「さ、降りるよ」
「は、はい」

再び春樹がわたしのことを抱き上げてくれた。
しっぽの人魚は立って歩くということが出来ないから・・・。
自動車から出て見た景色は高い建物と小さな小屋だった。 さっきより高い位置にいることは確かね。

「・・・ここは?」
「あなたがこの世界で生活するのに一番大事な場所よ」

真珠のお母様が言った。
わたしが、人間界で暮らすために、一番大切な場所・・・?

「つまり、真珠屋さんだ」

そう教えてくれたのは真珠のお父様だった。
なるほど・・・ここが真珠屋さんなのね・・・。人魚が人間の姿を保つために必要な特別な真珠。
混血の人魚は水に入る時だけ必要だけれど、わたしたち純人魚はそうもいかないと聞いたわ。


「こんばんはー」

ガラリと扉を開けて、真珠の両親を先頭に小屋の中に入った。

「おお、いらっしゃい。待っていたよ」

出迎えてくれたのはひとりのおばあさん。とても優しそうな瞳をしている。

「おや、可愛い娘さんだこと」

わたしのことを見て、にっこり笑ってそう言った。 か、かわいい・・・ですか・・・。

「さ、とりあえず、そこの水の中にいれておやり」

おばあさんが指さした先には大きな水槽があった。人魚一人、余裕で入れる。
真珠がはらっとタオルをとってくれて、春樹がするりと優しく水の中にわたしを入れてくれた。
ああ、やっぱり水の中は落ち着く・・・。
これって“水を得た魚”って言うのかな・・・。 体中が安心する。

「ほほーう・・・」

おばあさんがとんとんっと水槽近くの段に上がって、わたしをまじまじと見て言った。
な、なにか・・・した?

「おまえさん、名前は?」
「歌音です。歌に音と書きます」
「そうかい。歌音か・・・」

今度はとんとんっと段を下りながらわたしの名前をつぶやいた。
わ、わ、わたし・・・なにかしたかしら?

「おまえさんたち、すごいお客さんをお迎えしちゃったもんだねぇ」

小屋の中で待機している真珠たち一行におばあさんがにっこりして言った。
純人魚を迎えるんだから、すごいお客さん・・・っていうこと?
確かに、人間界では純人魚はめずらしいけれど・・・。
わたし以上に真珠たちはわけがわからないらしく、お互いの顔を見合わせていた。

「おや、何も聞いていないのかい?」
「ええ・・・」
「歌音のしっぽ、見てごらん」

その一言に、みんながわたしのしっぽに視線をよせた。
ただのしっぽよっ・・・。そんなに見られると恥ずかしくなっちゃうわっ。

「ひれがついているだろう」

ああ、なるほど・・・そういうことね・・・。

「ええ」
「私たちにはないですよね」
「純人魚だけの特徴とかじゃないの?」
「あははは!それもそうだね、おまえさんたちは本物の人魚のことは何も知らないだろうからね」
「??」
「このヒレはね、王族の者にのみ受け継がれるものなんだよ」
「・・・王族?」
「そう、つまりこの子は王女様、プリンセスってわけだ」
「・・・・・・ええええー!」

みんなが驚きの声を上げた。
ざばっと顔だけ水面に出す。王女様と言っても6人姉妹の4番目だもの。

「でも、わたし、6人姉妹の4番目なので、そんな…」
「王女様が人間界留学に来るなんてねぇ」

くすくすと笑いながらおばあさんが言う。
・・・おばあさんは昔、海に住んでいたということかしら・・・。 でなければ、知ることが出来ない・・・はず・・・。

「噂には聞いてるよ。四番目の王女は歌が上手で美声の持ち主だとね。 まさか会えるとは思ってもいなかったよ、歌音」
「そんなことないです!」
「てれないてれない。それより、アレ、持ってきたかい?」
「あ、はい。これですよね」

ぽすんっと持ってきた小さな袋を渡した。 “人魚の涙”を。

「おお、そうそう」
「これで足りますか?」
「おつりがくるよ」

中身を確認して、にっこり笑っておばあさんが言った。お、おつり・・・。

「おばあちゃん、それ何?」
「コレかい?」

雫が興味津々に袋の中をのぞき込んだ。
おばあさんが一粒つまみだして、みんなに見えるようにかざした。
地上ではキラキラと輝いて見えるのね・・・。

「綺麗・・・」
「これは“人魚の涙”だよ」
「人魚の涙?」
「そう。本物の人魚の涙はごくまれにこうして結晶化することがあるのさ。 人魚の世界では自分の結晶化した涙をきちんと保管しているんだよ」
「人魚の涙で何をするの?」
「これは大変貴重なものでね。同時におまえさんたちにもないと困るものだよ。 ネックレスの留め具のところを見てごらん。ふたつだけ、人魚の涙になっているハズだよ。 真珠の力をより強く引き出してくれる大切なものなんだ」

