夜。本邸の使用人、誰もが寝静まった真夜中近く。 さくらはすみれが別邸に移ったため1人となった部屋の窓から空を見上げた。雲がかかり、星が輝く、月のない空。 あの日から一ヶ月。 ふたりの館内での関係に変わりはない。 変わったことと言えば、週休1日となり、土曜日は館の外で、小狼とさくらが並んで歩く姿が見られるだけだ。 小狼は、私服などほとんど持っていなかったさくらに服を買い与え、 街を歩く女子に劣らぬようにと、小さなアクセサリーや靴をプレゼントした。 言葉遣いと呼び方は普段の生活があるため直らないが、メイド服を着ていないさくらと李家の敷地外で会えることは 、小狼にとって大きな意味があった。 それは、メイドではない、ひとりの女の子としてのさくらに会えるから。 さくらも、最初は恥ずかしがって服など適当でいいと言ったり、 こんなものもらえないと口にしたが、問答無用で小狼がさくらに受け取らせた。 可愛い服、洒落たアクセサリー、ヒールのある靴、小さなハンドバッグ。 そんな格好をしたさくらに小狼は優しく笑うので、さくらはそれが嬉しくて従うことにした。 何よりも、小狼の笑顔を独り占めしたくて。 どこにでもいる、普通の恋人同士。 それが、土曜日限定のふたりの関係だった。 「土曜日・・・か」 カチっと時計が小さな音を立てて0時を指した。日付が変わった今日は土曜日。さくらの休暇の日である。 しかし、今日は小狼と外で会うことは出来ないことを分かっていた。 空にぽっかりと穴が開いたみたいな、月のいない新月の夜。 そう、小狼の“立ち入り禁止期間”だった。 さくらは立ち入りを許可してもらっていたが、小狼が外出しないことは十分に知っていたのだった。 ――せっかくの土曜日も、 小狼様と外に行くっていう予定がないだけで寂しいなんて・・・わたし、 いつからこんなに欲張りになったのかなぁ・・・ ふうっと軽くため息をついてから、さくらはシャッとカーテンを閉めた。それから、手元明かりを持って部屋を出た。 ――ちょっと、様子見てくるだけだもん。 今日はお休みだから、お仕事じゃないもん そう思いながらさくらは小狼の部屋の扉を静かに開けた。 「っ」 「・・・・・・なんだ、さくら、か」 ソファにもたれるようにしている小狼がそこにいた。 部屋の電気はついていない。月明かりのない夜は、部屋の中を照らしてはくれず、暗かった。 さくらの持っている手元明かりがオレンジ色にほうっと光っている。 「小狼様っ、こんなところでお休みになるとお風邪を召されてしまいますっ」 「・・・そうだな」 ぱちっと部屋の明かりを付けると、さくらはタタタッと小狼の元に駆け寄った。 「新月の夜はお早めにお休み下さい」 「・・・わかってはいたんだがな・・・情けないものだ」 「さ、寝室までご一緒します」 「ありがとう」 さくらの顔を見て、小狼が口の端を上げた。 魔力の落ちる新月の夜は、小狼にとっては酸素の少ない部屋に入っているも同然だ。 さくらの助けを借りて立ち上がり、ゆっくりと自分の寝室へと向かった。 ふかふかのベッドと布団が小狼を包みこむ。 「小狼様、何か必要なものはございますか?」 「そうだな・・・」 そうつぶやくと、小狼はさくらに視線を送る。優しい瞳でのぞき込むさくらの顔を見て、ぐいっと腕を引き寄せた。 「きゃっ」 バランスを崩したさくらは、小狼の上にぼすんっと倒れ込む。柔らかい羽毛布団が、ぷしゅうっとさくらの重みでつぶれた。 「おまえがいい」 「え、ええ?!」 「何にもしないから、ここにいろ」 「しゃ、小狼様っっっっ」 真っ赤になりながらさくらが小狼の顔をのぞき込む。 「安心しろ、何かしたくても、出来るほどの身体じゃない」 「・・・・・・いる、だけで、いいんですか?」 「幸いにもこのベッドは広すぎるからな」 「い、いい、一緒に寝ろって事ですか!?」 「おまえは一睡もしないつもりだったのか?」 「〜〜〜〜〜〜」 ぎゅっと抱きしめられて、さくらは逃げ場を失ったことを悟った。 いくら抵抗したところで、ご主人様に背ける性格ではないことは自分もよくわかっていた。 「で、電気!電気、消してきます」 「逃げるのか」 「逃げません!だって・・・」 「だって?」 「今日は、土曜日です」 「!」 さくらのその言葉に小狼が驚いた。 曜日感覚などなかったのだ。土曜日だと気づいていなかった。さくらの休日だと。 「だから、小狼様、腕・・・ほどいて下さいませんか?」 「あ、ああ・・・わかった」 するりと腕をほどくと、さくらが体勢を立て直し、小狼の部屋の電気を消しに向かった。 そして、そのまま戻ってくると、ベッドの枕元の明かりをともし、部屋の明かりを消す。 「えっと・・・」 「入ればいいだろう」 「・・・・・・失礼します」 おずおずと広い広いベッドの、小狼がいる反対側から布団の中に潜り込んだ。 クイーンサイズほどもあるベッドは、ひとりでは確かにとても大きい。 李家のベッドはどこもこれくらい大きいので、小狼の部屋も必然的にこのサイズになっていた。 ――小狼様と同じベッドだなんて!!!! ああ、もう、どうしよう!!こんなこと奥様に知れたらっ 「・・・さくら」 「え!あ!はいっ!?」 心臓がドキドキどころか、バクバクしているさくらは、無意味にあたふたと大きな声で返事をした。 「くくっ、おまえ、そんなに固まらなくても・・・」 「そっそ、そんなことっっっ」 くっくと笑いをこらえながら小狼が言った。 ――部屋に来たときはあんなに落ち着いていたくせに そう思いながら、今のさくらの様子を見ては笑みをもらした。 「そ、そんなに笑わなくてもよろしいじゃないですかぁ〜・・・」 「すまないすまない、おまえがあまりにかわいいから」 「っ・・・・・・小狼様、反則ですっ」 「は?」 かわいい、と言われたさくらはますます顔を赤くした。 「・・・・・・お休みなさいませっ」 「何?怒った?」 「ち、違いますっ」 「・・・そうか。じゃあ・・・」 ぎゅっと小狼がさくらを抱きしめた。 いくら広いベッドだからと言って、お互いの距離がそんなに離れているわけではないのだ。 抱きしめられたさくらは、バクバク高鳴る心臓の音を隠せないことに慌てた。 「しゃ、しゃおっ」 「お休み、さくら」 「え?!小狼様!?このままお休みになるんですか!?」 「今日は土曜日。おまえはメイドじゃない」 「でもっ」 「お休み」 「・・・・・・お休みなさいませ・・・」 今日は土曜日。メイドじゃない一日。恋人同士の一日。 その言葉を言われたさくらは、抵抗することは諦めた。 この人を押しのける気持ちなとないと、気づいていたからでもある。 ――ずるいなぁ・・・小狼様はいつもずるい。 わたしが心配して来てみるといっつも逆手に取られちゃう・・・。 きゅっとさくらも小狼の背中に腕を回した。 ――まぁ・・・いっか。新月の夜くらい・・・こうしてても・・・。 それに、今日は土曜日だもん。わたし、 メイドはお休みだもんね・・・今はただの“さくら”だもの・・・ 金曜日の夜。 土曜日の真夜中。 ふたりの関係が変わる、日付変更線。 ** Fin ** |