袋を受け取って、裏の部屋に行って水着に着替えた。
人間の姿で泳ぐって・・・どうするのかしら。
「んー・・・・・・まぁ、人間にも泳げない人はいるけど・・・・・・息継ぎをしない人はいないんだよねぇ」
「え?」
ある程度泳げるようになった頃、真珠が言った。
案外、人間の姿でも水は優しくて泳ぐという行為は大変じゃなかった。
クロールとかいうのしか出来ないけど・・・。
「いや、あたしたちは水中で呼吸できるけど、人間は出来ないわけで・・・
人間と暮らす以上はちゃんと息継ぎ、呼吸を入れなくちゃいけないのよ」
「あ、そうね・・・私ってばそんなこと忘れてたわ」
「この息継ぎってのがくせものらしいんだよね。あたしたちは慣れてるからいいんだけど・・・」
「?」
「息継ぎをしなくても大丈夫な人に、息継ぎを教えるのって難しいのよ。
また今度あくあたちも誘ってやろうよ」
「今日はおしまい?」
「そう。いいわよ、元に戻って」
「やったぁ」
“元に戻って”
そう、わたしたちの本当の姿は今の姿じゃない。今の姿が偽りだから。
一瞬にして、足はしっぽへと変わる。
ああ、やっぱりこの姿の方が落ち着くわ・・・。
自由になれる。水はわたしのことを喜んで受け入れてくれる。
呼吸も、やっぱり地上より楽にできる。
『歌音っ、練習終わったの?』
「ええ、終わったわ」
すいっとマリアたちが寄ってきて、
くるりとわたしの周りを一回りした。
『人間って大変だよね〜。バシャバシャかっこわるく泳いでてさ〜』
「大変なのは事実ね。楽じゃないわ」
『歌音、人間界には慣れた?』
「ええ、マリア。ただ暑いのだけは嫌ね。これからもっと暑くなるんですって」
『そうよー。最近は水温も上がっちゃうから水を足してもらうもの』
『ゆでられるのはゴメンだからな。ショー、サボろうかと思っちゃうぜ』
『だから真珠に言って冷やしてもらったりしてるんじゃない』
「ここは世界一幸せな水族館だものねっ」
そう、ここは世界一幸せな水族館。
真珠のおかげでね。わたしはそう思ってる。
「あら、何の話?歌音」
「真珠・・・。真珠の話。ねーっ」
『ねーっ』
「それはそれは。あー、やっぱりこの姿の方がいいわー。ね、
あたしたち、ピンク同士でお似合いだと思わない?」
ぎゅっと真珠がわたしの腕にからみついた。
『えー、歌音の方が綺麗よー』
『真珠はピンクってガラじゃないもんなー』
『あら、それはともかく、ふたりの色合いは綺麗だと思うけど?』
『そうね。お似合いよ、真珠、歌音』
くすくすと笑いながらマリアたちが言った。
真珠のほうがピンクって色をしてるのにね。わたしは赤みが強い色だから。
真珠のピンクもとっても綺麗で似合ってると思うけど・・・。
すいっと泳いで水中から空を見上げる。
「・・・・・・遠いのね・・・」
ゆらゆらと揺れる紺色の空と小さな星の光。
こうして水の中から見ると、とても遠い。
海の中から見るよりは近いけれど・・・。
ざばっと水面を突き破る。
少しぬるい風がわたしの頬をなでる。
水に濡れた頬はそれでもひやりとした感覚を覚えた。
空という存在に憧れた頃。
太陽という存在を見てみたいと思った頃。
星という光の大群のことを知ったとき・・・。
海の上に広がる、もうひとつの青を見てみたいと思った。
海の中まで照らす光をもっと近くで浴びてみたいと思った。
光る星空の綺麗さを確かめてみたくなった。
けれど、そんなこと、ただの一瞬の夢で、叶うはずないと思っていたあの頃。
「歌音?」
「・・・不思議ね・・・こうして本当の姿になってると・・・
人間の姿で暮らしてる自分が全部夢みたいに思えてくる・・・」
「そう?」
こうして夜空を眺めていることも。
太陽の光を浴びて、青い空の下にいることも。
脚であるいている自分も。
全てが夢物語で、目が覚めたらいつもの海の中なんじゃないか・・・。
そう思えてくる。
「今日は星が見えるね。街の光でくすんでるけど・・・」
「それでも、綺麗だわ」
「歌音は星が好き?」
「ええ・・・空は人魚の夢物語だもの・・・」
「?」
「誰でも一度は空というものに憧れるのよ。青い海の上の、
もうひとつの青の世界に。青い空、浮かぶ雲、太陽の光、星の光の大群・・・」
「そうなんだ・・・。じゃあ、夏休みになったら星を見に行こうよ」
「え?」
「もっともっと綺麗な星が見える所に!降ってくるみたいに輝く星を見に行こう。
星のことなら雫に聞けばいいし。ねっ」
「・・・嬉しいっ」
「約束。ね」
「うん、約束ね」
空から降ってくるような星空。
一体どんなに綺麗なんだろう・・・。
“宝石箱をひっくり返したような” そんな言葉が似合うくらいなのかしら。
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