翌日の夜。
みんなはそれぞれの自宅に帰って、真珠とふたりで水族館に向かった。

“水族館”

そこは、海の生物を水槽に入れて人間達に見せている場所。
快く思うはずもない。
あんなに広い海に住んでいる彼らを、 限りある小さな水槽に入れて人間達に見せて、
芸を仕込んで客寄せをする・・・人間界の娯楽施設。
何のためにそんなものが存在するのかさえ、わたしには理解できない。
だから、だからこそ、そこで暮らすものたちに直接聞いてみたい。
あなたたちは幸せなのか。
こんなところにいて幸せなのか。
なんのために水族館があるのか・・・。


正面の入り口から中に入る。 閉館された水族館は少し薄暗い。
水の流れる音としんとした空気が漂う。
入ってすぐのエスカレーターとかいう階段が動いてるような機械に乗って下へと進んでいく。
ぐるりと水槽で囲われているエスカレーターは未知の世界への入り口のよう。

「ねぇ、真珠」
「ん?」
「水族館って何であるの?」
「え?」
「人間の娯楽のため?ただ、それだけのために、 彼らをこんなに狭いところに捕らえてあるの?」
「そうね・・・“どうして”と言われても、 あたしには本当の意味はわからないけど・・・でもね、 あたしは水族館は人間に海の世界を教える場所だと思ってる」
「教える?」
「そう。人間は水中で呼吸が出来ないでしょう。 特別な装置を身につけることが出来て、 きちんと訓練とかも受けてる、ごく一部の人しか水中の、 海底の世界を知ることができないの。海をあたし達は上からしか見られないから」
「うん」

そう。わたしたちと逆で海を上からしか見られない人間界。
人間は水中で呼吸が出来ない。
海の底は彼らにとって神秘の世界。

「だからね、水族館っていうのは水の固まりにしか見えない海にも、 ちゃんと生き物が生活していて、 ちゃんと生きてるんだってことを教えるものだと思うのよ。 海の中にも素敵な世界が広がっているんだってね」
「そっか・・・そうね・・・」
「やっぱり海の住人としては気になった?」
「ええ・・・。でも、真珠の意見を聞いて少し理解できたわ。 わたしが海の世界で地上を知ることが出来ないように、 人間も海の世界を知ることが出来ない。その手助けをしているのね」
「そう。海の世界に生き物がいて、素敵な世界だってわかれば、 海は尊いもので汚してはいけないって思うこともできるでしょう?」
「そうね」

水族館は人間に海の世界を、海の魅力を知ってもらうための手助けをする場所。
そう思うと、ここが少し素敵な場所に思えてくる。

「でも、彼らは嫌じゃないのかしら。広い世界から連れてこられて ・・・こんな狭い場所にいるのはつらくないのかしら」
「それは直接聞いてみて。あたしから言うより正確でしょ」

そういって真珠がエスカレーターの先にあるフロアを指さした。
そうね・・・彼らに聞いた方が早いわね。


ひとつの大きな水槽に歩み寄っていく。
透明なガラスで区切られた世界。 そこはわたしがいつも見ていた世界とよく似ている。

「こんばんは」
『!もしかして人魚?』

わたしが声をかけると、ささっと魚たちが寄ってきた。

「ええ。歌音っていうの。よろしくね」
『人間界に来てるの?』
「そう。留学に来てるの。真珠のところにお世話になってるからご挨拶に」
『そうなんだぁ。これからよろしくー』
「・・・ねえ、ひとつ聞いてもいいかしら」
『どうぞどうぞ』
「ココにいて楽しい?苦しくない? 広い海から離れて水槽の中に入れられて、人間達に見られて嫌にならない?」
『そうだねぇ・・・たまに海が恋しいときもあるかな』
『でも、ゴハンももらえるし、 真珠が話し相手になってくれるし、仲間もいるし、楽しいよ』
『それに人間って見てると面白いんだよ。ときどきからかってやったりしてね』
『ここには海で生まれ育ったものよりも、 ここで生まれ育ったものが多い。だから苦だとは思わないのかもしれないけどな』
『それにね、ここには真珠がいてくれるから、 どの水槽に行ってもみんな満足してるって言うと思うよ』
「どうして真珠がいるからなの?」
『真珠は混血の人魚だけどうちらと会話ができる』
『だから、真珠に、どこか不満があれば聞いてもらえるし、なにかあったら伝えられる』
『そうすると真珠が人間達に伝えてくれて、改善してもらえるのさ』
『ここはきっとすごく幸せな水族館だよ。恵まれたね』
「そうなの・・・。じゃあ、あなたたちは今の生活に満足してるのね」
『もちろん。それに海に帰りたかったら真珠に言ってとっくに帰してもらってるね』
「よかった・・・」
『純人魚だよね。“かのん”って歌に音って書く歌音?』
「そうよ。わたしのこと知ってるの?」
『知ってるよ。4番目の王女様だろう?人間界に来るなんて冒険心の強い王女様だ』
『水族館って場所を誤解しないでおいてくれるかい? ここは人間の娯楽の場所でもあり、人間に海の世界を知らせる場所でもある。 決してうちらを水槽に入れて閉じこめて不自由な思いをさせて、 人間に見せびらかしている場所じゃないって』
「もちろんよ。あなたたちに聞けたんだから・・・確かよね。 ここに来るまでは誤解していたけど・・・やっぱり来なくちゃわからないことってあるわね」

