真珠、雫、あくあと一緒に音楽室をあとにした。
「あの、今日はみんなは部活は?」
「今日お休みの日だもの。ないわ」
「天文部はまだ活動開始してないから」
「あたし帰宅部だから、帰るしかないわね」
「そう・・・。じゃあ、一緒に帰れるわね」
まだひとりじゃ外を出歩くのは不安なの。
道を覚えていないわけではないけれど、帰れなくなりそうで。
海のように、自由な世界じゃないから、一本道を間違えるとたどり着かないんだもの。
「ねぇ、歌音、合唱部どうするの?」
「え?あ、そうね・・・やっぱり歌いたいから・・・」
「入る?」
「勉強にもなりそうだし。たくさんの人と関われるんでしょう?」
「そうよ、合唱だもの!」
「あ、でも、何か特別な能力とかなくちゃだめ?」
「?えーと・・・まぁ、楽譜は読めないとダメかもね」
「楽譜・・・」
人魚の世界にも楽譜はあるけれど、この世界のものは読めないわ。
「みんなは読めるの?」
「かろうじて」
三人そろってそう言った。
「んー、じゃ、海輝のとこ行こう!連絡して聞いてみる」
カチッと携帯電話を取り出すと、真珠が海輝に連絡をとった。
本当に、この携帯電話ってものは便利ね…。
「OKだって!電車で2駅だし、行こう!」
「海輝は読めるのね」
「そりゃそうよ!この世界で音楽をやってるんだから」
「あ、これで海輝と歌音のデュエットが聴けるわね。楽しみ〜」
電車という、また不思議な箱の乗り物に乗って移動する。
こんなものが、こんなウミヘビみたいに長いものが、すごいスピードで走っていく。
本当に、人間界って驚きがたくさんだわ・・・!
ピンポーン。
チャイムを鳴らすと、インターホンの応答のかわりにガチャリと扉が開いた。
「いらっしゃい!待ってたわ」
海輝が姿を現す。
「突然ごめんなさい」
「いいのいいの。私だけ会えなくて寂しかったし。さ、あがって」
海輝にうながされて、家の中へと入っていく。
案内された部屋はピアノが一台に本棚とオーディオ機器(とまとめて言うらしいわね)、
机といすが数脚のシンプルな部屋だった。
そして、そこに男の人がひとり、ピアノを弾いて待っていた。
「えっと・・・」
「あ、紹介するわ。林原朗。私と同じ大学のピアノ科に通ってるの」
「よろしく」
「水城歌音です。よろしくお願いします」
ぺこりと一礼する。
「朗さんはねー、海輝のボーイフレンドなんだよー」
にゅっと真珠が横から首を出して言った。
「いいふたりよねー。ピアノと歌で。それに、あたしたちのことも知ってるの」
「?」
「人魚のコト」
「そうなんだ・・・」
「もう、真珠!」
「いいじゃない〜。ホントのコトだし。ね、朗さん」
「ああ、そうだな」
くすくすと笑いながら朗さんが言った。
見かけによらす、おちゃめな人なのかも知れないわね。
「それはそうと、制服似合うわね、歌音」
「そ、そう?ありがとう」
「ホント可愛い。で、本題だけど、楽譜の読み方教えて欲しいって本当?」
コトンと机の上にカバンを置く。
「ええ」
「合唱部にでも入るの?」
「そうしようと思ってるの。歌えるし、勉強になるって」
「そっか。よし、朗とバッチリ教えるわ!歌音は確か暗記力は良いのよね。
それなら、すぐに覚えられると思うし、読めるようになるわよ」
「よろしくお願いします」
そうして、海輝と朗さんによる楽譜の読み方講座が始まった。
もちろん、参加者はわたしだけ。真珠・雫・あくあはしばし待機ということになった。
「なるほど!わかったわ!」
「・・・ほんと、歌音って覚えが早すぎるわ・・・」
約30分間、様々な楽譜を海輝が引っ張り出してきて、
朗さんの弾くピアノと照らし合わせながら説明を聞いた。
楽譜って色々なルールがあるけれど、
それさえ覚えてしまえば簡単に読むことができるのね。
音と楽譜の関係もわかりやすく説明してくれて、さすが音楽2人。
「テンポのこととか、色々書いてある表現記号とかは辞書を引けば大丈夫だし
・・・専門的に学ぶのなら必要だけど、そうじゃないならこのくらいで大丈夫。
あとは音階を身体にしみこませればいいだけね」
「へぇ・・・。ありがとっ、海輝、朗さんっ」
「もうわかっちゃったの?歌音ちゃん」
「はいっ。とってもわかりやすくて・・・ありがとうございました」
「いや、あ、うん。それならいいんだけど・・・。
なんだかかーるく幼少期の努力を無駄にされた気分だな」
「くすくす。仕方ないわ。歌音は人魚だもの」
「海から来たんだっけ?すごいなー。本物に会えるとは思わなかった」
