『人魚の涙』



青い青い海の底。
そこには人間には見ることの出来ない世界が広がっている・・・・・・。



歌音(かのん)!」

歌のお稽古のための待ち合わせに向かう途中、突然に呼び止められた。

「姉様方・・・もしかして、わたしが通るのを待っていらしたのですか?」

声の方向にはわたしの3人の姉様がいた。

「そーよー!そうでもしないと、このひろーい海と家の中ではつかまらないじゃない」
「わたしの部屋まで来てくだされば・・・逃げはしませんわ」
「そこまで行くの、面倒だわ」
「まあまあ、その辺にしておいて」
「そうね」
「本題はそこじゃないものね」
「歌音。あなた、人間界留学の申請を出したって本当?」
「はい、海音(みおん)姉様。父様にも許可は頂いています」
「人間界よ!?あの人間界!わかってるの?」
「もちろん、わかっていますわ、波音(はのん)姉様」
「魚を食べてしまうような人間が住んでいるのよ?海を汚して、戦場にして、船とか沈めて!
そんな所にわざわざ行くだなんて!」
「・・・わかっています、紫音(しおん)姉様」

“人間界留学”
それは、数十年に一度、人魚が人間界に行けるチャンス。
人間界にも人魚は存在する。けれど、ほとんどは混血で、純粋な人魚などほとんど存在しない。
人間界に行くためには、それなりの人間界の知識が必要だし、 多くの条件をパスしなければ許可がもらえない。 人間界に興味はあるけれど、そんな野蛮なところに行くなんてゴメンだわ、 という人魚も少なくない。
それでもある程度の人数が申請を出しているし、許可が通ることを前提に申請したわけでもないわ。

「・・・どうして申請を?」
「歌音ったら、人間界に興味があったの?」
「あんな野蛮な生きものがいる世界になんて行かなくていいわよ!」
「・・・確かめてみたかったんです。たくさん色々な話を聞きます。 でも、行ってみないとわからないことが絶対あると思うんです。 それに、もう一つの世界に行けるチャンスなんてそんなにないじゃないですか。 ・・・でも、まだ申請をしただけで、これから審査が色々とありますし、通るとは限りませんわ」
「そりゃ、数十年に一回っていうチャンスなのはわかるんだけどー・・・」

ぎゅっと紫音姉様がわたしのことを後ろから抱きしめた。

「かわいー妹があんな場所に行くかもって思うと…ムカムカしちゃう!」
「紫音姉様・・・まだ決まっていないですし・・・」
「通っちゃうわよ!歌音ならさぞかし簡単に通っちゃうわよ!」

波音姉様が腕組みをして、ぷりぷりしながら言う。 そんな、簡単にだなんて・・・。

「あら、どうして歌音なら簡単なの?」
「だって海音姉様!歌音って頭良いじゃないですか! 人間界の常識くらい、ちょちょいのちょいで覚えますよ!」
「でも運動神経と性格がね〜」
「そりゃ、歌音はちょっとおっとりでお人好しで運動神経劣ってますけど! 頭良くて、歌が最高に上手くて、おまけに王女様とくれば・・・!」
「王女であることは加味されないですから・・・」
「そうだけどねー」
「それに、わたしは4番目。姉様たちがいれば問題ないですし」

なんだか欠点をぐさぐさと並べられてるのに褒められてるような気もしてくる言葉が並ぶ。
ぐいぐいと、紫音姉様の腕をほどいて自由の身になった。
心配してくださる姉様たちの気持ちはとっても嬉しい。
でも、これはわたしが決めたことだから、申請を取り下げるつもりはない。
この青い世界を汚して、戦場にして、魚を必要以上に捕っている人間たち。
彼らを好きかと聞かれたら、好きだとははっきり言えない。

