「人魚の涙」番外編〜1日の帰還〜


「えっ、歌音が帰ってきてた!?」

澄み渡る青い世界。
地上から届く光がゆらゆらと世界を照らし、今日も何も変わらない1日になりそうだ・・・と思いながら学校に行ったら、 とんでもないニュースが飛び交っていた。
昨日一日、数ヶ月前に人間界留学へと旅立った王家第4王女で、我らがクラスメイト、 そして俺・湊の幼なじみでもある歌音が海に帰ってきていたというのだ。

「そう!昨日歌会だったじゃない?あたしのお姉ちゃんが行ってたんだけど、 海音様がゲストって言って客席にいた歌音を舞台に呼んだんだって!それで一曲歌ったらしいよっ」
「えーっ、なによ歌音ってば、帰ってきてたなら顔出してくれればよかったのにー!」
「ねーっ!薄情者っ」

歌音と仲の良い友人である沙羅と恵里菜が手を取り合いながらそう言った。
歌音が・・・帰ってきていた・・・。
しかも歌会で一曲披露したなんて・・・知らなかった。

「そうか・・・ふたりの所に来なかったなら、きっと突然来てそのまま帰ったんだろうな」
「まあ、そうだろうね。湊のトコにも来なかったでしょ?」
「当然。今知った」
「会いたかったでしょー」
「・・・・・・なに、その笑み」

沙羅が意味深なにやにや笑いをしながら俺の方を見た。
くそっ・・・やっぱりバレバレだよな・・・。

「んー?そのままの意味だって。愛しの歌音に一目会いたかったんじゃないかなーってね。そんなにちょこちょこ戻ってくるとは思えないし」
「・・・・・・いいんだよっ!本当に帰ってきたときに会えれば、それで・・・」
「それで?」
「・・・・・・〜〜いいだろ別にっ」
「はいはい。湊はほんとわかりやすいよねー」
「っていうか、気付かない歌音の方がどうかと思う」