「数十年に一度数人しか来ませんから・・・」
人魚ってもっと軽蔑されたり、おとぎ話の中のものだけだと思われたり、
気持ち悪いって言われるものだと思っていたけど、あたたかく受け止めてくれるひともいるのね・・・。
朗さんは純粋な人間。
それでも、わたしたちのことを知って、受け止めてくれてるんだ・・・。
「みーきー。終わったんなら一曲歌ってよー。30分待ったんだからー」
テーブルでお茶を飲みつつ待たされていた三人が言った。
「ごめんなさーい。じゃ、おわびに一曲歌うわ。歌音にもわかりやすいのがいいわねー・・・」
そう言いながらパラパラと楽譜をめくっていく。
「あ、これにしましょ。コピーもあるし」
コトンと海輝が楽譜をピアノの譜面台において、ぺらっと紙を一枚わたしに渡した。
「それ、今から歌うから見て聞いてて。簡単だから歌音にもすぐ歌えると思うわ」
「ありがとう」
そして、奏でられる歌。
朗さんの弾くピアノはとても綺麗で澄んでいて、海輝の歌をちっとも邪魔しない。
海輝の歌声はやさしくて綺麗で少しツヤがある。
紫音姉様の歌い方に近いかもしれないわね・・・。
とても、心地良い歌声、よく響いて、ドキドキする。
それに、曲もとても綺麗な曲だった。
「はー、やっぱ海輝は上手いなぁ」
「素敵よね。人魚の歌声」
「あら、本物の純人魚を目の前にそれはないんじゃない?」
くすくすと海輝が対応した。
「そう!歌音もすっごく綺麗な声なの!本当に素敵なの!海輝、聴いてあげてよ」
あくあがぽんっと手を打って言った。
「もちろん、そのつもりよ。海の世界でも人気な歌姫らしいし」
「そ、そんなことないって」
「それは是非きかなくちゃ」
ピアノの前に座ったまま、朗さんがにっこりと笑いながら言った。
もう、みんなして・・・。そんなに期待されるとドキドキしちゃうわ。
「さっきの海輝が歌ってた歌でいい?」
「ええ。って、もう歌えるの?」
「難しいことはわからないけど、歌えるわ。楽譜も読めるようになったしね」
「・・・そう。じゃ、朗、伴奏お願いね」
「了解」
視線で朗さんが「はじめるよ」とわたしに合図してから、ピアノを弾き始めた。
「・・・・・・歌音が人気の歌姫っていうのは間違いなさそうね・・・」
「ああ・・・。すごく綺麗な声だな」
「え、あ、えと、そう・・・かな?」
「お世辞じゃないわよ。これでも一応声楽を学んでるし・・・
色々聴いてきたけど・・・純粋に声が良いって人…初めてかも」
海輝と朗さんが顔を見合わせた。
「んー・・・どういう意味?」
真珠が海輝に言う。
「え?ああ、つまりね、歌が上手い歌手なんて山ほどいるけど、
生まれ持った声質が純粋に素敵な歌手はなかなかいないってこと」
「練習して作り上げた声じゃなくて・・・そうだな、
君たちのイメージで言うと天使の歌声って感じかな。外国の聖歌隊とかさ」
「なるほど・・・。確かに、歌音って教会音楽が似合いそうよね」
「とっても澄んでるし。人魚に向かって
天使の歌声なんて失礼かも知れないけど・・・、まさにそんな感じね」
そ、そんなに褒められると照れるんですけど・・・。
わたしは特に訓練したわけでもないし・・・歌は趣味のようなもので・・・
そんなに褒められるほどのことは一切やっていないのに・・・。
「自信持ってよ、歌音。とっても素敵だから」
「でも・・・」
「でも?」
「・・・自信、もっても大丈夫なのかな?わたし、
ただ歌うことしかできなくて・・・なんのとりえも他にないだけで・・・」
「大いに自信を持って結構よ。発声とかちょっと勉強すれば、
もっと歌いやすくなると思うし・・・歌音の声なら合唱は最適ね。オペラとかよりは絶対に良いわ」
「・・・ありがとう。そうね、ちょっとは自信持ってやってみるわ。ありがとう」
「いいえー。ね、今度デュエットしようよ、歌音」
「でゅえっと?」
「二人でかけあったりハモったりして歌うことよ。二人で歌う歌のことをデュエットっていうの」
「海輝と?嬉しいっ」
歌を歌うこと。
わたしにはこれくらいしか取り柄がないの。
勉強ができるのは人魚の記憶力のせい。
運動は海の世界でも得意じゃなかった。脚になったのだから、もっとダメ。
特にかわいいわけでもないし、王女という肩書きはこの世界ではない。
わたしができるのは歌うことだけ。
だから、少しくらい自信を持ってもいいよね。
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