*結婚式前夜


「じゃあ、また明日ね、歌音、湊」
「おやすみなさい」
「おやすみ」

パタン、と扉が閉まって、人間界からの来客である水沢雫・新谷あくあ・水城真珠はふうっと一息ついた。
慣れない海の世界、出会う人は王女様やら王子様やらの別次元の人たち。
気疲れもするというものだ。

「それにしても、客間がこのレベル・・・。前回よりも広くない?」
「そうだねー。他にもお客さんとか呼んでるみたいだし、貴賓扱いっぽいよね」
「実際、人間界からのお客さんなんて超が付くほどのレアなものだからじゃないかしら? 歌音が直々に呼んでくれてるっていうのもあるんだろうけど」

ぐるりと部屋を見渡して、三人が肩をすくめながら言った。
この客間は人間界で言うなら高級ホテルのスイートルームのホテル並の広さになっていて、 入ってすぐはテーブルやクッションの置かれたリビング、それに寝室が2部屋ついていて、計4人までが泊まれる部屋になっている。
内装も広々としていて、一般家庭のマンションより広いかも知れない。

「それにしても!」

ぼふんっと真珠が手近なところにあったクッションに飛び込んだ。

「またこうして海にこられるなんて、思わなかったね」
「本当に」
「このブローチだけで人魚の世界にこれるなんて嘘みたいだよね」

雫とあくあも近くのクッションに腰掛ける。
胸元に輝くブローチを見て、あくあがしみじみと言った。
普段はどんなに深くに潜っても決して見ることの出来ない、入ることの出来ない世界。
なのに、こんなものひとつでどうにかなるなんて、信じられないというようだ。

「あら、人魚が真珠で人間になれるんだから、なんてことないじゃない」
「・・・・・・・・・・・・それもそうか」
「あくあってば、時々ぼけてるよね」
「妹にもよく言われる」

その時、リリンっと軽いベルの音が扉の方から響いた。扉の前につけられた、人間界で言うところのインターホンみたいなもの。
誰か訪ねてきたようだが、そんな人物は思い当たらなくて一瞬、3人が顔を見合わせた。
リリンっと軽くもう一度ベルがなり

「お嬢様方、少々よろしいですか?」

という男性の声が聞こえた。

「あっ!はい!」

聞き覚えはないものの、城の係の人か何かかと検討をつけて、扉を開けるべく、雫がクッションからふわりと離れた。
ここは王宮の客間。警備が厳しく、怪しい人なんてこれるはずがない。

「夜分遅くにすみません、お嬢様方」
「ウ、ウィリアム様!」
「ええっ」

扉の向こうでにっこりと笑って待っていたのは、南の海の王子だというウィリアムだった。
夕食の席を共にしただけで、実はそんなに話とかはしていない。
礼儀正しく、少し配色が魅惑的な王子様。

「あ、どうぞ、お入りください」
「いいのかい?」
「もちろん。立ち話もなんですし」
「では、失礼します」

女子の部屋ではあるが、ここは人魚世界。ましてや王子様相手。 部屋に招き入れたところで危ないことなど、なにひとつないだろうという判断だ。
雫に促されてウィルが入ると、ちょうどクッションがふたつ空席だった。もともと4人部屋なので、4席用意されていたのだ。

「遅くに訪ねてすまないね」
「いえ、ウィリアム様。あ、座ってください」
「ありがとう。それと、会った時にも言ったけど、ウィルでいいよ。かしこまる必要もないし」
「あ・・・そう、でしたね。つい」
「王子様って思うとね」

あはは、とあくあと真珠が顔を見合わせて笑った。
ウィルが奥のクッションに腰掛け、あとから雫が手前に腰掛けた。

「それで、何か私たちに用が?」
「ああ。君たちは歌音が人間界留学してたときの学友・・・なんだよね?」
「はい。あたしは、ホームステイ先の家の子なんです」
「あたしたちは学友、かな」
「そうね」
「明日のスケジュールは聞いてる?」
「だいたいは・・・。式典があって、歌会があって、パレードがあって、パーティー、ですよね」
「そう。その歌会のことなんだ」
「??」

ウィルがにっこりと言い、真珠たちが頭の上に疑問符をうかべながら首をかしげた。
自分たちが関係のある話には到底思えなかったからだ。

「その歌会でね、僕もゲストとして参加することになってるんだ」
「えっ、歌えるの!?」
「まさか!楽器だよ。笛。少々やってるんだ」
「びっくりしたー」
「それで、私たちと何か関係が?」
「うん。何かさ、いいメロディーはない?」
「?」
「半分くらいは即興の曲をやるつもりでね、せっかくのお祝いだから、 人間界の曲を混ぜ込めたらいいなと思い立ったんだ。だから、歌音が喜びそうな曲とかないかな、 と思って、君たちを訪ねたんだよ。本人には内緒にしたいからね」

