「透也?」
「・・・あ、連斗・・・」
前方から傘をさした連斗が歩いてきた。
片手にビニール袋をさげてるということは、おつかいだったらしい。
俺はというと傘を持っているはずもなく、
走って帰る気もしなくて、濡れたまま歩いていた。
「何してるのさ。傘もささないで」
「はは、持ってないからさ」
「にしても、歩いてるなんてありえないって」
「そーか?」
「・・・・・・なんかあった?」
「・・・ま、な・・・」
コイツには隠したところで意味がない。
連斗はいつだってそうだ。
俺のことなんてお見通しってくらい何でも言う前に当ててくる。
「わかった。とりあえず、うち来い」
「…は?」
「びしょぬれ!おまえの家よりおれの家の方がここからは近い。
ついでにその落ち込んだ理由も聞かせてもらうからな」
「・・・・・・」
連斗に片腕を捕まれて、そのまま連斗の家まで連れて行かれた。
「ただいまー。母さん、ちょっとシャワー出して」
「え?まったく、傘持っていったんでしょう?」
「透也が傘なしだったみたいでね」
「あらあら」
連斗が持ってきたタオルで濡れた髪を拭く。
そこにひょこっとおばさんが顔を出した。
連斗の母さんは若くて綺麗な人だ。
年の離れた姉弟だと言えば、一瞬疑いたくなるほどに。
うちとは大違い。
「こんにちは。おじゃまします」
「いらっしゃい。ほんと、びしょびしょ。ひどい雨だものね。あったまっていって」
「すみません」
「ほら、シャワー浴びろ。着替え、おれのだけど出しておいたから。
乾かしてる間にじっくり聞かせてもらうことにする」
「・・・ああ」
シャワーを浴びて、冷えた身体を温めた。
乾いた服がなんだか新鮮に感じた。
行き慣れた連斗の部屋へと行く。
「よ、出たな」
「ああ。悪かったな」
「いいって」
床に座り込む。
冷房ではなく、扇風機が回っている。
湿気はヴァイオリンに影響するからと除湿器をかけているせいか、
冷房はそんなにいらないらしい。
ふわりと前髪を風がさらった。
「そういえば…美菜穂、帰ってきたんだっけ・・・?」
「え?ああ。一昨日」
「・・・どうだった」
「おかげさまで」
「そっか・・・。よかったな」
「どうも。で、そっちは何があったわけ?」
そっか・・・連斗と美菜穂・・・うまくいったんだな・・・。
よかった・・・。
「・・・・・・おまえさ・・・俺が歌音・・・好きなの・・・知ってるだろ」
「まーな・・・。付き合い長いし・・・わかってたけど。もしかして告った?」
「・・・終業式の日に」
「マジで?早いな・・・。じゃあ、返事、もらってきたってとこ?」
「・・・ああ」
「ま・・・その様子だと結果はわかるけどさ・・・。歌音、なんて?」
「・・・俺のこと…好きだって言ってくれた」
「えっ」
「でも・・・つきあえないって」
「・・・?」
連斗がベッドの上に座り込んで疑問符を浮かべた。
そりゃ・・・そうだよな・・・。
おれだって・・・。
「小さい頃から決めてるらしいんだ」
「何を?」
「大事なモノがあって・・・それより好きになった人とじゃなきゃ・・・つきあわないって」
「は?何だそれ・・・。歌音らしくないな・・・」
「・・・・・・」
「でもさ、つきあってくうちに変わることだってあるじゃん?好きなら・・・」
「そう言ったけど・・・ダメだって。いつか別れる日が来るってゆーんだ。
すげー大事なものらしい・・・」
「そこまで大事なモノってなんだ・・・?聞いたのか?」
聞いたさ。
聞いたけど・・・まだ、理解できない・・・。
俺にだって大事なモノはある。
昔、欲しいってねだって買ってもらったアップライトピアノ。
使い込んだ楽譜。
何度も聞き返した尊敬するピアニストのCD。
誕生日に買ってくれたノートパソコン。
けど・・・。
どんなものだって、歌音と比べようとしたって無理だ。
ヒトとモノは違う。
ピアノと楽譜、どちらが大事かと言われたらピアノと言える。
歌音と美菜穂、どちらが好きかと言われたら歌音と言える。
でも。
ピアノと歌音、どちらが好きかと聞かれたら困る。
俺は・・・そんな風には見れない・・・。
「海・・・だってさ」
「うみ?ってあの?」
「そう・・・」
「・・・・・・」
「わっかんねーよな・・・わかんねーよ・・・でも、さ・・・歌音は本気なんだよ・・・」
「海・・・ねぇ・・・」
「肩とか、声とか、震えてて・・・今にも泣きそうなのに・・・泣かないんだよ・・・歌音」
「え?」
「泣き虫なんじゃないかって思わなかったか?」
「・・・思った」
「けどさ、泣かないんだ・・・こらえてるのわかるのに・・・泣かないんだよ・・・」
「へぇ・・・」
「そんな歌音・・・見てられなかった・・・」
「だから、それで納得してきた?」
「ああ・・・。俺・・・歌音の歌・・・好きだし・・・一緒にいられなくなるのが嫌だった・・・。
約束も、残ってるし」
「うん」
「だから・・・友達でいることにした。親友って枠は増えたっていいと思うから・・・」
「じゃあ、これからも一緒に・・・音楽する?」
「ああ・・・」
親友って枠はひとつじゃない。
一緒に音楽ができるなら・・・それだけでも充分だ・・・。
特別じゃない“好き”でも構わない。
友達として“好き”になってくれればいい。
「透也がそれでいいならいいけど・・・歌音のこと・・・諦めるの?」
「ああ・・・」
「これから先の未来も?」
「あそこまでキッパリ言われたら・・・きっと希望はないよ」
「そう・・・」
「いいんだ・・・歌音が歌ってくれるなら・・・それでいい・・・。
恋人なんてポジションがもらえなくても・・・」
「透也・・・」
「ごめん・・・らしくねーよな・・・」
「別に、構わないよ。失恋の痛みをわかってはやれないけどさ・・・
おれでいいなら話、聞くし」
「・・・サンキュ・・・」
抱きしめた感覚を忘れない。
震える肩も、震える声も。
そっと触れたくちびるも。
忘れないよ・・・。
何も望まない。
笑ってくれればいい。
いつもみたいに、微笑んでくれれば、それでいい。
そして、歌って欲しい・・・。
次に会うときは、ちゃんと、いつも通りにするから。
またピアノを弾くから。
歌って・・・。
「な、透也。コレ、やらないか」
「?」
ばさっと連斗が楽譜を一冊、俺に投げてよこした。
「そこ、付箋がついてるやつ」
「・・・?」
付箋を目印に楽譜を開く。
「カノン・・・?」
「パッヘルベルのカノン。
ピアノとヴァイオリンのデュエット用に編曲されてるやつなんだ。どう?」
「カノン・・・か・・・」
「それ、弾いてさ、歌音にプレゼントしよう」
「え?」
「な」
「・・・ああ・・・そうだな・・・。OK」
「嫌だと言ってもやらせるつもりだったけど」
「は?」
「ほら、もうコピー用意したからさ。譜読みよろしく」
ぱさっとコピーした楽譜を俺の足下にすべらせた。
そうだな・・・。
この曲は俺の好きな曲だし・・・。
連斗と二人で、たまには一曲仕上げてもいいな・・・。
そして、歌音に・・・。
2007.05.06.
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