ごそごそと真珠と雫が自分の真珠のネックレスを取り出している。
あれが、人魚に必要とされる真珠・・・。

「あ、本当!ふたつだけ色が違う」
「でも、あくあは真珠三つだし、私は一粒だけれど・・・」

海輝が不思議がっている。海輝とあくあは血の薄い人魚なのね、きっと。

「そんなに力の強くない者には必要ないからね。人魚の涙は本物の人魚からしかとれない、 きわめて貴重なものなんだよ。さて、歌音の分の真珠を作ってこようかね。ちょっと待っていなさい」

そう言うと、おばあさんは奥へと行ってしまった。
真珠はひとりひとつ。しっぽの色をもとに決めるって聞いたことがある。


「・・・歌音って歌上手いんだ」

ちらりとわたしを見てあくあが言った。おばあさんがあんなこと言うから〜・・・。

「そんなことないですよ。普通です」
「今度歌ってね」
「・・・はいっ」
「しかし、人魚姫が歌が上手いっていうのは本当なのね〜」

人魚姫でなくても歌が上手い人魚なんてたくさんいるけれど・・・。それに、わたしたちは母様の影響ですしね。

「歌音の姉妹も歌、上手なの?」
「はい。姉妹で歌会をやっていましたし」
「うたかい?」
「演奏会です。母様が“人魚姫の歌会”と名付けたので歌会と呼んでいるんです」
「へぇ・・・!素敵だね」
「それにしても、綺麗なしっぽ・・・やっぱり純人魚は違うわね」
「ええ。髪も綺麗な色だし」
「お砂糖菓子みたいだね」
「みなさんは何色の人魚なんですか?」
「私は水色よ」

取り外した真珠のネックレスを着けながら雫が言った。雫の真珠は綺麗な水色に輝いている。

「あたしはピンク。歌音のよりピンクが強いかな〜」

真珠がまじまじとわたしのしっぽを見ながら言った。わたしよりピンクだと・・・愛音みたいな色かしら。

「わたしはレモン色よ」
「レモン?」

レモンって確か、果物の名前ではなかったかしら…?

「あくあ、レモンなんて言っても歌音はわからないよ」
「あ、そっか。えーとえーと、薄い黄色、かな」
「私は薄い紫よ」
「春樹は・・・ねぇ、エメラルドグリーンってなんて言うべき?」
「さぁ・・・青緑?」
「薄い青緑じゃない?」
「んー、まぁ、そんな色」
「みなさん素敵な色ですね。レモン色ってどんな色か見てみたくなっちゃった」
「そうね。また後日、みんなで遊びましょ」

くすくすと笑いあう。女の子の会話はどの世界でもこんな感じなのね。

「ねぇ、姉弟だと、やっぱり同じ色なの?」
「いえ、色は遺伝しないんです。髪の色も、瞳の色も、しっぽの色も」
「てことは、姉妹バラバラ?」
「そうです。あ、でも、双子の妹の髪と目は同じ色だったけれど・・・」
「妹さん、双子なんだ!」
「みんな色が違うんなら、人魚の世界ってカラフルで楽しそうよね〜」
「あら、最近は人間だってやろうと思えば色々できるじゃない」

くすくすと海輝が言った。人間ってどんな風にカラフルにするの・・・?
色々できるって? 髪や目の色を変えることが出来るということ?
自動車が勝手に走るのですから、不思議ではない気も・・・してきちゃう。


「おやおや、話が弾んでるねぇ」

おばあさんが小さな箱を持って戻ってきた。
とんとんっと段を上がると、一枚の布を広げる。

「まぁ、とりあえず、コレを着て」

バサッと上からかぶせられる。
ふ、服?あたふたしながら腕を通すであろう部分から腕を出す。 こ、こうやって着るのね・・・。

「歌音。まずはじめにひとつ教えておくことにしようかね」

真剣な口調でおばあさんが話し始める。

「・・・何をですか?」
「人魚が真珠でいくら人間の姿になっても、決してやってはいけないことだよ」
「・・・魚・・・関係ですか?それなら教えてもらって・・・」
「そうじゃない。歌音自身のことさ」
「わたし?」
「そう。人魚が人間の姿になっても絶対にしてはいけないこと、それは泣くことだよ」
「泣くこと?」
「どうして泣いちゃいけないの?」

真珠が口を挟んだ。確かに、どうして泣いてはいけないんだろうと思ってしまう。

「人間界は空気で包まれている。人魚が流す涙はすぐに結晶化してしまうんだよ」
「つまり、さっきの“人魚の涙”になっちゃうってこと?」
「そう。おまえさんたちみたいな混血の場合は、血が濃くても涙は涙のまま。 まぁ、純水になるくらいなものだ。けれど、本物の人魚は違う」
「海の中で結晶化しないのは水中に含まれる酸素が関係してるということか?」

春樹がぱっと言った。春樹って博識なのかしら。

「そう。ごくまれに酸素に反応して結晶化していた涙だが、人間界は酸素はあふれかえっている。 だから、歌音、人間の前では決して泣いてはいけないよ。おまえさん、泣き虫みたいだからね」
「え、あ、どうして泣き虫だって・・・?」
「そりゃ、あれだけの人魚の涙があればね。人間界は意外と残酷な世界だから気をつけなさい」
「・・・はい」