けれど、海の上の青い世界を知ってみたい。

人間に聞かなければわからないこともたくさんあると思う。
こちら側からしか見ていないのなら、もう一つの視点で見れる機会に参加してみたいの。

「歌音がいなくなったら、これからの演奏会をどうやっていこうかしらと思うと・・・」

ふうっと紫音姉様が深刻そうにため息をついた。
まだ、決まったわけではないと言っているのに・・・。

「歌音姉様どっか行っちゃうの?」

愛らしい声が二人分聞こえて、ぱっと後ろを振り返る。 双子の妹たちがそろってそこにいた。

萌音(もね)愛音(あいね)
「姉様どこかへ行っちゃうの?」

きゅっと手を握ってきたのは萌音。

「姉様のお歌が聴けなくなるのはいやだなぁ」

そういって隣にすいっと寄ってきたのは愛音。
年は離れているけど、わたしのすぐ下の妹たち。

「まだ決まった訳じゃないわ」
「決まったらどっか行っちゃうの?」
「・・・そうね。ちょっと遠くまで」
「ちょっとじゃないじゃない、歌音」
「そうそう。ずいぶん遠いわね」
トゲトゲした口調で波音姉様と紫音姉様が言った。
お、怒ってらっしゃる・・・わたしが“ちょっと遠くまで”なんて言ったからかしら・・・?

「こら、萌音と愛音を心配させないの」

そうなだめたのは海音姉様。
「ところで、萌音と愛音はどうしてここに?」

「だって、お歌の練習のお時間でしょう?」

その言葉にはっとする。

「姉様方がいなかったから、ふたりで呼びに来たんです」
「・・・・・・ありがとう、萌音、愛音」
「じゃあ、行きましょうか・・・」
「まぁ…姉妹全員そろってれば文句なし、よね」
すいっと泳ぎ出す。

わたしたちは6人姉妹。
一番上の海音(みおん)姉様はさらっとした青い髪に濃い緑の瞳、 青緑のしっぽ、落ち着いた色彩のとおり、いつも冷静で微笑んでいらっしゃる姉様。
2番目は紫音(しおん)姉様。ふわふわの藤色の髪に黄緑の瞳、 すみれ色のしっぽが優雅で美少女的存在の姉様は実は勉強家で怒らせると一番怖いの。
3番目の波音(はのん)姉様は水色のストレートヘアーに紫の瞳、 空色のしっぽがとっても綺麗だけど、愛音とおなじくらい楽しいことが大好きな姉様。
4番目はわたし、歌音(かのん)。薄いピンクのロングヘアーにサーモンピンクのしっぽ。 歌が大好きな運動音痴。おまけに天然ボケだって姉様たちは言うの。
5番目はわたしと6つ年の離れた萌音(もね)。ふわふわベージュの髪に濃いピンクの瞳、 萌葱色のしっぽが愛らしい子。
一番下が萌音と双子の愛音(あいね)。さらさらのベージュの髪に萌音と同じ瞳、 ピンクのしっぽがかわいらしいおてんば娘。

この6人が、王室の娘たち。
色が遺伝で決まらない人魚ゆえ、とても姉妹とは思えないカラフルな色合いでしょう?

「どうして歌なんてやらなきゃいけないのかしらね〜」
「そういう場所でも無い限り、私たちのことを知る機会がないからではなくて?」
「・・・そういえばそうね」
「ふつーの女の子なのにね〜」
「父様と母様の子供の時点で、私たちは普通の女の子ではないと思うわよ」
「あはは、紫音姉様ったら、その通りね」
「そ・れ・にっ、歌音みたいな美声の持ち主は別よ。別」
「そ、そんな〜」
「歌音姉様のお歌大好き!」
「愛音も!」
「ありがとう。ふたりも次から出るんだよね?」
「うん!」
「どんな歌声か楽しみだな〜」

くすくすと波音姉様がからかって愛音に言った。

「いっぱい練習したもん!いつか歌音姉様と3人で歌えるようになるんだもん!」
「そーりゃ大変だ!」
「いーっだ!波音姉様のいじわるーっ」

波音姉様と愛音はとっても仲良しで、いつもこんな具合。
いじわるでも優しくて楽しい波音姉様が大好きなのよ、 と愛音が言っていたことは波音姉様にはナイショ。

「ふふっ。そのくらいにしておいて。さ、急ぎましょ」

海音姉様にせかされて、ついっとスピードを上げた。

“人魚姫の歌会”は歌い手でもあった母様が、 せっかく娘4人が育ったのだからと2年前から始めた演奏会。 姉様方とわたしの4人で歌を披露する演奏会。
これが人気みたいで、友達から聞いた話だとチケットの入手は毎回すごく大変なんだとか…。
萌音と愛音も今回の歌会から出ることになっているんだ。
歌を歌うのは大好きだし、姉様たちと一緒に歌えるなんて素敵でしょう?
姉妹でこうして演奏会ができるなんて素敵よね。