歌音。
第四王女様にして、クラスメイトにして、幼なじみの女の子。
そして、俺の好きな人だ。
何歳の頃から、なんていうのはわからない。気がつけば彼女が好きで、彼女を見ていて、彼女に会いたかった。
くったくのない笑顔も、長い髪も、少し大きめのしっぽも、綺麗な声も、鈍感なところも、少し抜けたところがあるところも・・・全部好きだった。
出会いは随分と昔。まだ、王女だとか意識する前のこと。
お姫様だとわかって謝ったとき、彼女は自分を王女扱いしない俺と一緒にいられることが、とても心地良いと言ってくれた。 そして、このまま友達として付き合って欲しいと。
学校に入ると、クラスメイトになった。
そこで彼女は「ここでは王女扱いしないで下さい」と大胆発言したのだ。
上の学年には姉姫様たちもいたが、姫様たちは姫様たちでそれぞれのやり方をされていると聞いていた。
通常、王家の人間はある程度の年齢まで家庭教師のようなものを付けられて育つらしいが、 妃である琴音様の意向で、王女様たちは全員、就学年齢と同時に学校へと入学することとなった。
第一王女の海音様は、王女扱いされることに慣れすぎて、逆に否定するのに疲れたとのこと。
特別に仲の良いご友人以外はみんな「海音様」と呼んでいるし、最低限の礼儀を守り、口調も崩さない。 上級生すらそうなのだから、周りが無視するわけにもいかないんだろう。
第二王女の紫音様も海音様同様、特に呼び方や接し方にあれこれ言ったりはされていない。
海音様と違うところは、紫音様はその容姿からファンが多く、だいぶ気さくな方だということ。 あの状況では、たとえ王女でなくても「紫音様」と呼ぶ人が続出しそうな方だ。
第三王女の波音様は姉姫様たちよりも自由で、近しい人たちには「様なんてつけないで」 と言っているのを聞いたことがある。いちいち訂正するのが面倒なので、友人以外には特に何も言わない、という方針のようだった。
自分が態度を崩せば、周りもそれとなく崩れてくるもので、堅苦しい雰囲気にはなっていないけれど、やはり一線引いたところがある。
そんな姉姫様たちに囲まれているにもかかわらず、歌音は入学早々に「様なんて付けないで」と言い放ち、 「歌音様」と呼ぶと怪訝そうな顔をし、「様はいらない」と言い続け、しまいには教師陣にまで 「みんなと同じ呼び方でお願いします」とお願いしていたのだ。
たとえ、「お姉様たちもいますし・・・」と言い返されても「姉様たちは関係ありません」とバッサリ切り捨てていたのを知っている。
俺は入学する前からの仲なので、呼び方や口調なんかは問題なかったが、彼女のことを「お姫様」 としか見ていなかった周りの人たちがかなり苦労していたのを知っている。
「様」を付けずに呼ぶこと。「敬語」を使わないこと。「王女扱いしないで接すること」。
という、簡単そうでとても難しいハードルを越えるのに、一ヶ月はかかっていた。大人たちの方が苦労していたことも知っている。
せめてここでは普通の女の子でいたい、という平凡な願い。
まだ親しい女子の友達がいなかった頃、歌音は俺に「わたしって欲張りね」なんてこぼしていた。
歌音と幼い頃から一緒に遊んだりしていた俺は、当然姉姫様たちとも顔見知りで、姫様たちからも 「歌音のことを呼び捨てで呼ぶのなら、あたしたちのこともそうしてよ」と言われ、「様」ではなく 「さん」で呼んでいるが、これはかなり稀なケースだということを学校に入ってから思い知らされることになった。
そんなこんなで、歌音のお願いは聞き届けられ、クラスメイトたちは歌音のことを王女様扱いせずに、友達として接する日々が今も続いている。
そして、約1年前、人間界留学に対する告知が行われた。
不定期に募集が行われる人間界留学制度は、希望者の中から様々な審査を通過した者のみに許可が与えられる、特別なものだ。
不定期、といわれながらも、数十年に一度という単位でしか行われず、留学に行った人魚の半数以上が海に帰ってこないという事態が通例となっているため、 易々とは行えないということだった。
今回の募集もかなり久しぶりだと聞いていた。
俺は特に人間界に興味があるわけでもなかったので軽く流していたが、歌音は違った。
誰にも告げず、人間界留学へ申請を出した。
どうして、と聞いたら「他の世界へ行けるチャンスなんてめったにないわ。試してもいいじゃない」と笑っていたことを思い出す。
審査に王女であることは加味されないが、彼女なら審査にパスするんじゃないかという予想は見事に当たり、 数ヶ月前、海から地上へと行ってしまったのだ。
歌音が旅立つ前、好きだと告げようと思ったこともあった。
けれど、告げたところで、彼女を海の世界にとどめておくことは出来ない。
だから俺は「帰ってこいよ」と声をかけ、彼女を送り出した。
歌音がこの世界に戻ってくるようにと、願いをこめて。
そして、歌音が戻ってきたときに告げようと決めた。
およそ2年。
その間に、王女様の隣にいられるような男になろうと決心した。
今まで、歌音は「みんなと同じように接して欲しい」と言い、それに甘えて俺はみんなと同じように接してきた。 友達と同じように声をかけ、笑い、過ごした。
けれど、それもこの学校という空間があってこそ実現することだ。
2年。その時間がすぎれば、この学校という枠も存在しなくなる。
彼女を好きだと言うのなら、それは、それ相応の覚悟をした上で口にしなければならない言葉だ。
相手は王女様。
それは、変えることが出来ない事実。
「みんなと同じ」ではすまされないことに気がついた。
彼女が好きというだけ、ただそれだけなら問題はない。
けれど、俺は彼女の隣にいたいと思ってしまっている。許されるかどうか、 応えてくれるかどうかなど、問題ではない。好きだと告げるには、それ相応の対価が必要だと気付いてしまったんだ。
もし応えてくれたなら、俺に向けられる視線は「友達」だった頃とは訳が違う。
一般世間で言う「恋人」には決してなれないのだから。
世間の見る「王女様の相手」というものへの相手が出来る男でなければ、告げる資格さえない。
だから、俺は歌音がいないこの時間で、歌音に好きだと告げるだけの気持ちと力をつけようと決めたんだ。
昨日、海に帰ってきていたという歌音に会えなかったのは残念だけれど、会えなくてよかったと思っているところもある。
次に会うときは、もっと成長していたいと思っていたから。

