『 おやすみ 』



「ねぇ小狼君」
「何か?」

7月13日の午後。
アフタヌーンティの時間に紅茶とさくらの手作りケーキをつまんでいた。
おれへのバースデープレゼントはこのケーキだ。
ふわっとしたスポンジに甘酸っぱい苺、きれいに飾られた生クリーム。
残ったケーキは冷蔵庫の中。 使い終わった食器を流しに置いた時にさくらが言った。

「これ、なあに?」

さくらがテーブルのワキに置いてあった箱を指差した。 くるりとテーブルのもとに戻る。

「ああ、これか。姉上たちが送ってきたんだよ」

すっと箱を引き寄せてフタを開けた。
よくあるビン型ではなく、ころころと丸く、 一糸の乱れなく並んだチョコレートが顔をのぞかせた。 姉上なら絶対にビン型だと思ったのにな・・・予想を外したか。

「わ、チョコレート!これ、小狼君のお姉様からの誕生日プレゼントなの?」
「そう。毎年何かしら送ってくるんだ」
「素敵なお姉様だね」
「・・・4人もいればうるさくもなるさ・・・」
「え?」
「いや、何でもない」
「いつか会えたらいいなっ。小狼君のお姉様にっ」
「・・・・・・」

あの姉上たちのことだ。
そうなればさくらをかわいいと言って着せ替え人形のようにするだろうな・・・。

「そうだ、あのね、小狼君」
「?」
「き、今日、お夕飯一緒に食べない?わたし作るからっ」
「え?ここで?」
「ダメかな?」
「藤隆さんと兄貴は?」
「お父さんは発掘現場に出張なの。 お兄ちゃんは雪兎さんとお出かけ。
わたしひとりなんだもん」
「ケルベロスがいるだろう」
「ケロちゃんは今日は知世ちゃん家」
「は?何でケルベロスが大道寺の家に!?」
「さあ・・・よくわからないんだけど、 知世ちゃんが大事な用があるから一日ケロちゃんを預かれないかって・・・」
「それでケルベロスは大道寺のところに?」
「うん・・・お菓子食べれるって大喜びで・・・」
「はぁ・・・」

もしかして、大道寺の言う“誕生日プレゼント”はこれも含まれてるのか・・・?
まったく、大道寺にはしてやられたりだ。

「わかった。そのかわり、ちゃんと帰れよ?泊まりはなしな」
「もーっわかってるよーっ」

怒ったような口調なのに笑顔でさくらが言った。
からかったつもりはないんだけどな・・・?


「そうだ。さくらが見たいって言ってた映画のDVDあるけど、見るか?」
「いいの?」
「時間的にもちょうどいいだろ」
「わあ、ありがとうっ」
「ついでにこのチョコレートを一緒に減らしてくれると有り難いんだけど」
「何で?せっかく小狼君のお姉様がプレゼントに送ってくれたのに・・・」
「おれひとりでこの量を食べろと?」

チョコレートは軽く20個はある。
甘いモノを好んで食べるのならいいが・・・そこまで甘党じゃない。
姉上たちも量を考えて送ってほしいな。

「小狼君ひとりじゃ食べ切れないの?」
「一日一粒で軽く一ヶ月近くはもつな。それじゃ駄目になるだろ。 第一、おれが毎日一粒食べると思うか?」
「・・・えと・・・じゃあ、頂きます」
「よし」
「えーと・・・カーテン閉める?」
「そうだな。このままだと反射して画面が見づらいだろ。よろしく」
「はーいっ」

ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら窓まで行くとカーテンをシャッと閉めた。

「さくら、コーヒーでいいか?」
「えーと・・・ミルクがあれば大丈夫だよ」
「わかった」

キッチンで少しぬるくなったやかんのお湯を再び沸かし、ドリップコーヒーをいれた。
さくらのにはミルクをたっぷりと。チョコレートのお共なのだから、砂糖はなし。
チョコレートは深めの皿に移し、冷凍庫でさっと冷やす。

「さくら、DVDそこのテレビの横に置いてあるからセットしておいて」
「はーい」


三人掛けのソファで、真ん中は倒すとテーブルになるという新しいタイプのものだ。
テーブルの上には二人分のコーヒーとチョコレート。
照明は暗め。映画は話題になったファンタジーアクションもの。

チョコレートをひとつつまむ。
うん。さすが、姉上が選ぶだけあって美味い。
さくらもひとつつまんで、「おいしいっ」と声をあげた。

しばらくは映画に専念するか。

おれはほとんどチョコレートには手を付けず、コーヒーばかりを口に運んだ。
さくらは気に入ったようで、数個。よかった。これで少しはチョコレートに悩まなくてすむな。


映画も中盤に差し掛かり、盛り上がってきたころ。

突然

「小狼君」

と呼ばれた。

「?」

驚いてトナリを見る。
何か・・・問題でもあったか?