ほっと安堵のため息をもらす。
よかった・・・人間界に来て、水族館という場所を誤解したままにならなくて・・・。
きっと、ここは世界で一番幸せな水族館ね。真珠というひとりの人魚のおかげで。

『ほら、王女様、真珠が呼んでるよ』
「あ、ほんと!それと、わたしのこと、歌音って呼んで。これから一緒なんですもの」
『わかった。ほら、のんびりしてると回れないよ』
「はーい!」

たたっと真珠のところに駆け寄る。

「どう?聞けた」
「ええ!ここは世界一幸せな水族館ね!真珠がいるから!」
「あたし?」
「そう!」
「・・・それはそれは。さーてと、ちゃっちゃと行きましょ!」
「はいっ」

それから、真珠の案内で水族館を巡り歩いた。
みんな、本当にどこの水槽に行っても、ココに満足してると楽しそうだった。
それに、海で生まれたものの方が少ないだなんて想像もしていなかった。
でも現状はそうなんだって。ココで生まれて、ココで育つ。だから、不満はないんだって。
むしろ楽しんでるみたい。
よかった。本当によかった。同じ海の出身として、とても嬉しい。

「最後はココ!」

ガチャッと真珠が扉を開いた。

「イルカのプールに通じる裏口よ。ささ、いきましょ!」

すたすた歩いていく真珠の後ろをひょこひょこついて行く。
まだ走るということは不得意だから大変。

「はい、タオル持ってねー」

そう軽くぽんっとタオルをわたしに渡した。
タオル・・・持って・・・イルカのプールへ行くの?
ガチャリと最後の扉を開くと、屋外に出た。
たくさんの客席と広いプールとステージ。なんだか歌会の会場を思い出す。
ステージの端まで行って、真珠のとなりにしゃがみこむ。

「マリアー、アリアー、ルナ、アルテミスー!」

そう、真珠が声をかけると、ざざっと水面をやぶって四頭のイルカが姿を現した。
すいっと軽やかにプールの端までやってきて、顔をのぞかせた。

『真珠ー、久しぶりじゃないー』
『よっ!』
『お客さん?』
『見ない顔だなー』
「久しぶりね、みんな。彼女は歌音。人間界留学でこっちにきている本物の人魚よ」
「初めまして、歌音です」
『真珠が言ってた留学生ね。初めましてー、アリアです』
『あたしはマリア』
『ルナ』
『おれはアルテミス。よろしく』

ぱしゃぱしゃと水を叩いて、彼らが言った。
真珠ととても仲がいいのね。 楽しそう。

「さーてとっ」

真珠がすっくと立ち上がって、突然服を脱ぎ始めた。

「し、真珠!?」
「んー?ほら、歌音も脱いで。水着着てきたでしょ」
「そ、そうだけど・・・」
「泳ぐでしょ?早く早く」

出かける前に真珠に言われて服の下には水着というものを着ている。
これは人間が水の中で泳ぐときに着るものなんだって教えてもらった。
ぱっぱと服を脱いでしまった真珠に続いてわたしも服を脱ぐ。
そうか・・・このためにタオルが必要だったのね。

「今度人間の姿での泳ぎ方も教えるけど、今日はいいや。さ、行こう行こう」
「え、あ、うん」

ざんっ。

プールに向かってダイブした。
すうっと人魚の姿に変わる。見慣れたしっぽ。自由になる体。
やっぱりこの姿が一番安心するわ・・・。