わたしは結構泣き虫。
萌音と愛音が生まれるまでは末っ子としてかわいがられたりもしたけれど、 逆に姉様たちみたいにしなくちゃと頑張ってた。
何でも器用にこなしてしまう姉様方に近づきたくて涙を流しながらでもたくさんのことに挑戦したから。
冒険も大好きだった。湊と知らないところへ行くのが楽しくて、でも怖いこともたくさんあったもの。

「さてと」

ことんっと箱の中からおばあさんが指輪を取り出した。

「歌音」
「はい」
「歌音は海が好きかい?」
「もちろんです」
「人間界で人間の姿をしていても、いくら地上の暮らしになじんでも、 自分が人魚であること、海の世界の一員であるということを決して忘れてはいけないよ」
「・・・はい」
「海に忠誠を誓うかい?」
「はい」
「よし。それだけはっきり言えるなら大丈夫だろう。左手をお出し」

すっと左手をおばあさんの前に出す。ぽたっぽたっと滴がしたたる。
薬指にすっと指輪を通してくれた。

「指輪にくちづけをして」

ちゅっと軽く指輪に口づけする。
綺麗に光る青い宝石に。

「よし。歌音、この指輪は海とおまえさんとをつなぐものだよ。絶対に外してはいけない。 もし、どうしても外さなければならないときは、こっちをお付け」

ころんっと小さな小さな指輪を取り出した。・・・・・・そんなに細い指・・・ないんですけれど・・・。

「これは足につけるもの。トゥーリングと言うんだよ。だから、そこのお嬢ちゃんたちに教えてもらいなさい」
「はい・・・」
「これはブルーサファイヤという宝石だよ。海の色みたいだろう?」
「とっても綺麗・・・」
「そう。さ、これが、歌音の真珠だよ」

じゃらっと取り出された真珠のネックレス。わたしのしっぽの色と同じ色をしている。
そして、真ん中には宝石がついている。

「ピンクパール、珊瑚、人魚の涙、これを順番に並べてある」
「この、真ん中の宝石は?」
「これはピンクダイヤモンド。 宝石は真珠の力を増幅させる効果があるんだよ。おまえさんの色から、この宝石にしたんだ」
「素敵」
「高いから盗まれないようにしないとね」

た、高い・・・の?それなのに、人魚の涙でおつりがきちゃうの・・・?

「真珠を外さなければならないときは、髪留めにこれを使いなさい」

髪飾りをひとつわたしに見せる。綺麗なモチーフになっている。

「これは一時的なものだからね。なるべく真珠をつけているように」
「あの、こんなにいいんですか?」
「おつりがくるって言っただろう?さて、注意事項を言っておこうかね」
「注意事項?」
「そう。まぁ、詳しい使い方はお嬢ちゃんたちに習ったほうが早いだろう。 歌音が注意しなきゃいけないのは、どちらも必ずつけていなければいけないってことだよ」
「??」
「真珠と指輪、ふたつそろってないと効力がないからね。 たとえ水の中でなくても、どちらかひとつが付いていなければ人魚の姿に戻ってしまうから、 気をつけなさい」
「水がなくても、なの?」

話を聞いていた真珠が口を挟んだ。

「そうさ。歌音は純人魚だからね。おまえさんたちみたいにはいかないんだよ」
「そっか・・・」
「どちらも決して外さなければいいんですね」
「そう。さ、歌音、ここまで上がっておいで」

とんとんっと一番上の段をおばあさんが叩いて合図をした。
ざばっと上に上がる。ぽたぽたと水がしたたって、なんだか申し訳ない気分になる。
すっとネックレスをわたしにつけてくれた。

「良い髪をしてるね。しかし、人間界では重いかもしれないけどね。さ、人間の姿へと願ってごらん」
「・・・それだけでいいんですか?」
「ああ、それだけで大丈夫」

ぎゅっと瞳を閉じて、人間の姿へと心に思う。
突然、下半身が不自由になる。ぱっと瞳を開けると、そこには見慣れたしっぽがなかった。
二本の脚があった。すごいっ・・・。

「わ、わ。これだけでいいんだっ」
「上出来上出来。さーて、また歌音を運んでいっておやりね。まだ歩けないから」
「・・・そっか。歌音は歩くってことがわからないんだよね」
「そこから訓練かぁ!」

ぱっと大きなタオルを取り出すとおばあさんがガシガシとわたしの髪を拭いていった。
長い長い髪は人間界では少し重いわね。
春樹がてこてことやってきて、ひょいっとまたわたしを抱き上げた。

「・・・やっぱり軽いな」
「すみません、お手数おかけして・・・」
「いいよ。大丈夫」
「さ、夜も遅い。みんなお帰り」

大事な用が終わったからか、おばあさんがさくっと言った。
いったい今がどんな時間なのかさっぱりわたしにはわからない。
星と月が出ていて、暗いから夜だとは思っていたけれど・・・。

「あの、ありがとうございました」
「また何かあったらおいで。人間界を楽しむんだよ、歌音」
「・・・はいっ」