「湊?」
「え?ああ、何?」
「・・・ううん、何でもない。会えなかったのは残念だけどさ、元気そうで良かったよね、歌音」
「そうだな」

たった一日。
だけど、歌音は帰ってきた。
そのことが少し嬉しくもあった。

「・・・帰って、くるよね。あの子。ちゃんと海に帰ってくるよね?」
「沙羅?」
「だってえな・・・人間界留学に行った人魚の帰還率、知ってるでしょ?」
「それは・・・知ってるけど・・・歌音は帰ってくるよ」
「ああ、そうだよ。歌音は帰ってくる。絶対」
「なんでそう言い切れるのよ、湊」
「だって歌音だぞ?あの、歌音だ」
「意味がわからない」

人間界留学にいった人魚の帰還率は高いとは言えない。
海の世界を離れてしまう可能性だってあることは承知していた。
留学の権利を手に入れた希望者たちは、揃いも揃って「帰ってくる」と言い、そして半数以上が人間界に留まることを選択している。
けれど、歌音は必ず帰ってくる。
この世界に、必ず。
俺はそう信じてる・・・いや、確信している。

「・・・歌音がさ、入学した時に言ったこと覚えてるか?」
「王女扱いしないで、でしょ」
「あれには参ったもんねー。よく覚えてる」
「そう。つまりさ、歌音は誰よりもよくわかってるんだ。自分が王女だって事」
「・・・・・・」
「歌音は自分が王女だってわかってる。その責任を放り出すことなんて出来ない性格なこともわかってる。だから、きっと、絶対帰ってくる」
「・・・さすが、よく見てるね、湊」
「だてに十年片思いやってない、か」
「うるせー、ほっとけ」
「でも、うん。そうだね。あたしたちが信じなきゃダメだよね。王女様をさ」
「そだね。あの子はなんだかんだ言っても、王女様だもんね」

そう、歌音はよくわかってるんだ。
自分が“王女”であること。
その立場。扱われ方。
そして、王女・王族という身分は一生ついていくものだということ。
だからこそ“ここでは王女扱いしないで”なんて言えるんだ。
そんな歌音を、きちんと認識しないといけない。
相手は1人の女の子で、1人の王女様なんだ。
俺が恋した相手は、この海の第四王女様だと。

「で、湊。最近やたらと色々頑張ってるらしいじゃん?」
「なんだよ、突然」
「それは歌音のためなの?」
「・・・いや、俺のため。歌音が関係ないとは言わないけど」
「ま!帰ってきた歌音を驚かせるくらいに頑張って!あたしはこれでもいちおー、応援してるんだからね」
「絵里菜・・・余計なこと言うなよ?」
「応援してるって言ってるのに、なにそれ。ヒドイ!」
「ははっ、ありがとう」

帰ってきたときに驚かせるくらい、か・・・。
そうだな。
きっと違う世界に行った歌音もそれなりに変わるんだろう。
それに見合う程度にはなっておきたいものだ。




そして一年半後。
海に帰ってきた歌音に驚かされるたのは結局俺だったわけだけど、
「一瞬誰だかわからなかった」
と言われる程度には、俺も変われたらしい。
見た目がそんなに変わったとは思わないけど・・・彼女にとっては十分だったようだ。
話さなくてはいけないことがある、と、人間界のことを話した歌音。
「好きになった人がいる」といった歌音。
そして、
「わたし、湊が好きよ」
穏やかな微笑みを口の端に浮かべてそう言った歌音は、とても綺麗だった。
少し大人びた歌音を抱きしめると、何とも言えない気持ちがこみ上げて、思わず泣いてしまいそうだった。
愛しい人。
違う世界にいる間に、俺の知らない人間に恋をした人。
けれど、それがここにたどり着くために必要な恋だったのなら、俺はそいつに感謝しなくてはいけないんだと思った。
言おうと決めていた言葉。
告げようと思っていた気持ち。
まさか、先を越されるとは思っていなかったけど・・・やっと、伝えられる。

「・・・俺も、歌音が好きだ」



2015.10.06.  奏音音色