BlueMoon : Friday
「さて、今日は寝なくちゃね」
金曜日の夜。光り輝く丸い月を見て、自分に言い聞かせるようにさくらがつぶやいた。
時刻は23時半。
満月の今夜は、さくらも小狼に立ち入りを禁止されていた。
“満月の夜だけは来るな” 他の日ならば良いという意味でもある。
夜というのは日が落ちてからの時間を指す。“お休みなさいませ”の一言も交わせなくなるのである。
「わがまま言っちゃダメだもん。さ、寝よう」
――早く寝て早く起きても、明日はお休みだけど・・・。
予定のないお休み。それならメイドしちゃってもいいんだけどなぁ・・・
小狼様に会えるし。
ベッドに潜り込みながら、さくらはそんなことを考えた。
土曜日だって、小狼と会うという予定がなければ、ただぽっかり空いた休み。
それならメイドとして小狼と会える方がよかったのだ。
さくらがうとうとしかけたとき、
コンコン
さくらの部屋のドアをノックする音がした。
通常、メイドの部屋に来るのはメイドだけである。ということは、誰かからお呼びがかかったのだろうか。
そんなことを思いながら、
「はあい」
少し眠たい声で返事をして、扉を開けた。そして、驚いて思わず硬直してしまった。
「しゃ・・・!?」
「さくら、あとで部屋に来てくれないか」
「え?!あ、ええ!?」
扉の前に立っていたのは小狼だった。
それだけ言うと、さっと身を翻して行ってしまった。さくらはあっけにとられている。
――なんで、小狼様が・・・!?満月の夜は出てこられないし・・・
わたしに来るなって言ったのに・・・
小狼が姿を消した廊下を、さっきの言葉と以前言われた言葉を思い出しながら、じっと見つめた。
そして、今日はまだ金曜日。
メイドのさくらはご主人様に逆らったりしないもん、とつぶやいて、さくらは手元明かりを持つと、ストールを肩に巻き付け、部屋を後にした。
コンコン。
「失礼します・・・」
少し遠慮がちに、さくらは小狼の部屋の扉を開けた。
「小狼様・・・?」
部屋には誰もいない。レースのカーテン越しに月明かりが降りそそいでいるだけである。
ソファもテーブルも、机も本も、昨日朝訪れたときと変わりない。
部屋の主がいないだけである。
「・・・お休みになられたのなら・・・それでいいんだけど・・・」
さくらは小狼の寝室へと視線を送った。ほんの少し隙間が開いている。いつもしっかりと閉まった扉だ。
少しだけ、様子を見ようと思って、さくらはゆっくりと扉を押した。
「誰だっ」
「さっ・・・さくらです・・・!」
バッと振り返った小狼がさくらの顔を見て驚いていた。
突然の来訪者と満月という条件がそろったためか、呼吸が荒くなる。
魔力の暴走を押さえ込んでいるためだ。わすかに瞳が金色を帯びている。
「何でここに・・・」
「しゃ、小狼様が・・・あとで来いとおっしゃったので・・・」
「・・・おれが?」
「はい」
「おまえに?」
「・・・はい」
「いつ」
「・・・つい、先ほどです・・・さくらの部屋までいらっしゃって・・・」
いつになくせかすようにさくらを問いつめた。
小狼がさくらの部屋に来たのは、つい、ほんの5分前の出来事だ。
さくらの言葉を聞いた小狼は、ぼすんとベッドに倒れ込んだ。
「・・・・・・悪い。おれも、ダメだな・・・」
「え?あ、えっと・・・」
コトン、とさくらは手元明かりをベッド脇のテーブルに置いた。
「覚えていらっしゃらないのですか?」
「・・・みたいだ」
「おかしいなぁと思ったんです。小狼様が来るなとおっしゃったのに、来いってわざわざ呼びにこられたので・・・」
ぽすん、とさくらは小狼の隣に腰掛けた。
カチっという時計の音がして、時刻が0時になったことを知らせた。
「朝まで待てばいいのにな・・・ったく」
「?」
「おまえに・・・」
小狼が起きあがるのと同時に、ベッドがギシッときしんだ。
「会いたいと・・・思ったから」
「小狼様・・・」
「明日が土曜日だから・・・余計な」
「・・・もう今日ですよ」
「・・・会いたいと思ったからって、呼びに行くなんて、どうかしてる。・・・どうにも、おまえのことになると制御が狂うな・・・」
「・・・・・・」
「だから、早く帰れ」
「え?」
小狼がくしゃっと髪をかき上げてうつむきながら、瞳だけをさくらに向けた。
輝く瞳が、若干睨んでいるようにも見えるが、何かをうったえているようでもあった。その仕草と視線にさくらは胸の鼓動を乱す。
―― そ、その視線は反則だよ・・・っ
「・・・やっぱり今の取り消し」
「え、あ、ええ?」
ふいに、ぎゅっと小狼がさくらを抱きしめる。
「・・・あと5分だけいてくれ・・・。何も、しないように、するから」
「小狼様・・・」
さくらも小狼の背中に腕を回してぎゅっと抱きしめた。高鳴っていた鼓動が、徐々に落ち着いてくる。
それだけ、ふたりの関係は以前より進んだということでもある。以前は手を触れるだけでも心臓がうるさくて仕方なかったのだから。
