学校が始まって3週間。
勉強も海の世界にはない教科や、この世界について知れる授業があって楽しい。
記憶することは人魚にとっては何の苦にもならないから。
困るのは数学ね。これはやっかいだわ。
公式を覚えても解けないんじゃ意味ないわよね。
それに体育。ただでさえ運動神経が悪いと姉様方に言われてたのに、
しっぽでなく脚で、陸上で運動するなんてもってのほかよ!
合唱部にも入部して、少しだけれど友達も増えた。先輩や後輩という存在も。
楽譜を読むことは海輝に教わっておいて本当によかったわ。
練習は大変だけど、人間関係を学ぶには本当によかったと思う。
たくさんの人と関われるし、その中で人間というものを知ることができそう。
朝も練習があるのは少し大変だけど・・・。
朝。
まだ人気の少ない校舎内。
少し早く来てしまったみたい。
先に行って少し歌っていようかなと思って、音楽室への歩みを進める。
朝陽が窓から差し込む。
木造建築のこの学校はとてもあたたかみがあって好き。
きしきしと時々音を立てる廊下も好き。
ふいに、メロディーが聞こえはじめる。
ピアノのポロポロとした音となめらかに伝わる・・・ヴァイオリンの音。
まるで、夢の中ではないかと思えるほど綺麗なシーン。
ゆっくりと歩みを進めながら、奏でられる音に聴き入ってしまう。
人間界には素敵な音楽がたくさんあると、海輝に教えてもらった。
とても幅広い音楽があると・・・。
音が鳴りやんだところで、音楽室に続く扉を開けた。
「あ、ごめん。もう合唱部の朝練の時間?」
「え?でも早いだろ」
そこにいたのは同じクラスのふたりだった。
「ごめんなさい。少し早く来てしまっただけなの。えと・・・ふたりとも上手なのね」
「ああ、聴いてたの?」
「上手、だってさ。よかったじゃーん」
ピアノの前に座っているのは瀬川透也君、
ヴァイオリンを片手にピアノの側に立っているのが立宮連斗君。
瀬川君はとてもピアノを弾くような人には見えなかったんだけれど・・・。
立宮君はヴァイオリンが似合ってしまう容姿の持ち主。
確か、ふたりとも人気があるんだよ、って・・・あくあが言っていた気が・・・。
対照的に見えるのに、仲いいのかな。
「水城さん、合唱部に入ったんだ」
「あ、ええ、そうなの」
「へぇ〜。歌好きなんだっけ?」
「覚えてたの?」
「真珠の前だったし、転入生って珍しーからな」
「確かに。ここって幼等部から一緒だし、
高等部ってそーとーの学力がないと外部入学できないんだよね」
「ってことは水城は秀才か!」
「・・・・・・」
そうなんだ・・・。 でも・・・わたしってば・・・雫のつてで入ったなんて・・・言えないわよね・・・。
「あの、水城って呼ぶと真珠もいるから・・・名前の方でいいよ」
「そう?でもあまり親しい訳じゃないのに名前で呼ぶのも失礼かなと思ったんだけど」
「ううん。名前の方が慣れてるから・・・」
「歌音、だよね」
「うん」
「じゃあ、おれたちのことも名前でいいよ。な、透也」
「え?ああ。俺たちもそっちのほうが慣れてるしな、連斗」
「そう?では・・・透也君と連斗君、ね」
「それじゃ、合唱部員の歌音さん。一曲いかが?」
「え?」
コンコンと透也君が譜面台を叩いた。
「あ、それいいね。せっかくこうしてオトモダチになれたんだし、聴きたいな」
「え、あ、でも」
「んー、音楽の授業でやったやつなら歌える?
俺ってば先生に次のパート分けの時に試験を兼ねてやるから
伴奏してねーなんて頼まれちゃったわけ。楽譜、連斗持ってたよな」
「あ、それなら大丈夫よ」
「?」
「あの歌なら覚えたから」
「・・・・・・そう。じゃ、一曲よろしく」
パラパラと楽譜をめくって、すうっと一呼吸置いて透也君が前奏を弾き始めた。
本当に、ピアノをこんなに弾ける人だとは思わなかった。
くせのある黒髪にやんちゃな瞳が印象的な人。
昼休みに校庭でサッカーをしてるのを真珠たちと見たし・・・いつも教室ではしゃいでいた記憶がある。
人って見かけによらないのね。
逆に連斗君はしっくりくる。優しい瞳にふわっとした髪、身なりも仕草もどこか上品。
透也君と一緒にいると、まるで逆の人のように見えるのに、それが何故か自然にも見える。
「へぇ・・・上手いじゃん。合唱部は良い人材を手に入れたって感じだな」
「うん。すごく素敵な声の持ち主だね」
「あ、そう、かな?」
「歌音って名前なだけあるって感じ」
「え?」
名前?歌に音と書くから?
「歌に音で歌音だろ?それにカノンって音楽用語にあるし」
「そうなの?」
「知らない?同じ旋律を追いかけるようにしてある作曲法のひとつなんだよね」
「へぇ・・・」
「有名なのはパッヘルベルのカノンだな」
そう言うと、透也君が軽やかに鍵盤を叩き始めた。
明るくて、かわいくて、どこか優雅な音楽。
これが“パッヘルベルのカノン”なのかしら。
朝陽の差し込む音楽室。
ピアノに向かう男の子。
そこに流れる素敵な音楽。
人間界には素敵なシーンがたくさんあるのね。
「さすが透也。サビだけだけどピアノ版も完璧だな。しかも暗譜」
「この曲お気に入りなもんで。良い曲だろ?カノンって」
「確かにね。どう?歌音」
「素敵ね。同じ名前だなんて嬉しくなっちゃうわ」
まさか、人間界に、自分と同じ名前を持った音楽があるなんて思わなかった。
しかも、このパッヘルベルのカノンはとっても素敵な曲。
自然と笑みがこぼれてくるわ。
「オケ版の方がいいから今度聞いてみてよ」
「あ、うん。ありがとう連斗君」
「さーて、そろそろ合唱部の朝練の時間かな」
「本当だ。練習つきあってくれてサンキュ、透也。あ、それに、素敵な歌声をありがとう、歌音」
にこっと連斗君が微笑んだ。吸い込まれそうな優しい笑顔。
「ほら、行くぞ、連斗。おまえ週番だろ?」
「はいはい。じゃ、朝練頑張ってね」
「あ、ありがとう」
そうして、ふたりは音楽室を後にした。
同じクラスなのに、話したことがなかったふたり。
そんなふたりと、この音楽室で話すなんて少し不思議ね。
見かけによらず、ピアノが上手な透也君。
優しい雰囲気が素敵な連斗君。
ふたりと、もっと友達になれるかな。
それから、朝少し早く行くとふたりが必ず練習していることがわかった。
時々早く行ってはふたりの演奏を立ち聞きしたり、中で聴かせてもらったり。
人間界の音楽はとてもなめらかで綺麗で、海の世界とは違う音がたくさんあって・・・。
ふたりとも「おだてても何もでないよ」なんて言うけれど、本当にお世辞抜きに上手い。
きっと、小さな頃から練習してきているのね・・・。
|