にこにこと笑いながらウィルが言った。
歌会でのゲスト出演は前々から決まっていた事ではあるが、演奏する曲はこちらから指定できたので、即興できるものにしてあったのだ。
人間界からのお客様が来てると知り、内緒で組み込もうと、わざわざみんなが部屋に帰ったあとで直々に訪ねてきたというわけだ。

「なるほど・・・サプライズ演出か」
「それなら、いい曲があるじゃない。ね、雫」
「あくあ・・・それってもしかして『カノン』のこと?」
「うん!それしかないんじゃないかな」
「あたしもそれ、賛成」
「カノン?っていう曲があるのか?」
「そうよ。同じ名前だし、ちょっとした思い出の曲なんだよね」
「こっちでの結婚式でも演奏された曲だし」
「歌音も好きなはずよ」
「へえ・・・それはいいな。聞かせてよ」

そこまで言って、3人は気がついた。一体どうやってその「カノン」をウィルに聞かせれば良いのか、と。
こっちの楽器はからきしできないし、歌が上手いわけでもない。

「えっと・・・どうやって?」
「歌ってくれれば。メロディーラインだけでいいよ。こっちで適当にアレンジしてみる」
「う、うた・・・。あたし、ほんとのほんとにあの有名部分しかわかんないんだけど・・・あくあ、わかる?」
「えっ!あ、あたしも・・・それに、歌えるかと言われたら微妙・・・。雫は?」
「・・・うろ覚えね・・・海輝を連れてくるべきだったわ・・・」
「あはは。ほんと、そんな上手くなくてもいいから。僕だってもとの曲わからないし、ね」
「そ、そうね・・・えーと、確か・・・」

雫がこほんと小さく咳払いしてから、カノンの一番有名なメロディーを歌う。
聞いているときは軽快で可愛らしい曲だと思っていたけれど、歌うとなるとなかなかに難しいことを思い知らされる。
それから、雫とあくあも加わっての「カノン」会議。
こうだった、ああじゃなかった?なんて言いながら、全体をウィルに伝えた。
ウィルはふむふむと3人の歌を聞いて、時々歌って確認をとりつつ、「カノン」のメロディーを確認。
小一時間ほどこのやりとりが続いた。

「うん、よし、だいたいわかった。ありがとう、雫、真珠、あくあ」
「こんなんでお役に立てたかわからないんですけど・・・」
「すみません・・・ほんと、クラシックとか詳しくなくて・・・」
「大丈夫さ。あ、念のために言っておくけど、このこと、歌音と湊にはナイショにしておいて」
「もちろん。驚かせようってことですもんね」
「協力しますよ」

にっこりと笑いあう。真珠がぐっと親指を立てて、まかせなさい!というような顔をした。
その様子がなんだかとても頼もしくて、ウィルがくすりと笑う。

「ありがとう。それじゃあ、夜分遅くに本当に失礼しました。また明日会おう」
「ええ。おやすみなさい」
「笛、楽しみにしてますね!」
「カノンのアレンジも!」
「あはは。うん。頑張るよ。歌音の友人がいい子でよかった。それじゃあ」

そう言って、ウィルはひらひらっと手を振ると、部屋から退出した。

「・・・・・・あー!慣れない事したああああ」
「もう、真珠!夜なんだから静かにしてよ」
「だってだって!」
「気持ちはわかるけどねー。ほんと、海輝がいればよかったのに・・・」
「まあ、メインのトコは間違いないでしょう・・・たぶん。歌ったら喉渇いたわ。お茶いれましょ」
「確かティーセットっぽいの置いてあったよね」
「・・・水の中なのに喉が渇くってヘンな感じ」
「・・・・・・言われてみるとそうね」
「いんじゃない?あたしたちも一応人魚なんだし」
「一応、ね」

くすくすと笑いながらお茶を用意し、一息つきつつまたおしゃべりし、 さあいよいよ寝ないと明日が大変!という結論にいきついたところで、三人の人間界出身人魚たちはベッドに潜り込んだ。
翌日、この夜のやりとりのおかげで、歌音が盛大に動揺しているところを目撃した三人は小さくガッツポーズをとっていたという。


2014.09.23.  奏音音色