「前にも言いました。さくらは小狼様のことを拒んだりなどしません」
「さくら・・・?」
「さくらはこうしているのが好きです。小狼様の側にいる事が大好きです」
「・・・・・・」
「小狼様が求めて下さるのなら、拒んだりしません」
「さくら・・・」
優しい声で、にっこりと微笑んでさくらはそう言った。
彼女に本当にその意味が分かっているのかどうかは怪しい。少なくとも、小狼にはそう見えて仕方がなかった。
「おまえは・・・バカだよ・・・そんなこと口にするんじゃない」
「ならば、バカで結構です」
くすっと笑ってさくらが言う。
小狼は、それならばというかのように額に口づけ、まぶたに口づけを落とした。
軽く、優しく印を付けるかのように。そして、耳元で愛しい人の名を呼ぶ。
「さくら」
その声に、さくらの身体がぴくっと反応した。さすがに耳元で囁かれるのには慣れていない。
「しゃ、おらん様・・・」
そっと髪をなで、首筋にキスをする。
「さくら・・・」
「は、い」
ただお互いを見つめる、甘い視線が絡み合った。
以前は少し怖いと思った小狼の金色を帯びた瞳も、今のさくらには優しく感じた。
「好きだ」
「・・・さくらもです」
「いや・・・違うな・・・」
「え?」
コツンと額と額がぶつかり合う。
「・・・愛してる」
そして、熱い口づけを交わす。恋人同士の交わす、甘いキス。
「んっ・・・」
ぎゅっとさくらが小狼に抱きつく。それは、小狼から逃げないという証でもある。
小狼がそれに応えるようにさくらを抱きしめた。バランスを崩し、ぼすんと後ろへ倒れ込む。
「・・・不思議だな」
「え・・・?」
とろけた瞳を小狼に向ける。
「おまえとこうしてると・・・魔力が治まる」
「・・・キス・・・で?」
「不思議な力でも持ってるのかもな・・・だから、惹かれたのかもな・・・。力を持っている者同士は惹かれやすい」
「・・・・・・そんなことはありません。さくらは、何も・・・」
「すまない、好きじゃないと言ってるんじゃないんだ」
「はい」
「ただ・・・不思議なだけで」
「苦しくはありませんか」
「大丈夫だ。すまない、引き留めすぎたな」
ギシッとベッドがきしんで、小狼が身体を起こした。さくらもゆっくりと起きあがる。
そして、衝動的に小狼のシャツの裾をつかんだ。
「さくら?」
「・・・ここに」
「え?」
「ここに、いてはダメですか」
「・・・ダメだ。今夜は満月だ。これからあとの時間も、何をするかっ」
小狼の言葉を遮って、さくらが小狼に軽くくちづけた。
「な、な、なに、をっ」
「側にいたいんです。ただ、それだけなんです。くちづけが小狼様の魔力を落ち着かせるのであれば、いつでも交わしましょう」
「お、おい」
「だから、お側に、いさせてくれませんか・・・」
「・・・・・・・・・しかし」
「寂しい、です」
「え・・・?」
さくらの口からこぼれた“寂しい”という言葉に、小狼は驚いた。
それは、自室が2人部屋なのに1人だからだろうか。それとも、別の意味なのか。
小狼は何か聞こうにも言葉が見つからず、さくらの言葉の続きを待つことにした。
さくらは相変わらず小狼のシャツの裾を離さないでいる。
「・・・小狼様は抱きしめてくださいました」
「・・・・・・」
「くちづけも、くださいました」
「・・・・・・」
「だから、いま、ひとりになったら・・・さむくて・・・寂しくて・・・」
「なら、二人部屋に」
「小狼様じゃないと嫌です」
「・・・・・・」
いつになく小狼に意見してくるさくらを、小狼はじっと見つめた。時が刻まれると満ちてくる魔力を、ぐっと押さえ込んで。
今ここで状態の変化を見破られたら、さくらを帰す事が出来なくなるからだ。
彼女を安全な場所へ。 それが今一番、小狼が優先すべき事だと思っていた。
「小狼様は、さくらがいたら・・・迷惑ですか・・・?」
「そういうわけじゃない。おれは、おまえのためを思って」
「ここに・・・いさせてください」
泣きそうな声をもらして、さくらが小さくそう言った。
何がそんなに“寂しい”のだろう。何がさくらを不安にさせているのだろう。
小狼は必死に考えを巡らせたが、答えにはたどり着かなかった。
「・・・さくら」
優しく、うつむいたさくらの顔をのぞき込むようにして名を呼ぶ。
「小狼様・・・」
きゅっと唇を結んで、さくらが視線を小狼に持ってきた。
―― こいつの目はいつも素直だな・・・。
小狼がそっと手を伸ばし、さくらの頬を包みこむ。そしてくちびるを奪った。
「・・・そうだな・・・おれも素直になろうか」
「え・・・」
「側にいてくれ」
「・・・喜んで」
ぎゅっと小狼がさくらを捕らえた。
もう、離さないと言わんばかりに、優しく、強く
** Fin **
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