「すごーい!1枚終わっちゃったぁ!」
「お、頑張ったな」
「えへへ」

パラパラとノートをめくりながらさくらが満足げに言った。
さくらにしてみれば数学のプリント一枚はかなりの難関だったようだ。

「小狼君のおかげ!わたしひとりじゃこのプリント夏中に解けなかったかもだもん」
「おいおい、大げさじゃないか?」
「そんなことない!ホントだよ!小狼君の教え方すごくわかりやすいんだもん」
「それはそれは」
「ね、今度からも教えてくれる?」
「・・・いいけど・・・」
「ありがとうっ。小狼君がいてくれれば百人力だよう」

そう笑顔で言うさくらに小狼はいつも目を奪われた。
いつもひまわりのように明るいさくらの笑顔は何よりも小狼の心を落ち着け、 そしてまた乱すものでもあった。
ちらりと時計を見る。時刻は6時過ぎ。

「よし、じゃあ、今日はここまでにしよう」
「え、もう?」
「なんだ?もっと数学やりたかったか?」

カタンと立ち上がって、小狼はカウンター越しのキッチンに向かった。
カランカランと氷が音を立てる。

「そういうわけじゃなくて・・・その・・・」

わざとゆっくりゆっくりと勉強道具を片づけるさくら。
その顔は嬉しそうとはとても言えなかった。

「何だ?」

小狼がアイスティーの入ったガラスグラスをふたつ持ってソファに座った。
コトンとテーブルにグラスを置く。
その様子をただたださくらは黙って見ていた。

「さくら」

一言、優しく小狼がさくらの名を呼んだ。
それが「おいで」という意味なのは言うまでもない。
素早く立ち上がると、さくらはぽすんっと小狼の隣に腰掛けた。
カランっと氷の溶ける音がした。

「あのねっ・・・数学をやりたいんじゃないの」
「ふうん?」
「ただ、その・・・小狼君と・・・一緒にいたいなって・・・それだけっ」

ぷいっと恥ずかしがってさくらがそっぽを向いた。
さくらは末っ子で年の離れた兄がいるが、けして“甘え上手”ではなかった。

「・・・おれだって・・・そう、思ってる・・・」

ぽそっと小狼が言う。その一言をさくらは逃さなかった。

「・・・ホントに?」

そろっとさくらが小狼に視線を戻す。
小狼の赤面癖は小学生の頃からあまり変わっていないようだ。

「そりゃ・・・」
「・・・へへっ」

きゅっとさくらがふいに小狼の腕にからみついた。

「な、さ、さくらっ?」
「嬉しいっ」

頬を染めて、満面の笑みでそういう彼女は小狼にとって何よりも大切で、そして世界一弱いのだった。

「あ、そうだ。小狼君」
「ん?」
「お誕生日・・・あんまりお祝いして上げられなくてごめんね」
「・・・何を急に・・・」
「だってだって、小狼君のお誕生日ってちょうど試験を返す期間だったでしょう? その前は試験期間で、わたし全然用意できなくて・・・」
「そんなことか。おれだってさくらの誕生日になにもしてやれなかった」
「ううん!小狼君は帰ってきてくれた!」
「?」
「4月に!わたしの誕生日・・・とはいかなかったけど、小狼君が帰ってきてくれた。 それだけでわたし嬉しかったし、最高のバースデープレゼントだったよ!」

遅咲きの桜の花が咲く今年の4月。小狼は友枝町に帰ってきたのだった。

「でも、わたしは・・・何もできなくて・・・」
「おれはさくらがいてくれればそれでいい」
「・・・でも・・・」
「じゃあ・・・ひとつ、もらおうかな」
「何?わたしができること?」
「さくらじゃなきゃ出来ないこと」
「何でも言って!わたしにできることなら!」
「じゃあ、目、閉じて」

その言葉に目をぱちくりさせながらも、さくらはゆっくりと目を閉じた。

「小狼君?」
「黙って」

その言葉に口をつぐむ。
つややかな髪に長いまつげ、ピンクのくちびるにほんのり染まる頬。
さくらは中学でも美少女とさわがれるほど、魅力的な女の子の成長していた。
その彼女が、今こうしてここにいる。
小狼は本当にそれだけでもかまわない、 と思っているのだが・・・・・・。
カランッ。
グラスの中の氷が溶けて音を立てるなか、ふたりは優しい軽い口づけを交わした。


「・・・・・・えっと・・・」

さくらが瞳を開いて言う。

「・・・これでいい」

にっと小狼が笑った。

「・・・・・・やだ」
「え?」
「わたしがいや」
「なっ・・・」

小狼が何か言いかけたそのとき。

ちゅっとさくらが小狼にくちづけした。

「・・・・・・」

小狼が思わず絶句する。
さくらがこんな大胆な行動に出るとは思いもしなかったからだ。

「わたしが小狼君にあげたかったのっ」

そう言ってさくらがぎゅうっと小狼に抱きついた。
もちろん、これは真っ赤になっているであろう自分の顔を見られたくない、
という思いもこめられている。
こうすれば決して小狼に顔を見られることはないからだ。

「さ、さくら・・・?」
「ハッピーバースデー、小狼君」
「・・・ありがとう」

小狼もやさしくさくらに腕をまわした。

小狼とこうしていられるなら、ふたりで会えるなら、
夏休みも宿題も、 数学も、やっぱり悪くないな、なんてさくらは思っていた。


**fin** 2005.08.