「ねぇ、わたしのこと好き?」
「は!?」

一体何がどうなってその質問にたどり着くのだろう。
映画はそんな雰囲気のカケラもない。むしろ逆にハラハラする場面だ。

「ねぇってばぁっ」

すっと席を立つとおれの前に立ち塞がった。
そして、ぐいっと近寄ってきた。 ソファのすき間に膝をのせて、被さるように。
ひとつ間違えば襲われている図にも見えそうだ。
その様子に声もでない。
映画とは無関係にハラハラする。

「ねぇ、わたしのこと、好き?」

至近距離で、そんな瞳と声は反則なんじゃないか・・・?
それに、この体勢をどうにかして欲しい・・・。
頭がおかしくなりそうだ。

「もちろん・・・好きだよ」
「ほんとに?ほんとのほんと?」
「あ、ああ」

コツンと額と額が触れる。
さくらのまつげが触れられるほど近い。

一体どうしたんだ?

映画に魔法がかかっているとは考えられないし・・・まさか・・・。

「ねぇ、キスしていい?」
「…え、あ、ああ」

そっと触れ合うくちびる。
優しいキス。

そして、ぎゅうっとさくらが抱きついてきた。

・・・もしかして、酔ってるのか?

「わたしね・・・不安になるときがあるの・・・。 わたしばっかり小狼君のことが好きなだけで、 小狼君はわたしに合わせてくれてるだけなんじゃいかって・・・」
「・・・そんなことない。絶対に」
「よかったぁ」

ぎゅっと抱きしめる。
・・・素面なのか・・・? 酔ってるのか・・・?

「・・・さくら、もしかして酔ってる?」
「酔ってなんかないよぅ。お酒なんて飲んでないもんっ」

そう言ったさくらは明らかに酔っている。
少し染まった頬、とろんとした瞳、いつもとは違う態度。
それはそれで可愛いが・・・まさかさくらがチョコレートの酒で酔うだなんて思ってなかった。
確かに、ラムレーズンや酒を使った菓子には “アルコールに弱い方はご注意下さい”とあるが・・・ 小さなこどもでも平気で食べていたりするじゃないか。 さくらがそんなに酒に弱いとは思ってもみなかった・・・。

「さくら、送っていくから家に帰ろう」
「やーだっ」
「バカ。ほろ酔いのやつをおいておけるかっ」
「さくら酔ってないってばっ。それに、小狼君とゴハン一緒に食べるって約束したもん」
「・・・・・・」

酔ってるくせに意識と記憶ははっきりしてる。
どこまでか素面なのかわからなくなりそうだ。
第一、おれは酔ったやつの対応に慣れてないからな・・・。 姉上たちはみんな酒に強いし・・・母上は飲まない・・・。

「仕方がないな・・・わかった。 おまえの家で一緒に食べるから・・・。
それなら・・・って、さくら?」

おれの言葉に反応のないさくらの顔を覗き込む。
すうすうと規則正しい息をして、眠っている。

・・・・・・普通この状況で眠れるか!?

「ったく・・・」

チョコレートに入ってる少量のウイスキーで酔わないでくれよ・・・。

仕方がない。
ぴっとリモコンのスイッチを押してテレビとDVDの電源を切った。
抱きつかれるのが嫌なわけじゃないが、このままというのはつらいものがある。
静かにさくらを抱き上げながら立ち上がった。
時間はまだまだある。少しくらい寝かせておくか。
目が覚めてから送っていっても問題はないだろう。
我が家にベッドはひとつしかない。
客間を用意するほど広くもないし、招待するやつもいない。
良いものかと思いながらも、自分の寝室の扉を開け、ベッドにさくらを寝かせた。
ふわりとタオルケットをかける。

「まったく・・・」

これじゃ、おれが酔わせたみたいじゃないか・・・。

ぽすんとベッドの端に腰掛ける。

「ん・・・しゃおら・・・く・・・」

軽くさくらがそう言った。
寝言か・・・。

子猫みたいに無防備で、ここが男の家だというのに眠りに落ちるなんて・・・。
そんなさくらが、やっぱり可愛くて愛しい。
さらっと前髪をなでる。


“誕生日プレゼントなにがいい?”
“さくらが欲しいと言っても・・・”

・・・・・・ある意味この願いはかなったのかもな・・・。

無防備な寝顔のプレゼントに、もう少し眠らせておいてあげようか。


「おやすみ、さくら」


そうつぶやいて、軽く頬にキスをこぼした。


2006.08.17.